2008年11月7日金曜日

 見ると丸太《まるた》の上に腰をかけている。数は三人だった。丸太は四《よ》つや丸太《まるた》で、軌道《レール》の枕木くらいなものだから、随分の重さである。どうして、ここまで運んで来たかとうてい想像がつかない。これは天井の陥落を防ぐため、少し広い所になると突っかい棒に張るために、シチュウ[#「シチュウ」に傍点]が必要な作事場へ置いて行くんだそうだ。その上に二人《ふたあり》腰を掛けて、残る一人が屈《しゃが》んで丸太へ向いている。そうして三人の間には小さな木の壺《つぼ》がある。伏せてある。一人がこの壺を上から抑《おさ》えている。三人が妙な叫び声を出した。抑えた壺をたちまち挙《あ》げた。下から賽《さい》が出た。――ところへ自分と初さんが這入った。
 三人はひとしく眼を上げて、自分と初さんを見た。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]が土の壁に突き刺してある。暗い灯《ひ》が、ぎろりと光る三人の眼球《めだま》を照らした。光ったものは実際眼球だけである。坑は固《もと》より暗い。明かるくなくっちゃならない灯も暗い。どす黒く燃えて煙《けぶり》を吹いている所は、濁った液体が動いてるように見えた。濁った先が黒くなって、煙と変化するや否や、この煙が暗いものの中に吸い込まれてしまう。だから坑の中がぼうとしている。そうして動いている。
 カンテラ[#「カンテラ」に傍点]は三人の頭の上に刺さっていた。だから三人のうちで比較的|判然《はっきり》見えたのは、頭だけである。ところが三人共頭が黒いので、つまりは、見えないのと同じ事である。しかも三つとも集《かたま》っていたから、なおさら変であったが、自分が這入《はい》るや否や、三つの頭はたちまち離れた。その間から、壺《つぼ》が見えたんである。壺の下から賽《さい》が見えたんである。壺と、賽と、三人の異《い》な叫び声を聞いた自分は、次に三人の顔を見たんである。よくはわからない顔であった。一人の男は頬骨《ほおぼね》の一点と、小鼻の片傍《かたわき》だけが、灯《ひ》に映った。次の男は額と眉《まゆ》の半分に光が落ちた。残る一人は総体にぼんやりしている。ただ自分の持っていた、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を四五尺手前から真向《まっこう》に浴びただけである。――三人はこの姿勢で、ぎろりと眼を据《す》えた。自分の方に。
 ようやく人間に逢《あ》って、やれ嬉《うれ》しやと思った自分は、この三|対《つい》の眼球《めだま》を見るや否や、思わずぴたりと立ち留った。
「手前《てめえ》は……」
と云い掛けて、一人が言葉を切った。残る二人はまだ口を開《ひら》かない。自分も立ち留まったなり、答えなかった。――答えられなかった。すると
「新《しん》めえだ」
と、初さんが、威勢のいい返事をしてくれた。本当のところを白状すると、三人の眼球が光って、「手前は……」と聞かれた時は、初さんの傍《そば》にいる事も忘れて、ただおやっと思った。立すくむと云うのはこれだろう。立ちすくんで、硬《かた》くこわ張り掛けたところへ「新めえだ」と云う声がした。この声が自分の左の耳の、つい後《うしろ》から出て、向うへ通り抜けた時、なるほど初さんがついてたなと思い出した。それがため、こわ張りかけた手足も、中途でもとへ引き返した。自分は一歩|傍《わき》へ退《の》いた。初さんに前へ出てもらうつもりであった。初さんは注文通り出た。
「相変らずやってるな」
とカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げたまま、上から三人の真中に転がってる、壺と賽を眺《なが》めた。
「どうだ仲間入は」
「まあよそう。今日は案内だから」
と初さんは取り合わなかった。やがて、四《よ》つや丸太《まるた》の上へうんとこしょと腰をおろして、
「少し休んで行くかな」
と自分の方を見た。立ちすくむまで恐ろしかった、自分は急に嬉しくなって元気が出て来た。初さんの側《そば》へ腰をおろす。アテシコ[#「アテシコ」に傍点]の利目《ききめ》は、ここで始めて分った。旨《うま》い具合に尻が乗って、柔らかに局部へ応《こた》える。かつ冷えないで、結構だ。実はさっきから、眼が少し眩《く》らんで――眩らんだか、眩らまないんだか、坑《あな》の中ではよく分らないが、何しろ好い気持ではなかったが、こう尻を掛けて落ちつくと、大きに楽《らく》になる。四人《よつたり》がいろいろな話をしている。
「広本《ひろもと》へは新らしい玉《たま》が来たが知ってるか」
「うん、知ってる」
「まだ、買わねえか」
「買わねえ、お前《めえ》は」
「おれか。おれは――ハハハハ」
と笑った。これは這入《はい》って来た時、顔中ぼんやり見えた男である。今でもぼんやり見える。その証拠には、笑っても笑わなくっても、顔の輪廓《りんかく》がほとんど同じである。
「随分手廻しがいいな」
と初さんもいささか笑っている。
「シキ[#「シキ」に傍点]へ這入《へえ》ると、いつ死ぬか分らねえからな。だれだって、そうだろう」
と云う答があった。この時、
「御互に死なねえうちの事だなあ」
と一人《だれか》が云った。その語調には妙に咏嘆《えいたん》の意が寓《ぐう》してあった。自分はあまり突然のように感じた。
 そうしているうちに、一間《いっけん》置いて隣りの男が突然自分に話しかけた。
「御前《おめえ》はどこから来た」
「東京です」
「ここへ来て儲《もう》けようたって駄目だぜ」
と他《ほか》のが、すぐ教えてくれた。自分は長蔵さんに逢うや否や儲かる儲かるを何遍となく聞かせられて驚いたが、飯場《はんば》へ着くが早いか、今度は反対に、儲からない儲からないで立てつづけに責められるんで、大いに辟易《へきえき》した。しかし地《じ》の底ではよもやそんな話も出まいと思ってここまで降りて来たが、人に逢えばまた儲からないを繰り返された。あんまり馬鹿馬鹿しいんで何とか答弁をしようかとも考えたが、滅多《めった》な事を云えば擲《は》りつけられるだけだから、まあやめにして置いた。さればと云って返事をしなければまたやりつけられる。そこで、こう云った。
「なぜ儲からないんです」
「この銅山《やま》には神様がいる。いくら金を蓄《た》めて出ようとしたって駄目だ。金は必ず戻ってくる」
「何の神様ですか」
と聞いて見たら、
「達磨《だるま》だ」
と云って、四人《よつたり》ながら面白そうに笑った。自分は黙っていた。すると四人は自分を措《お》いてしきりに達磨の話を始めた。約十分余りも続いたろう。その間自分はほかの事を考えていた。いろいろ考えたうちに一番感じたのは、自分がこんな泥だらけの服を着て、真暗な坑《あな》のなかに屈《しゃが》んでるところを、艶子《つやこ》さんと澄江《すみえ》さんに見せたらばと云う問題であった。気の毒がるだろうか、泣くだろうか、それともあさましいと云って愛想《あいそ》を尽かすだろうかと疑って見たが、これは難なく気の毒がって、泣くに違ないと結論してしまった。それで一目《ひとめ》くらいはこの姿を二人に見せたいような気がした。それから昨夜《ゆうべ》囲炉裏《いろり》の傍《そば》でさんざん馬鹿にされた事を思い出して、あの有様を二人に見せたらばと考えた。ところが今度は正反対で、二人共|傍《そば》にいてくれないで仕合せだと思った。もし見られたらと想像して眼前に、意気地《いくじ》のない、大いに苛《いじ》められている自分の風体《ふうてい》と、ハイカラの女を二人|描《えが》き出したら、はなはだ気恥ずかしくなって腋《わき》の下から汗が出そうになった。これで見ると、坑夫に堕落すると云う事実その物はさほど苦にならぬのみか、少しは得意の気味で、ただ坑夫になりたての幅《はば》の利《き》かないところだけを、女に見せたくなかった訳になる。自分の器量を下げるところは、誰にも隠したいが、ことに女には隠したい。女は自分を頼るほどの弱いものだから、頼られるだけに、自分は器量のある男だと云う証拠をどこまでも見せたいものと思われる。結婚前の男はことにこの感じが深いようだ。人間はいくら窮した場合でも、時々は芝居気《しばいぎ》を出す。自分がアテシコ[#「アテシコ」に傍点]を臀《しり》に敷いて、深い坑のなかで、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《ひっさ》げたまま、休んだ時の考えは、全く芝居じみていた。ある意味から云うと、これが苦痛の骨休めである。公然の骨休めとも云うべき芝居は全くここから発達したものと思う。自分は発達しない芝居の主人公を腹の中で演じて、落胆しながら得意がっていた。
 ところへ突然肺臓を打ち抜かれたと思うくらいの大きな音がした。その音は自分の足の下で起ったのか、頭の上で起ったのか、尻を懸《か》けた丸太《まるた》も、黒い天井《てんじょう》も一度に躍《おど》り上ったから、分からない。自分の頸《くび》と手と足が一度に動いた。縁側《えんがわ》に脛《はぎ》をぶらさげて、膝頭《ひざがしら》を丁《ちょう》と叩《たた》くと、膝から下がぴくんと跳《は》ねる事がある。この時自分の身体《からだ》の動き方は全くこれに似ている。しかしこれよりも倍以上劇烈に来たような気がした。身体ばかりじゃない、精神がその通りである。一人芝居の真最中でとんぼ返りを打って、たちまち我れに帰った。音はまだつづいている。落雷を、土中《どちゅう》に埋《うず》めて、自由の響きを束縛《そくばく》したように、渋《しぶ》って、焦《いら》って、陰《いん》に籠《こも》って、抑《おさ》えられて、岩にあたって、包まれて、激して、跳《は》ね返されて、出端《では》を失って、ごうと吼《ほ》えている。
「驚いちゃいけねえ」
と初さんが云った。そうして立ち上がった。自分も立ち上がった。三人の坑夫も立ち上がった。
「もう少しだ。やっちまうかな」
と、鑿《のみ》を取り上げた。初さんと自分は作事場《さくじば》を出る。ところへ煙《けむ》が来た。煙硝《えんしょう》の臭《におい》が、眼へも鼻へも口へも這入《はい》った。噎《む》せっぽくって苦しいから、後《うしろ》を向いたら、作事場ではかあん、かあんともう仕事を始めだした。
「なんですか」
と苦しい中で、初さんに聞いて見た。実はさっきの音が耳に応《こた》えた時、こりゃ坑内で大破裂が起ったに違ないから、逃げないと生命《いのち》が危ないとまで思い詰めたくらいだのに、初さんはますます深く這入る気色《けしき》だから、気味が悪いとは思ったが、何しろ自由行動のとれる身体ではなし、精神は無論独立の気象《きしょう》を具《そな》えていないんだから、いかに先輩だって逃げていい時分には、逃げてくれるだろうと安心して、後《あと》をつけて出ると、むっとするほどの煙《けむ》が向うから吹いて来たんで、こりゃ迂濶《うっかり》深入はできないわと云う腹もあって、かたがた後《うしろ》を向く途端《とたん》に、さっきの連中がもう、煙の中でかあん、かあん、鉱《あらがね》を叩《たた》いているのが聞えたんで、それじゃやっぱり安心なのかと、不審のあまりこの質問を起して見たんである。すると初さんは、煙の中で、咳《せき》を二つ三つしながら、
「驚かなくってもいい。ダイナマイト[#「ダイナマイト」に傍点]だ」
と教えてくれた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫でねえかも知れねえが、シキ[#「シキ」に傍点]へ這入《はい》った以上、仕方がねえ。ダイナマイト[#「ダイナマイト」に傍点]が恐ろしくっちゃ一日だって、シキ[#「シキ」に傍点]へは這入れねえんだから」
 自分は黙っていた。初さんは煙の中を押し分けるようにずんずん潜《くぐ》って行く。満更《まんざら》苦しくない事もないんだろうが、一つは新参の自分に対して、景気を見せるためじゃないかと思った。それとも煙は坑《あな》から坑へ抜け切って、陸《おか》の上なら、大抵晴れ渡った時分なのに、路が暗いんでいつまでも煙が這《は》ってるように感じたり噎《む》せっぽく思ったのかも知れない。そうすると自分の方が悪くなる。
 いずれにしても苦いところを我慢して尾《つ》いて行った。また胎内潜《たいないくぐ》りのような穴を抜けて、三四間ずつの段々を、右へ左へ折れ尽すと、路が二股《ふたまた》になっている。その条路《えだみち》の突き当りで、カラカラランと云う音がした。深い井戸へ石片《いしころ》を抛《な》げ込んだ時と調子は似ているが、普通の井戸よりも、遥《はるか》に深いように思われた。と云うものは、落ちて行く間《ま》に、側《がわ》へ当って鳴る音が、冴《さ》えている。ばかりか、よほど長くつづく。最後のカラランは底の底から出て、出るにはよほど手間《てま》がかかる。けれども一本道を、真直《まっすぐ》に上へ抜けるだけで、ほかに逃道がないから、どんなに暇取っても、きっと出てくる。途中で消えそうになると、壁の反響が手伝って、底で出ただけの響は、いかに微《かすか》な遠くであっても、洩《も》らすところなく上まで送り出す。――ざっとこんな音である。カラララン。カカラアン。……
 初さんが留《とま》った。
「聞えるか」
「聞えます」
「スノコ[#「スノコ」に傍点]へ鉱を落してる」
「はああ……」
「ついでだからスノコ[#「スノコ」に傍点]を見せてやろう」
と、急に思いついたような調子で、勢いよく初さんが、一足後へ引いて草鞋《わらじ》の踵《かかと》を向け直した。自分が耳の方へ気を取られて、返事もしないうちに、初さんは右へ切れた。自分も続いて暗いなかへ這入る。
 折れた路はわずか四尺ほどで行き当る。ところをまた右へ廻り込むと、一間ばかり先が急に薄明るく、縦にも横にも広がっている。その中に黒い影が二つあった。自分達がその傍《そば》まで近づいた時、黒い影の一つが、左の足と共に、精一杯前へ出した力を後《うしろ》へ抜く拍子《ひょうし》に、大きな箕《み》を、斜《はす》に抛《な》げ返した。箕は足掛りの板の上に落ちた。カカン、カラカランと云う音が遠くへ落ちて行く。一尺前は大きな穴である。広さは畳|二畳敷《にじょうじき》ぐらいはあるだろう。箕に入れたばら[#「ばら」に傍点]の鉱《あらがね》を、掘子《ほりこ》が抛げ込んだばかりである。突き当りの壁は突立《つッた》っている。微《かすか》なカンテラ[#「カンテラ」に傍点]に照らされて、色さえしっかり分らない上が、一面に濡《ぬ》れて、濡れた所だけがきらきら光っている。
「覗《のぞ》いて見ろ」
 初さんが云った。穴の手前が三尺ばかり板で張り詰めてある。自分は板の三分の一ほどまで踏み出した。
「もっと、出ろ」
と初さんが後から催促する。自分は躊躇《ちゅうちょ》した。これでさえ踏板が外《はず》れれば、どこまで落ちて行くか分らない。ましてもう一尺前へ出れば、いざと云う時、土の上へ飛《と》び退《の》く手間《てま》が一尺だけ遅くなる。一尺は何でもないようだが、ここでは平地《ひらち》の十間にも当る。自分は何分《なにぶん》にも躊躇《ちゅうちょ》した。
「出ろやい。吝《けち》な野郎だな。そんな事で掘子が勤まるかい」
と云われた。これは初さんの声ではなかった。黒い影の一人が云ったんだろう。自分は振り返って見なかった。しかし依然として足は前へ出なかった。ただ眼だけが、露で光った薄暗い向うの壁を伝わって、下の方へ、しだいに落ちて行くと、約一間ばかりは、どうにか見えるが、それから先は真暗だ。真暗だからどこまで視線に這入《はい》るんだか分らない。ただ深いと思えば際限もなく深い。落ちちゃ大変だと神経を起すと、後から背中を突かれるような気がする。足は依然としてもとの位地を持ち応《こた》えていた。すると、
「おい邪魔だ。ちょっと退《ど》きな」
と声を掛けられたんで、振り向くと、一人の掘子が重そうに俵を抱えて立っている。俵の大きさは米俵の半分ぐらいしかない。しかし両手で底を受けて、幾分か腰で支《ささ》えながら、うんと気合を入れているところは、全く重そうだ。自分はこの体《てい》を見て、すぐ傍《わき》へ避《よ》けた。そうして比較的安全な、板が折れても差支《さしつかえ》なく地面へ飛び退けるほどの距離まで退《しりぞ》いた。掘子は、俵で眼先がつかえてるから定めし剣呑《けんのん》がるだろうと思いのほか、容赦なく重い足を運ばして前へ出る。縁《ふち》から二尺ばかり手前まで出て、足を揃《そろ》えたから、もう留まるだろうと見ていると、また出した。余る所は一尺しきゃあない。その一尺へまた五寸ほど切り込んだ。そうして行儀よく右左を揃えた。そうして、うんと云った。胸と腰が同時に前へ出た。危ない。のめったと思う途端《とたん》に、重い俵は、とんぼ返りを打って、掘子の手を離れた。掘子はもとの所へ突っ立っている。落ちた俵はしばらく音沙汰《おとさた》もない。と思うと遠くでどさっ[#「どさっ」に傍点]と云った。俵は底まで落切ったと見える。
「どうだ、あの芸が出来るか」
と初さんが聞いた。自分は、
「そうですねえ」
と首を曲げて、恐れ入ってた。すると初さんも掘子《ほりこ》もみんな笑い出した。自分は笑われても全く致し方がないと思って、依然として恐れ入ってた。その時初さんがこんな事を云って聞かした。
「何になっても修業は要《い》るもんだ。やって見ねえうちは、馬鹿にゃ出来ねえ。お前《めえ》が掘子になるにしたって、おっかながって、手先ばかりで抛《な》げ込んで見ねえ。みんな板の上へ落ちちまって、肝心《かんじん》の穴へは這入《はい》りゃしねえ。そうして、鉱《あらがね》の重みで引っ張り込まれるから、かえって剣呑《けんのん》だ。ああ思い切って胸から突き出してかからにゃ……」
と云い掛けると、ほかの男が、
「二三度スノコ[#「スノコ」に傍点]へ落ちて見なくっちゃ駄目だ。ハハハハ」
と笑った。
 後戻《あともどり》をして元の路《みち》へ出て、半町ほど行くと、掘子は右へ折れた。初さんと自分は真直に坂を下りる。下り切ると、四五間平らな路を縫うように突き当った所で、初さんが留まった。
「おい。まだ下りられるか」
と聞く。実はよほど前から下りられない。しかし中途で降参《こうさん》したら、落第するにきまってるから、我慢に我慢を重ねて、ここまで来たようなものの、内心ではその内もうどん底へ行き着くだろうくらいの目算はあった。そこへ持って来て、相手がぴたりと留まって、一段落《いちだんらく》つけた上、さて改めて、まだ下りる気かと正式に尋ねられると、まだ下りるべき道程《みちのり》はけっして一丁や二丁でないと云う意味になる。――自分は暗いながら初さんの顔を見て考えた。御免蒙《ごめんこうぶ》ろうかしらと考えた。こう云う時の出処進退は、全く相手の思わく一つできまる。いかな馬鹿でも、いかな利口でも同じ事である。だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片がつく。つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場合である。平生《へいぜい》築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃに崩《くず》れる場合のうちでもっとも顕著《けんちょ》なる例である。――自分の無性格論はここからも出ている。
 前《ぜん》申す通り自分は初さんの顔を見た。すると、下《お》りようじゃないかと云う親密な情合《じょうあい》も見えない。下りなくっちゃ御前のためにならないと云う忠告の意も見えない。是非下ろして見せると云う威嚇《おどし》もあらわれていない。下りたかろうと焦《じ》らす気色《けしき》は無論ない。ただ下りられまいと云う侮辱《ぶべつ》の色で持ち切っている。それは何ともなかった。しかしその色の裏面には落第と云う切実な問題が潜《ひそ》んでいる。この場合における落第は、名誉より、品性より、何よりも大事件である。自分は窒息しても下りなければならない。
「下りましょう」
と思い切って、云った。初さんは案に相違の様子であったが、
「じゃ、下りよう。その代り少し危ないよ」
と穏かに同意の意を表《ひょう》した。なるほど危ないはずだ。九十度の角度で切っ立った、屏風《びょうぶ》のような穴を真直に下りるんだから、猿の仕事である。梯子《はしご》が懸《かか》ってる。勾配《こうばい》も何にもない。こちらの壁にぴったり食っついて、棒を空《くう》にぶら下げたように、覗《のぞ》くと端《さき》が見えかねる。どこまで続いてるんだか、どこで縛《しば》りつけてあるんだか、まるで分らない。
「じゃ、己《おれ》が先へ下りるからね。気をつけて来たまえ」
と初さんが云った。初さんがこれほど叮嚀《ていねい》な言葉を使おうとは思いも寄らなかった。おおかた神妙《しんびょう》に下りましょうと出たんで、幾分《いくぶん》か憐愍《れんみん》の念を起したんだろう。やがて初さんは、ぐるりと引っ繰り返って、正式に穴の方へ尻を向けた。そうして屈《しゃが》んだ。と思うと、足からだんだん這入《はい》って行く。しまいには顔だけが残った。やがてその顔も消えた。顔が出ている間は、多少の安心もあったが、黒い頭の先までが、ずぼりと穴へはまった時は、さすがに心配なのと心細いのとで、じっとしていられなくって、足をつま立てるようにして、上から見下《みおろ》した。初さんは下りて行く。黒い頭とカンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》だけが見える。その時自分は気味の悪いうちにも、こう考えた。初さんの姿が見えるうちに下りてしまわないと、下り損《そこ》なうかも知れない。面目ない事が出来《しゅったい》する。早くするに越した分別はないと決心して、いきなり後《うし》ろ向《むき》になって初さんのように、膝《ひざ》を地《じ》につけて、手で摺《ず》り下《さが》りながら、草鞋《わらじ》の底で段々を探った。
 両手で第一段目を握って、足を好加減《いいかげん》な所へ掛けると、背中が海老《えび》のように曲った。それから、そろそろ足を伸ばし出した。真直《まっすぐ》に立つと、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》が胸の所へ来る。じっとしていると燻《えぶ》されてしまう。仕方がないから、片足下げる。手もこれに応じて握り更《か》えなくっちゃならない。おろそうとすると、指で提《さ》げてるカンテラ[#「カンテラ」に傍点]が、とんだところで、始末の悪いように動く。滅多《めった》に振ると、着物が焼けそうになる。大事を取ると壁へぶつかって灯が揉《も》み潰《つぶ》されそうになる。親指へカップ[#「カップ」に傍点]を差し込んで、振子のように動かした時は、はなはだ軽便な器械だと思ったが、こうなると非常に邪魔になる。その上|梯子《はしご》の幅は狭い。段と段の間がすこぶる長い。一段さがるに、普通の倍は骨が折れる。そこへもって来て恐怖が手伝う。そうして握り直すたんびに、段木《だんぎ》がぬらぬらする。鼻を押しつけるようにして、乏しい灯で透《す》かして見ると、へな土が一面に粘《つ》いている。上《のぼ》り下《さが》りの草鞋で踏つけたものと思われる。自分は梯子の途中で、首を横へ出して、下を覗《のぞ》いた。よせば善かったが、つい覗いた。すると急にぐらぐらと頭が廻って、かたく握った手がゆるんで来た。これは死ぬかも知れない。死んじゃ大変だと、噛《かじ》りついたなり、いきなり眼を閉《ねむ》った。石鹸球《シャボンだま》の大きなのが、ぐるぐる散らついてるうちに、初さんが降りて行く。本当を云うと、下を覗いた時にこそ、初さんの姿が見えれば見えるんで、ねぶった眼の前に湧《わ》いて出る石鹸球の中に、初さんがいる訳がない。しかし現にいる。そうして降りて行く。いかにも不思議であった。今考えると、目舞《めまい》のする前に、ちらりと初さんを見たに違ないんだが、ぐらぐらと咄癡《とっち》て、死ぬ方が怖《こわ》くなったもんだから、初さんの影は網膜に映じたなり忘れちまったのが、段木に噛りついて眼を閉るや否や生き返ったんだろう。ただしそう云う事が学理上あり得るものか、どうか知らない。その当時は夢中である。坑《あな》は暗い、命は惜しい、頭は乱れている。生きてるか死んでるか判然しない。そこへ初さんが降りて行く。眼の中で降りて行くんだか、足の下で降りて行くんだかめちゃくちゃであった。が不思議な事に、眼を開けるや否やまた下を見た。するとやはり初さんが降りている。しかも切っ立った壁の向う側を降りているようだ。今度は二度目のせいか、落ちるほど眩暈《めまい》もしなかったんで、よくよく眸《ひとみ》を据《す》えて見ると、まさに向う側を降りて行く。はてなと思った。ところへカンテラ[#「カンテラ」に傍点]がまたじいと鳴った。保証つきの灯火《あかり》だが、こうなるとまた心細い。初さんはずんずん行くようだ。自分もここに至れば、全速力で降りるのが得策だと考えついた。そこでぬるぬるする段木《だんぎ》を握り更《か》え、握り更えてようやく三間ばかり下がると、足が土の上へ落ちた。踏んで見たがやッぱり土だ。念のため、手を離さずに足元の様子を見ると、梯子《はしご》は全く尽きている。踏んでいる土も幅一尺で切れている。あとは筒抜《つつぬけ》の穴だ。その代り今度は向側《むこうがわ》に別の梯子がついている。手を延ばすと届くように懸《か》けてある。仕方がないから、自分はまたこの梯子へ移った。そうして出来るだけ早く降りた。長さは前のと同様である。するとまた逆の方向に、依然として梯子が懸けてある。どうも是非に及ばない。また移った。やっとの思いでこれも片づけると、新しい梯子はもとのごとく向側に懸っている。ほとんど際限がない。自分が六つめの梯子まで来た時は、手が怠《だる》くなって、足が悸《ふる》え出して、妙な息が出て来た。下を見ると初さんの姿はとくの昔に消えている。見れば見るほど真闇《まっくら》だ。自分のカンテラ[#「カンテラ」に傍点]へはじいじいと点滴《しずく》が垂れる。草鞋《わらじ》の中へは清水《しみず》がしみ込んで来る。
 しばらく休んでいたら、手が抜けそうになった。下り出すと足を踏み外《はず》しかねぬ。けれども下りるだけ下りなければ、のめって逆《さか》さに頭を割るばかりだと思うと、どうか、こうか、段々を下り切る力が、どっかから出て来る。あの力の出所《でどころ》はとうてい分らない。しかしこの時は一度に出ないで、少しずつ、腕と腹と足へ煮染《にじ》み出すように来たから、自分でも、ちゃんと自覚していた。ちょうど試験の前の晩徹夜をして、疲労の結果、うっとりして急に眼が覚《さ》めると、また五六|頁《ページ》は読めると同じ具合だと思う。こう云う勉強に限って、何を読んだか分らない癖に、とにかく読む事は読み通すものだが、それと同じく自分もたしかに降りたとは断言しにくいが、何しろ降りた事はたしかである。下読《したよみ》をする書物の内容は忘れても、頁の数は覚えているごとく、梯子段の数だけは明かに記憶していた。ちょうど十五あった。十五下り尽しても、まだ初さんが見えないには驚いた。しかし幸《さいわ》い一本道だったから、どぎまぎしながらも、細い穴を這い出すと、ようやく初さんがいた。しかも、例のように無敵な文句は並べずに、
「どうだ苦しかったか」
と聞いてくれた。自分は全く苦しいんだから、
「苦しいです」
と答えた。次に初さんが、
「もう少しだ我慢しちゃ、どうだ」
と奨励《しょうれい》した。次に自分は、
「また梯子があるんですか」
と聞いた。すると初さんが、
「ハハハハもう梯子はないよ。大丈夫だ」
と好意的の笑《えみ》を洩《も》らした。そこで自分も我慢のしついでだと観念して、また初さんの尻について行くと、また下りる。そうして下りるに従って路へ水が溜って来た。ぴちゃぴちゃと云う音がする。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》で照らして見ると、下谷《したや》辺の溝渠《どぶ》が溢《あふ》れたように、薄鼠《うすねずみ》になってだぶだぶしている。その泥水がまた馬鹿に冷たい。指の股が切られるようである。けれども一面の水だから、せっかく水を抜いた足を、また無惨《むざん》にも水の中へ落さなくっちゃならない。片足を揚げると、五位鷺《ごいさぎ》のようにそのままで立っていたくなる。それでも仕方なしに草鞋《わらじ》の裏を着けるとぴちゃりと云うが早いか、水際から、魚の鰭《ひれ》のような波が立つ。その片側がカンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯できらきらと光るかと思うと、すぐ落ちついてもとに帰る。せっかく平《たいら》になった上をまたぴちゃりと踏み荒らす。魚の鰭がまた光る。こう云う風にして、奥へ奥へと這入《はい》って行くと、水はだんだん深くなる。ここを潜《くぐ》り抜けたら、乾いた所へ出られる事かと、受け合われない行先をあてにして、ぐるりと廻ると、足の甲でとまってた水が急に脛《すね》まで来た。この次にはと、辛抱して、右に折れると、がっくり落ちがして膝《ひざ》まで漬《つ》かっちまう。こうなると、動くたんびにざぶざぶ云う。膝で切る波が渦《うず》を捲《ま》いて流れる。その渦がだんだん股《もも》の方へ押し寄せてくる。全く危険だと思った。ことによれば、何かの原因で水が出たんだから、今に坑《あな》のなかが、いっぱいになりゃしないかと思うと急に腰から腹の中までが冷たくなって来た。しかるに初さんは辟易《へきえき》した体《てい》もなく、さっさと泥水を分けて行く。
「大丈夫なんですか」
と後《うしろ》から聞いて見たが、初さんは別に返事もしずに、依然として、ざぶりざぶりと水を押し分けて行く。自分の考えるところによると、いくら銅山でも水に漬《つ》かっていては、仕事ができるはずがない。こうどぶつく以上は、何か変事でもあるか、または廃坑へでも連れ込まれたに違いない。いずれにしても災難だと、不安の念に冒《おか》されながら、もう一遍初さんに聞こうかしらと思ってるうち、水はとうとう腰まで来てしまった。
「まだ這入るんですか」
と、自分はたまらなくなったから、後《うしろ》から初さんを呼び留めた。この声は普通の質問の声ではない。吾身《わがみ》を思うの余り、命が口から飛び出したようなものである。だから、いざと云う間際《まぎわ》には単音《たんいん》の叫声となってあらわれるところを、まだ初さんの手前を憚《はばか》るだけの余裕があるから、しばらく恐怖の質問と姿を変じたまでである。この声を聞きつけた時は、さすがの初さんも水の中で留まったなり、振り返った。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を高く差し上げる。眸《ひとみ》を据《す》えると初さんの眉《まゆ》の間に八の字が寄って来た。しかも口元は笑っている。
「どうした。降参したか」
「いえ、この水が……」
と自分は、腰の辺《あたり》を、物凄《ものすご》そうに眺《なが》めた。初さんは毫《ごう》も感心しない。やっぱりにこにこしている。出水《でみず》の往来を、通行人が尻をまくって面白そうに渉《わた》る時のように見えた。自分もこれで疑いは晴れたが、根が臆病だから、念のため、もう一度、
「大丈夫でしょうか」
を繰返した。この時初さんはますます愉快そうな顔つきだったが、やがて真面目《まじめ》になって、
「八番坑だ。これがどん底だ。水ぐらいあるなあ当前《あたりめえ》だ。そんなに、おっかながるにゃ当らねえ。まあ好いからこっちへ来ねえ」
となかなか承知しないから、仕方なしに、股《また》まで濡《ぬ》らしてついて行った。たださえ暗い坑《あな》の中だから、思い切った喩《たとえ》を云えば、頭から暗闇《くらやみ》に濡れてると形容しても差支《さしつかえ》ない。その上本当の水、しかも坑と同じ色の水に濡れるんだから、心持の悪い所が、倍悪くなる。その上水は踝《くろぶし》からだんだん競《せ》り上がって来る。今では腰まで漬《つ》かっている。しかも動くたんびに、波が立つから、実際の水際以上までが濡れてくる。そうして、濡れた所は乾かないのに、波はことによると、濡れた所よりも高く上がるから、つまりは一寸二寸と身体《からだ》が腹まで冷えてくる。坑で頭から冷えて、水で腹まで冷えて、二重に冷え切って、不知案内《ふちあんない》の所を海鼠《なまこ》のようについて行った。すると、右の方に穴があって、洞《ほら》のように深く開《ひら》いてる中から、水が流れて来る。そうしてその中でかあんかあんと云う音がする。作事場《さくじば》に違いない。初さんは、穴の前に立ったまま、
「そうら。こんな底でも働いてるものがあるぜ。真似ができるか」
と聞いた。自分は、胸が水に浸《ひた》るまで、屈《こご》んで洞の中を覗《のぞ》き込んだ。すると奥の方が一面に薄明るく――明るくと云うが、締りのない、取り留めのつかない、微《かすか》な灯《ひ》を無理に広い間《ま》へ使って、引っ張り足りないから、せっかくの光が暗闇《くらやみ》に圧倒されて、茫然《ぼうぜん》と濁っている体《てい》であった。その中に一段と黒いものが、斜めに岩へ吸いついている辺《あたり》から、かあんかあんと云う音が出た。洞の四面へ響いて、行き所のない苦しまぎれに、水に跳《は》ね返ったものが、纏《まと》まって穴の口から出て来る。水も出てくる。天井の暗い割には水の方に光がある。
「這入《へえ》って見るか」
と云う。自分はぞっと寒気がした。
「這入らないでも好いです」
と答えた。すると初さんが、
「じゃ止《や》めにして置こう。しかし止めるなあ今日だけだよ」
と但《ただ》し書《がき》をつけて、一応自分の顔をとくと見た。自分は案《あん》の定《じょう》釣り出された。
「明日《あした》っから、ここで働くんでしょうか。働くとすれば、何時間水に漬かってる――漬かってれば義務が済むんですか」
「そうさなあ」
と考えていた初さんは、
「一昼夜に三回の交替だからな」
と説明してくれた。一昼夜に三回の交替ならひとくぎり八時間になる。自分は黒い水の上へ眼を落した。
「大丈夫だ。心配しなくってもいい」
 初さんは突然慰めてくれた。気の毒になったんだろう。
「だって八時間は働かなくっちゃならないんでしょう」
「そりゃきまりの時間だけは働かせられるのは知れ切ってらあ。だが心配しなくってもいい」
「どうしてですか」
「好《い》いてえ事よ」
と初さんは歩き出した。自分も黙って歩き出した。二三歩水をざぶざぶ云わせた時、初さんは急に振り返った。
「新前《しんめえ》は大抵二番坑か三番坑で働くんだ。よっぽど様子が分らなくっちゃ、ここまで下りちゃ来られねえ」
と云いながら、にやにやと笑った。自分もにやにやと笑った。
「安心したか」
と初さんがまた聞いた。仕方がないから、
「ええ」
と返事をして置いた。初さんは大得意であった。時にどぶどぶ動く水が、急に膝まで減った。爪先で探ると段々がある。一つ、二つと勘定すると三つ目で、水は踝《くろぶし》まで落ちた。それで平らに続いている。意外に早く高い所へ出たんで、非常に嬉《うれ》しかった。それから先は、とんとん拍子《びょうし》に嬉しくなって、曲れば曲るほど地面が乾いて来る。しまいにはぴちゃりとも音のしない所へ出た。時に初さんが器械を見る気があるかと尋ねたが、これは諸方のスノコ[#「スノコ」に傍点]から落ちて来た鉱《あらがね》を聚《あつ》めて、第一坑へ揚げて、それから電車でシキ[#「シキ」に傍点]の外へ運び出す仕掛を云うんだと聞いて、頭から御免蒙《ごめんこうぶ》った。いくら面白く運転する器械でも、明日《あす》の自分に用のない所は見る気にならなかった。器械を見ないとするとこれで、まあ坑内の模様を一応見物した訳になる。そこで案内の初さんが帰るんだと云う通知を与えてくれた。腰きり水に漬《つ》かるのは、いかな初さんも一度でたくさんだと見えて、帰りには比較的|濡《ぬ》れないで済む路を通ってくれた。それでも十間ほどは腫《ふく》ら脛《はぎ》まで水が押し寄せた。この十間を通るときに、様子を知らない自分はまた例の所へ来たなと感づいて、往きに臍《へそ》の近所が氷りつきそうであった事を思い出しつつ、今か今かと冷たい足を運んで行ったが、※[#「易+鳥」、第4水準2-94-27]《いすか》の嘴《はし》と善《い》い方へばかり、食い違って、行けば行くほど、水が浅くなる。足が軽くなる。ついにはまた乾いた路へ出てしまった。初さんに、
「もう済んだでしょうか」
と聞いて見ると、初さんはただ笑っていた。その時は自分も愉快だったが、しばらくすると、例の梯子《はしご》の下へ出た。水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、――せめて帰り路だけでも好いから、遁《のが》れたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分は蜀《しょく》の桟道《さんどう》と云う事を人から聞いて覚えていた。この梯子は、桟道を逆《さかさ》に釣るして、未練なく傾斜の角度を抜きにしたものである。自分はそこへ来ると急に足が出なくなった。突然|脚気《かっけ》に罹《かか》ったような心持になると、思わず、腰を後《うしろ》へ引っ張られた。引っ張られたのは初さんに引っ張られたのかと思う読者もあるかもしれないが、そうじゃない。そう云う気分が起ったんで、強いて形容すれば、疝気《せんき》に引っ張られたとでも叙《じょ》したら善かろう。何しろ腰が伸《の》せない。もっともこれは逆桟道《さかさんどう》の祟《たた》りだと一概に断言する気でもない、さっきから案内の初さんの方で、だいぶ御機嫌《ごきげん》が好いので、相手の寛大な御情《おなさけ》につけ上って、奮発の箍《たが》がしだいしだいに緩《ゆる》んだのもたしかな事実である。何しろ歩けなくなった。この腰附を見ていた初さんは、
「どうだ歩けそうもねえな。まるで屁《へ》っぴり腰だ。ちっと休むが好い。おれは遊びに行って来るから」
と云ったぎり、暗い所を潜《くぐ》って、どこへか出て行った。
 あとは云うまでもなく一人になる。自分はべっとりと、尻を地びたへ着けた。アテシコ[#「アテシコ」に傍点]はこう云うときに非常に便利になる。御蔭《おかげ》で、岩で骨が痛んだり、泥で着物が汚《よご》れたりする憂いがないだけ、惨憺《みじめ》なうちにも、まだ嬉しいところがあった。そうして、硬く曲った背中を壁へ倚《も》たせた。これより以上は横のものを竪《たて》にする気もなかった。ただそのままの姿勢で向うの壁を見詰めていた。身体《からだ》が動かないから、心も働かないのか、心が居坐りだから、身体が怠けるのか、とにかく、双方|相《あい》び合って、生死《せいし》の間に彷徨《ほうこう》していたと見えて、しばらくは万事が不明瞭《ふめいりょう》であった。始めは、どうか一尺立方でもいいから、明かるい空気が吸って見たいような気がしたが、だんだん心が昏《くら》くなる。と坑《あな》のなかの暗いのも忘れてしまう。どっちがどっちだか分らなくなって朦朧《もうろう》のうちに合体稠和《がったいちゅうわ》して来た。しかしけっして寝たんじゃない。しんとして、意識が稀薄になったまでである。しかしその稀薄な意識は、十倍の水に溶いた娑婆気《しゃばッき》であるから、いくら不透明でも正気は失わない。ちょうど差し向いの代りに、電話で話しをするくらいの程度――もしくはこれよりも少しく不明瞭な程度である。かように水平以下に意識が沈んでくるのは、浮世の日が烈《はげ》し過ぎて困る自分には――東京にも田舎《いなか》にもおり終《おお》せない自分には――煩悶《はんもん》の解熱剤《げねつざい》を頓服《とんぷく》しなければならない自分には――神経繊維の端《はじ》の端まで寄って来た過度の刺激を散らさなければならない自分には――必要であり、願望であり、理想である。長蔵さんに引張られながら、道々空想に描いた坑夫生活よりも、たしかに上等の天国である。もし駆落《かけおち》が自滅の第一着なら、この境界《きょうがい》は自滅の――第何着か知らないが、とにかく終局地を去る事遠からざる停車場《ステーション》である。自分は初さんに置いて行かれた少時《しばし》の休憩時間内に、図《はか》らずもこの自滅の手前まで、突然釣り込まれて、――まあ、どんな心持がしたと思う。正直に云えば嬉しかった。しかし嬉しいと云う自覚は十倍の水に溶き交ぜられた正気の中に遊離しているんだから、ほかの娑婆気と同じく、劇烈には来ない。やっぱり稀薄である。けれど自覚はたしかにあった。正気を失わないものが、嬉しいと云う自覚だけを取り落す訳がない。自分の精神状態は活動の区域を狭《せば》められた片輪の心的現象とは違う。一般の活動を恣《ほしいまま》にする自由の天地はもとのごとくに存在して、活動その物の強度が滅却して来たのみだから、平常の我とこの時の我との差はただ濃淡の差である。その最も淡《うす》い生涯《しょうがい》の中《うち》に、淡い喜びがあった。
 もしこの状態が一時間続いたら、自分は一時間の間満足していたろう。一日続いたら一日の間満足したに違ない。もし百年続いたにしても、やっぱり嬉しかったろう。ところが――ここでまた新しい心の活作用に現参《げんざん》した。
 というのはあいにく、この状態が自分の希望通同じ所に留っていてくれなかった。動いて来た。油の尽きかかったランプ[#「ランプ」に傍点]の灯《ひ》のように動いて来た。意識を数字であらわすと、平生《へいぜい》十のものが、今は五になって留まっていた。それがしばらくすると四になる。三になる。推して行けばいつか一度は零《れい》にならなければならない。自分はこの経過に連れて淡くなりつつ変化する嬉《うれ》しさを自覚していた。この経過に連れて淡く変化する自覚の度において自覚していた。嬉しさはどこまで行っても嬉しいに違ない。だから理窟《りくつ》から云うと、意識がどこまで降《さが》って行こうとも、自分は嬉しいとのみ思って、満足するよりほかに道はないはずである。ところがだんだんと競《せ》りおろして来て、いよいよ零に近くなった時、突然として暗中《あんちゅう》から躍《おど》り出した。こいつは死ぬぞと云う考えが躍り出した。すぐに続いて、死んじゃ大変だと云う考えが躍り出した。自分は同時に、かっと眼を開《あ》いた。
 足の先が切れそうである。膝から腰までが血が通《かよ》って氷りついている。腹は水でも詰めたようである。胸から上は人間らしい。眼を開けた時に、眼を開けない前の事を思うと、「死ぬぞ、死んじゃ大変だ」までが順々につながって来て、そこで、ぷつりと切れている。切れた次ぎは、すぐ眼を開いた所作《しょさ》になる。つまり「死ぬぞ」で命の方向転換をやって、やってからの第一所作が眼を開いた訳になるから、二つのものは全く離れている。それで全く続いている。続いている証拠《しょうこ》には、眼を開いて、身の周囲《まわり》を見た時に、「死ぬぞ……」と云う声が、まだ耳に残っていた。たしかに残っていた。自分は声だの耳だのと云う字を使うが、ほかには形容しようがないからである。形容どころではない、実際に「死ぬぞ……」と注意してくれた人間があったとしきゃ受け取れなかった。けれども、人間は無論いるはずはなし。と云って、神――神は大嫌《だいきらい》だ。やっぱり自分が自分の心に、あわてて思い浮べたまでであろうが、それほど人間が死ぬのを苦に病んでいようとは夢にも思い浮べなかった。これだから自殺などはできないはずである。こう云う時は、魂の段取《だんどり》が平生と違うから、自分で自分の本能に支配されながら、まるで自覚しないものだ。気をつけべき事と思う。この例なども、解釈のしようでは、神が助けてくれたともなる。自分の影身《かげみ》につき添っている――まあ恋人が多いようだが――そう云う人々の魂が救ったんだともなる。年の若い割に、自分がこの声を艶子さんとも澄江さんとも解釈しなかったのは、己惚《うぬぼれ》の強い割には感心である。自分は生れつきそれほど詩的でなかったんだろう。
 そこへ初さんがひょっくり帰って来た。初さんを見るが早いか、自分の意識はいよいよ明瞭《めいりょう》になった。これから例の逆桟道《さかさんどう》を登らなくっちゃならない事も、明日《あした》から、鑿《のみ》と槌《つち》でかあんかあんやらなくっちゃならない事も、南京米《ナンキンまい》も、南京虫《ナンキンむし》も、ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]も達磨《だるま》も一時に残らず分ってしまい、そうして最後に自分の堕落がもっとも明かに分った。
「ちったあ気分は好いか」
「ええ少しは好いようです」
「じゃ、そろそろ登ってやろう」
と云うから、礼を云って立っていると、初さんは景気よく段木《だんぎ》を捕《つかま》えて片足|踏《ふ》ん掛《が》けながら、
「登りは少し骨が折れるよ。そのつもりで尾《つ》いて来ねえ」
と振り返って、注意しながら登り出した。自分は何となく寒々しい心持になって、下から見上げると、初さんは登って行く。猿のように登って行く。そろそろ登ってくれる様子も何もありゃしない。早くしないとまた置いてきぼりを食う恐れがある。自分も思い切って登り出した。すると二三段足を運ぶか運ばないうちになるほどと感心した。初さんの云う通り非常に骨が折れる。全く疲れているばかりじゃない。下りる時には、胸から上が比較的前へ出るんで、幾分か背の重みを梯子《はしご》に託する事ができる。しかし上りになると、全く反対で、ややともすると、身体が後《うしろ》へ反《そ》れる。反れた重みは、両手で持ち応《こた》えなければならないから、二の腕から肩へかけて一段ごとに余分の税がかかる。のみならず、手の平《ひら》と五本の指で、この|〆高《しめだか》を握らなければならない。それが前に云った通りぬるぬるする。梯子を一つ片づけるのは容易の事ではない。しかもそれが十五ある。初さんは、とっくの昔に消えてなくなった。手を離しさえすれば真暗闇《まっくらやみ》に逆落《さかおと》しになる。離すまいとすれば肩が抜けるばかりだ。自分は七番目の梯子の途中で火焔《かえん》のような息を吹きながら、つくづく労働の困難を感じた。そうして熱い涙で眼がいっぱいになった。
 二三度|上瞼《うわまぶた》と下瞼を打ち合して見たが、依然として、視覚はぼうっとしている。五寸と離れない壁さえたしかには分らない。手の甲で擦《こす》ろうと思うが、あやにく両方とも塞《ふさ》がっている。自分は口惜《くやし》くなった。なぜこんな猿の真似をするように零落《おちぶ》れたのかと思った。倒れそうになる身体《からだ》を、できるだけ前の方にのめらして、梯子に倚《もた》れるだけ倚れて考えた。休んだと註釈する方が適当かも知れない。ただ中途で留まったと云い切ってもよろしい。何しろ動かなくなった。また動けなくなった。じっとして立っていた。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]のじいと鳴るのも、足の底へ清水《しみず》が沁み込むのも、全く気がつかなかった。したがって何分《なんぷん》過《た》ったのかとんと感じに乗らない。するとまた熱い涙が出て来た。心が存外たしかであるのに、眼だけが霞《かす》んでくる。いくら瞬《まばたき》をしても駄目だ。湯の中に眸《ひとみ》を漬《つ》けてるようだ。くしゃくしゃする。焦心《じれっ》たくなる。癇《かん》が起る。奮興《ふんこう》の度が烈《はげ》しくなる。そうして、身体は思うように利《き》かない。自分は歯を食い締《しば》って、両手で握った段木を二三度揺り動かした。無論動きゃしない。いっその事、手を離しちまおうかしらん。逆さに落ちて頭から先へ砕ける方が、早く片がついていい。とむらむらと死ぬ気が起った。――梯子の下では、死んじゃ大変だと飛び起きたものが、梯子の途中へ来ると、急に太い短い無分別を起して、全く死ぬ気になったのは、自分の生涯《しょうがい》における心理推移の現象のうちで、もっとも記憶すべき事実である。自分は心理学者でないから、こう云う変化を、どう説明したら適切であるか知らないけれども、心理学者はかえって、実際の経験に乏しいようにも思うから、杜撰《ずさん》ながら、一応自分の愚見だけを述べて、参考にしたい。
 アテシコ[#「アテシコ」に傍点]を尻に敷いて、休息した時は、始めから休息する覚悟であった。から心に落ちつきが有る。刺激が少い。そう云う状態で壁へ倚《よ》りかかっていると、その状態がなだらかに進行するから、自然の勢いとしてだんだん気が遠くなる。魂が沈んで行く。こう云う場合における精神運動の方向は、いつもきまったもので、必ず積極から出立してしだいに消極に近づく径路《けいろ》を取るのが普通である。ところがその普通の径路を行き尽くして、もうこれがどん詰《づまり》だと云う間際《まぎわ》になると、魂が割れて二様の所作《しょさ》をする。第一は順風に帆を上げる勢いで、このどん底まで流れ込んでしまう。するとそれぎり死ぬ。でなければ、大切《おおぎり》の手前まで行って、急に反対の方角に飛び出してくる。消極へ向いて進んだものが、突如として、逆さまに、積極の頭へ戻る。すると、命がたちまち確実になる。自分が梯子《はしご》の下で経験したのはこの第二に当る。だから死に近づきながら好い心持に、三途《さんず》のこちら側まで行ったものが、順路をてくてく引き返す手数《てすう》を省《はぶ》いて、急に、娑婆《しゃば》の真中に出現したんである。自分はこれを死を転じて活に帰す経験と名づけている。
 ところが梯子の中途では、全くこれと反対の現象に逢《あ》った。自分は初さんの後《あと》を追っ懸けて登らなければならない。その初さんは、とっくに見えなくなってしまった。心は焦《あせ》る、気は揉《も》める、手は離せない。自分は猿よりも下等である。情ない。苦しい。――万事が痛切である。自覚の強度がしだいしだいに劇《はげ》しくなるばかりである。だからこの場合における精神運動の方向は、消極より積極に向って登り詰める状態である。さてその状態がいつまでも進行して、奮興《ふんこう》の極度に達すると、やはり二様の作用が出る訳だが、とくに面白いと思うのはその一つ、――すなわち積極の頂点からとんぼ返りを打って、魂が消極の末端にひょっくり現われる奇特《きどく》である。平たく云うと、生きてる事実が明瞭になり切った途端《とたん》に、命を棄てようと決心する現象を云うんである。自分はこれを活上《かつじょう》より死に入る作用と名《なづ》けている。この作用は矛盾のごとく思われるが実際から云うと、矛盾でも何でも、魂の持前だから存外自然に行われるものである。論より証拠《しょうこ》発奮して死ぬものは奇麗《きれい》に死ぬが、いじけて殺されるものは、どうも旨《うま》く死に切れないようだ。人の身の上はとにかく、こう云う自分が好い証拠である。梯子の途中で、ええ忌々《いまいま》しい、死んじまえと思った時は、手を離すのが怖《こわ》くも何ともなかった。無論例のごとくどきんなどとはけっしてしなかった。ところがいざ死のうとして、手を離しかけた時に、また妙な精神作用を承当《しょうとう》した。
 自分は元来が小説的の人間じゃないんだが、まだ年が若かったから、今まで浮気に自殺を計画した時は、いつでも花々しくやって見せたいと云う念があった。短銃《ピストル》でも九寸五分《くすんごぶ》でも立派に――つまり人が賞《ほ》めてくれるように死んでみたいと考えていた。できるならば、華厳《けごん》の瀑《たき》まででも出向きたいなどと思った事もある。しかしどうしても便所や物置で首を縊《くく》るのは下等だと断念していた。その虚栄心が、この際突然首を出した。どこから出したか分らないが、出した。つまり出すだけの余地があったから出したに相違あるまいから、自分の決心はいかに真面目《まじめ》であったにしても、さほど差し逼《せま》ってはいなかったんだろう。しかしこのくらい断乎《だんこ》として、現に梯子段《はしごだん》から手を離しかけた、最中に首を出すくらいだから、相手もなかなか深い勢力を張っていたに違ない。もっともこれは死んで銅像になりたがる精神と大した懸隔《けんかく》もあるまいから、普通の人間としては別に怪しむべき願望とも思わないが、何しろこの際の自分には、ちと贅沢《ぜいたく》過ぎたようだ。しかしこの贅沢心のために、自分は発作性《ほっさせい》の急往生を思いとまって、不束《ふつつか》ながら今日まで生きている。全く今はの際《きわ》にも弱点を引張っていた御蔭である。
 話すとこうなる。――いよいよ死んじまえと思って、体を心持|後《あと》へ引いて、手の握《にぎり》をゆるめかけた時に、どうせ死ぬなら、ここで死んだって冴《さ》えない。待て待て、出てから華厳《けごん》の瀑《たき》へ行けと云う号令――号令は変だが、全く号令のようなものが頭の中に響き渡った。ゆるめかけた手が自然と緊《しま》った。曇った眼が、急に明かるくなった。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]が燃えている。仰向《あおむ》くと、泥で濡《ぬ》れた梯子段が、暗い中まで続いている。是非共登らなければならない。もし途中で挫折《ざせつ》すれば犬死になる。暗い坑《あな》で、誰も人のいない所で、日の目も見ないで、鉱《あらがね》と同じようにころげ落ちて、それっきり忘れられるのは――案内の初さんにさえ忘れられるのは――よし見つかっても半獣半人の坑夫共に軽蔑《けいべつ》されるのは無念である。是非共登り切っちまわなければならない。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]は燃えている。梯子は続いている。梯子の先には坑が続いている。坑の先には太陽が照り渡っている。広い野がある、高い山がある。野と山を越して行けば華厳の瀑がある。――どうあっても登らなければならない。
 左の手を頭の上まで伸ばした。ぬらつく段木を指の痕《あと》のつくほど強く握った。濡れた腰をうんと立てた。同時に右の足を一尺上げた。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》は暗い中を竪《たて》に動いて行く。坑は層一層《そういっそう》と明かるくなる。踏み棄《す》てて去る段々はしだいしだいに暗い中に落ちて行く。吐く息が黒い壁へ当る。熱い息である。そうして時々は白く見えた。次には口を結んだ。すると鼻の奥が鳴った。梯子はまだ尽きない。懸崖《けんがい》からは水が垂れる。ひらりとカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を翻《ひるが》えすと、崖《がけ》の面《おもて》を掠《かす》めて弓形にじいと、消えかかって、手の運動の止まる所へ落ちついた時に、また真直に油煙を立てる。また翻《ひるが》えす。灯《ひ》は斜めに動く。梯子の通る一尺幅を外《はず》れて、がんがらがんの壁が眼に映《うつ》る。ぞっとする。眼が眩《くら》む。眼を閉《ねむ》って、登る。灯も見えない、壁も見えない。ただ暗い。手と足が動いている。動く手も動く足も見えない。手障足障《てざわりあしざわり》だけで生きて行く。生きて登って行く。生きると云うのは登る事で、登ると云うのは生きる事であった。それでも――梯子はまだある。
 それから先はほとんど夢中だ。自分で登ったのか、天佑《てんゆう》で登ったのかほとんど判然しない。ただ登り切って、もう一段も握る梯子がないと云う事を覚《さと》った時に、坑の中へぴたりと坐った。
「どうした。上がって来たか。途中で死にゃしねえかと思って、――あんまり長えから。見に行こうかと思ったが、一人じゃ気味がわるいからな。だけども、好く上がって来たな。えらいや」
と待ちかねて、もじもじしていた初さんが大いに喜んでくれた。何でも梯子《はしご》の上でよっぽど心配していたらしい。自分はただ、
「少し気分が悪《わ》るかったから途中で休んでいました」
と答えた。
「気分が悪い? そいつあ困ったろう。途中って、梯子の途中か」
「ええ、まあそうです」
「ふうん。じゃ明日《あす》は作業もできめえ」
 この一言《いちごん》を聞いた時、自分は糞《くそ》でも食《くら》えと思った。誰が土竜《もぐらもち》の真似なんかするものかと思った。これでも美しい女に惚《ほ》れられたんだと思った。坑《あな》を出れば、すぐ華厳《けごん》の瀑《たき》まで行くんだと思った。そうして立派に死ぬんだと思った。最後に半時もこんな獣《けだもの》を相手にしていられるものかと思った。そこで、自分は初さんに向って、簡単に、
「よければ上がりましょう」
と云った。初さんは怪訝《けげん》な顔をした。
「上がる? 元気だなあ」
 自分は「馬鹿にするねえ、この明盲目《あきめくら》め。人を見損《みそく》なやがって」と云いたかった。しかし口だけは叮嚀《ていねい》に、一言《ひとこと》、
「ええ」
と返事をして置いた。初さんはまだぐずぐずしている。驚いたと云うよりも、やっぱり馬鹿にしたぐずつき方《かた》である。
「おい大丈夫かい。冗談《じょうだん》じゃねえ。顔色が悪いぜ」
「じゃ僕が先へ行きましょう」
と自分はむっとして歩き出した。
「いけねえ、いけねえ。先へ行っちゃいけねえ、後《あと》から尾《つ》いて来ねえ」
「そうですか」
「当前《あたりめえ》だあな。人つけ。誰が案内を置《お》き去《ざり》にして、先へ行く奴があるかい、何でい」
と初さんは、自分を払い退《の》けないばかりにして、先へ出た。出たと思うと急に速力を増した。腰を折ったり、四つに這《は》ったり、背中を横《よこ》っ丁《ちょ》にしたり、頭だけ曲げたり、坑《あな》の恰好《かっこう》しだいでいろいろに変化する。そうして非常に急ぐ。まるで土の中で生れて、銅脈の奥で教育を受けた人間のようである。畜生|中《ちゅう》っ腹《ぱら》で急ぎやがるなと、こっちも負けない気で歩き出したが、そこへ行くと、いくら気ばかり張っていても駄目だ。五つ六つ角を曲って、下りたり上《あが》ったり、がたつかせているうちに、初さんは見えなくなった。と思うと、何とかして、何とか、てててててと云う歌を唄《うた》う。初さんの姿が見えないのに、初さんの声だけは、坑の四方へ反響して、籠《こも》ったように打ち返してくる。意地の悪い野郎だと思った。始めのうちこそ、追っついてやるから今に見ていろと云う勢《いきおい》で、根限《こんかぎ》り這ったり屈《かが》んだりしたが、残念な事には初さんの歌がだんだん遠くへ行ってしまう。そこで自分は追いつく事はひとまず断念して、初さんのてててててを道案内にして進む事にした。当分はそれで大概の見当《けんとう》がついたが、しまいにはそのててててても怪しくなって、とうとうまるで聞えなくなった時には、さすがに茫然《ぼうぜん》とした。一本道なら初さんなんどを頼りにしなくっても、自力《じりき》で日の当る所まで歩いて出て見せるが、何しろ、長年《ながねん》掘荒した坑《あな》だから、まるで土蜘蛛《つちぐも》の根拠地みたようにいろいろな穴が、とんでもない所に開《あ》いている。滅多《めった》な穴へ這入《はい》るとまた腰きり水に漬《つか》る所か、でなければ、例の逆《さか》さの桟道《さんどう》へ出そうで容易に踏み込めない。
 そこで自分は暗い中に立ち留って、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》を見詰めながら考えた。往きには八番坑まで下りて行ったんだから帰りには是非共電車の通る所まで登らなければならない。どんな穴でも上《のぼ》りならば好いとする。その代り下りなら引返して、また出直す事にする。そうして迂路《うろ》ついていたら、どこかの作事場《さくじば》へ出るだろう。出たら坑夫に聞くとしよう。こう決心をして、東西南北の判然しない所を好い加減に迷《まご》ついていた。非常に気が急《せ》いて息が切れたが、めちゃめちゃに歩いたために足の冷たいのだけは癒《なお》った。しかしなかなか出られない。何だか同じ路を往ったり来たりするような案排《あんばい》で、あんまり、もどかしものだから、壁へ頭をぶつけて割っちまいたくなった。どっちを割るんだと云えば無論頭を割るんだが、幾分か壁の方も割れるだろうくらいの疳癪《かんしゃく》が起った。どうも歩けば歩くほど天井《てんじょう》が邪魔になる、左右の壁が邪魔になる。草鞋《わらじ》の底で踏む段々が邪魔になる。坑総体が自分を閉じ込めて、いつまで立っても出してくれないのがもっとも邪魔になる。この邪魔ものの一局部へ頭を擲《たた》きつけて、せめて罅《ひび》でも入らしてやろうと――やらないまでも時々思うのは、早く華厳《けごん》の瀑《たき》へ行きたいからであった。そうこうしているうちに、向うから一人の掘子《ほりこ》が来た。ばらの銅《あかがね》をスノコ[#「スノコ」に傍点]へ運ぶ途中と見えて例の箕《み》を抱《だ》いてよちよちカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を揺《ゆ》りながら近づいた。この灯を見つけた時は、嬉しくって胸がどきりと飛び上がった。もう大丈夫と勇んで近寄って行くと、近寄るがものはない、向うでもこっちへ歩いて来る。二つのカンテラ[#「カンテラ」に傍点]が一間ばかりの距離に近寄った時、待ち受けたように、自分は掘子の顔を見た。するとその顔が非常な蒼《あお》ん蔵《ぞう》であった。この坑のなかですら、只事《ただごと》とは受取れない蒼ん蔵である。あかるみへ出して、青い空の下で見たら、大変な蒼ん蔵に違《ちがい》ない。それで口を利《き》くのが厭《いや》になった。こんな奴の癖に人に調戯《からか》ったり、嬲《なぶ》ったり、辱《はずか》しめたりするのかと思ったら、なおなお道を聞くのが厭《いや》になった。死んだって一人で出て見せると云う気になった。手前共に口を聞くような安っぽい男じゃないと、腹の中でたしかに申し渡して擦《す》れ違った。向うは何にも知らないから、これは無論だまって擦れ違った。行く先は暗くなった。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]は一つになった。気はますます焦慮《いら》って来た。けれどもなかなか出ない。ただ道はどこまでもある。右にも左にもある。自分は右にも這入った、また左にも這入った、また真直にも歩いて見た。しかし出られない。いよいよ出られないのかと、少しく途方に暮れている鼻の先で、かあんかあんと鳴り出した。五六歩で突き当って、折れ込むと、小さな作事場があって、一人の坑夫がしきりに槌《つち》を振り上げて鑿《のみ》を敲《たた》いている。敲くたんびに鉱《あらがね》が壁から落ちて来る。その傍《そば》に俵がある。これはさっきスノコ[#「スノコ」に傍点]へ投げ込んだ俵と同じ大きさで、もういっぱい詰っている。掘子《ほりこ》が来て担《かつ》いで行くばかりだ。自分は今度こそこいつに聞いてやろうと思った。が肝心《かんじん》の本人が一生懸命にかあんかあん鳴らしている。おまけに顔もよく見えない。ちょうどいいから少し休んで行こうと云う気が起った。幸い俵がある。この上へ尻をおろせば、持って来いの腰掛になる。自分はどさっとアテシコ[#「アテシコ」に傍点]を俵の上に落した。すると突然かあんかあんがやんだ。坑夫の影が急に長く高くなった。鑿《のみ》を持ったままである。
「何をしやがるんでい」
 鋭い声が穴いっぱいに響いた。自分の耳には敲《たた》き込まれるように響いた。高い影は大股に歩いて来る。
 見ると、足の長い、胸の張った、体格の逞《たくま》しい男であった。顔は背の割に小さい。その輪廓《りんかく》がやや判然する所まで来て、男は留まった。そうして自分を見下《みおろ》した。口を結んでいる。二重瞼《ふたえまぶた》の大きな眼を見張っている。鼻筋が真直《まっすぐ》に通っている。色が赭黒《あかぐろ》い。ただの坑夫ではない。突然として云った。
「貴様は新前《しんめえ》だな」
「そうです」
 自分の腰はこの時すでに俵を離れていた。何となく、向うから近づいてくる坑夫が恐ろしかった。今まで一万余人の坑夫を畜生のように軽蔑《けいべつ》していたのに、――誓って死んでしまおうと覚悟をしていたのに、――大股に歩いて来た坑夫がたちまち恐ろしくなった。しかし、
「何でこんな所を迷子《まご》ついてるんだ」
と聞き返された時には、やや安心した。自分の様子を見て、故意に俵の上へ腰をおろしたんでないと見極《みきわ》めた語調である。
「実は昨夕《ゆうべ》飯場《はんば》へ着いて、様子を見に坑《あな》へ這入《はい》ったばかりです」
「一人でか」
「いいえ、飯場頭《はんばがしら》から人をつけてくれたんですが……」
「そうだろう、一人で這入れる所じゃねえ。どうしたその案内は」
「先へ出ちまいました」
「先へ出た? 手前《てめえ》を置き去りにしてか」
「まあ、そうです」
「太《ふて》え野郎だ。よしよし今に己《おれ》が送り出してやるから待ってろ」
と云ったなり、また鑿《のみ》と槌《つち》をかあんかあん鳴らし始めた。自分は命令の通り待っていた。この男に逢《あ》ったら、もう一人で出る気がなくなった。死んでも一人で出て見せると威張った決心が、急にどこへか行ってしまった。自分はこの変化に気がついていた。それでも別に恥かしいとも思わなかった。人に公言した事でないから構わないと思った。その後《ご》人に公言したために、やらないでも済む事、やってはならない事を毎度やった。人に公言すると、しないのとは大変な違があるもんだ。その内かあんかあんがやんだ。坑夫はまた自分の前まで来て、胡坐《あぐら》をかきながら、
「ちょっと待ちねえ。一服やるから」
と、煙草入《たばこいれ》を取り出した。茶色の、皮か紙か判然しないもので、股引《ももひき》に差し込んである上から筒袖《つつっぽう》が被《かぶ》さっていた。坑夫は旨《うま》そうに腹の底まで吸った煙《けむ》を、鼻から吹き出している間《ま》に、短い羅宇《らお》の中途を、煙草入の筒でぽんと払《はた》いた。小さい火球《ひだま》が雁首《がんくび》から勢いよく飛び出したと思ったら、坑夫の草鞋《わらじ》の爪先《つまさき》へ落ちてじゅうと消えた。坑夫は殻《から》になった煙管《きせる》をぷっと吹く。羅宇の中に籠《こも》った煙が、一度に雁首から出た。坑夫はその時始めて口を利《き》いた。
「御前《おめえ》はどこだ。こんな所へ全体何しに来た。身体《からだ》つきは、すらりとしているようだが。今まで働いた事はねえんだろう。どうして来た」
「実は働いた事はないんです。が少し事情があって、来たんです。……」
とまでは云ったが、坑夫には愛想が尽きたから、もう、帰るんだとは云わなかった。死ぬんだとはなおさら云わなかった。しかし今までのように、腹の内《なか》で畜生あつかいにして、口先ばかり叮嚀《ていねい》にしていたのとはだいぶん趣《おもむき》が違う。自分はただ洗い攫《ざら》い自分の思わくを話してしまわないだけで、話しただけは真面目に話したんである。すこしも裏表はない。腹から叮嚀《ていねい》に答えた。坑夫はしばらくの間黙って雁首を眺《なが》めていた。それからまた煙草を詰めた。煙が鼻から出だした真最中に口を開《ひら》いた。
 自分がその時この坑夫の言葉を聞いて、第一に驚いたのは、彼の教育である。教育から生ずる、上品な感情である。見識である。熱誠である。最後に彼の使った漢語である。――彼《か》れは坑夫などの夢にも知りようはずがない漢語を安々と、あたかも家庭の間で昨日《きのう》まで常住坐臥《じょうじゅうざが》使っていたかのごとく、使った。自分はその時の有様をいまだに眼の前に浮べる事がある。彼れは大きな眼を見張ったなり、自分の顔を熟視したまま、心持|頸《くび》を前の方に出して、胡坐の膝《ひざ》へ片手を逆《ぎゃく》に突いて、左の肩を少し聳《そびやか》して、右の指で煙管を握って、薄い唇《くちびる》の間から奇麗《きれい》な歯を時々あらわして、――こんな事を云った。句の順序や、単語の使い方は、たしかな記憶をそのまま写したものである。ただ語声だけはどうしようもない。――
「亀の甲より年の功と云うことがあるだろう。こんな賤《いや》しい商売はしているが、まあ年長者の云う事だから、参考に聞くがいい。青年は情《じょう》の時代だ。おれも覚《おぼえ》がある。情の時代には失敗するもんだ。君もそうだろう。己《おれ》もそうだ。誰でもそうにきまってる。だから、察している。君の事情と己《おれ》の事情とは、どのくらい違うか知らないが、何しろ察している。咎《とが》めやしない。同情する。深い事故《わけ》もあるだろう。聞いて相談になれる身体《からだ》なら聞きもするが、シキ[#「シキ」に傍点]から出られない人間じゃ聞いたって、仕方なし、君も話してくれない方がいい。おれも……」
と云い掛けた時、自分はこの男の眼つきが多少異様にかがやいていたと云う事に気がついた。何だか大変感じている。これが当人の云うごとくシキ[#「シキ」に傍点]を出られないためか、または今云い掛けたおれも[#「おれも」に傍点]の後へ出て来る話のためか、ちょっと分りにくいが、何しろ妙な眼だった。しかもこの眼が鋭く自分をも見詰めている。そうしてその鋭いうちに、懐旧《かいきゅう》と云うのか、沈吟《ちんぎん》と云うのか、何だか、人を引きつけるなつかしみがあった。この黒い坑《あな》の中で、人気《ひとけ》はこの坑夫だけで、この坑夫は今や眼だけである。自分の精神の全部はたちまちこの眼球《めだま》に吸いつけられた。そうして彼の云う事を、とっくり聞いた。彼はおれも[#「おれも」に傍点]を二遍繰り返した。
「おれも、元は学校へ行った。中等以上の教育を受けた事もある。ところが二十三の時に、ある女と親しくなって――詳しい話はしないが、それが基《もと》で容易ならん罪を犯した。罪を犯して気がついて見ると、もう社会に容《い》れられない身体《からだ》になっていた。もとより酔興《すいきょう》でした事じゃない、やむを得ない事情から、やむを得ない罪を犯したんだが、社会は冷刻なものだ。内部の罪はいくらでも許すが、表面の罪はけっして見逃《みのが》さない。おれは正しい人間だ、曲った事が嫌《きらい》だから、つまりは罪を犯すようにもなったんだが、さて犯した以上は、どうする事もできない。学問も棄《す》てなければならない。功名も抛《なげう》たなければならない。万事が駄目だ。口惜《くや》しいけれども仕方がない。その上制裁の手に捕《とら》えられなければならない。(故意か偶然か、彼はとくに制裁の手と云う言語を使用した。)しかし自分が悪い覚《おぼえ》がないのに、むやみに罪を着るなあ、どうしても己《おれ》の性質としてできない。そこで突っ走った。逃げられるだけ逃げて、ここまで来て、とうとうシキ[#「シキ」に傍点]の中へ潜《もぐ》り込んだ。それから六年というもの、ついに日光《ひのめ》を見た事がない。毎日毎日坑の中でかんかん敲《たた》いているばかりだ。丸六年敲いた。来年になればもうシキ[#「シキ」に傍点]を出たって構わない、七年目だからな。しかし出ない、また出られない。制裁の手には捕《つら》まらないが、出ない。こうなりゃ出たって仕方がない。娑婆《しゃば》へ帰れたって、娑婆でした所業は消えやしない。昔は今でも腹ん中にある。なあ君昔は今でも腹ん中にあるだろう。君はどうだ……」
と途中で、いきなり自分に質問を掛けた。
 自分は藪《やぶ》から棒《ぼう》の質問に、用意の返事を持ち合せなかったから、はっと思った。自分の腹ん中にあるのは、昔《むかし》どころではない。一二年前から一昨日《おととい》まで持ち越した現在に等しい過去である。自分はいっその事自分の心事をこの男の前に打ち明けてしまおうかと思った。すると相手は、さも打ち明けさせまいと自分を遮《さえぎ》るごとくに、話の続きを始めた。
「六年ここに住んでいるうちに人間の汚ないところは大抵|見悉《みつく》した。でも出る気にならない。いくら腹が立っても、いくら嘔吐《おうと》を催《もよお》しそうでも、出る気にならない。しかし社会には、――日の当る社会には――ここよりまだ苦しい所がある。それを思うと、辛抱も出来る。ただ暗くって狭《せば》い所だと思えばそれで済む。身体も今じゃ銅臭《あかがねくさ》くなって、一日もカンテラ[#「カンテラ」に傍点]の油を嗅《か》がなくっちゃいられなくなった。しかし――しかしそりゃおれの事だ。君の事じゃない。君がそうなっちゃ大変だ。生きてる人間が銅臭くなっちゃ大変だ。いや、どんな決心でどんな目的を持って来ても駄目だ。決心も目的もたった二三日《にさんち》で突ッつき殺されてしまう。それが気の毒だ。いかにも可哀想《かわいそう》だ。理想も何にもない鑿《のみ》と槌《つち》よりほかに使う術《すべ》を知らない野郎なら、それで結構だが。しかし君のような――君は学校へ行ったろう。――どこへ行った。――ええ? まあどこでもいい。それに若いよ。シキ[#「シキ」に傍点]へ抛《ほう》り込まれるには若過ぎるよ。ここは人間の屑《くず》が抛り込まれる所だ。全く人間の墓所《はかしょ》だ。生きて葬《ほうぶ》られる所だ。一度|踏《ふ》ん込《ご》んだが最後、どんな立派な人間でも、出られっこのない陥穽《おとしあな》だ。そんな事とは知らずに、大方ポン引《びき》の言いなりしだいになって、引張られて来たんだろう。それを君のために悲しむんだ。人一人を堕落させるのは大事件だ。殺しちまう方がまだ罪が浅い。堕落した奴はそれだけ害をする。他人に迷惑を掛ける。――実はおれもその一人《いちにん》だ。が、こうなっちゃ堕落しているよりほかに道はない。いくら泣いたって、悔《くや》んだって堕落しているよりほかに道はない。だから君は今のうち早く帰るがいい。君が堕落すれば、君のためにならないばかりじゃない。――君は親があるか……」
 自分はただ一言《ひとこと》ある[#「ある」に傍点]と答えた。
「あればなおさらだ。それから君は日本人だろう……」
 自分は黙っていた。
「日本人なら、日本のためになるような職業についたらよかろう。学問のあるものが坑夫になるのは日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そうして正当な――君に適当な――日本の損にならないような事をやるさ。何と云ってもここはいけない。旅費がなければ、おれが出してやる。だから帰れ。分ったろう。おれは山中組にいる。山中組へ来て安《やす》さんと聞きゃあすぐ分る。尋ねて来るが好い。旅費はどうでも都合してやる」
 安さんの言葉はこれで終った。坑夫の数は一万人と聞いていた。その一万人はことごとく理非人情《りひにんじょう》を解しない畜類の発達した化物とのみ思い詰めたこの時、この人に逢《あ》ったのは全くの小説である。夏の土用に雪が降ったよりも、坑《あな》の中で安さんに説諭された方が、よほどの奇蹟《きせき》のように思われた。大晦日《おおみそか》を越すとお正月が来るくらいは承知していたが、地獄で仏と云う諺《ことわざ》も記憶していたが、窮《きわ》まれば通ずという熟語も習った事があるが、困った時は誰か来て助けてくれそうなものだくらいに思って、芝居気を起しては困っていた事もたびたびあるが、――この時はまるで違う。真から一万人を畜生と思い込んで、その畜生がまたことごとく自分の敵だと考え詰めた最強度の断案を、忘るべからざる痛忿《つうふん》の焔《ほのお》で、胸に焼きつけた折柄だから、なおさらこの安さんに驚かされた。同時に安さんの訓戒が、自分の初志を一度に翻《ひるが》えし得るほどの力をもって、自分の耳に応《こた》えた。
 しばらくは二人して黙っていた。安さんは一応云うだけの事を云ってしまったんだから、口を利《き》かないはずであるが、自分は先方に対して、何とか返事をする義務がある。義務をかいては安さんに済まない。心底《しんそこ》から感謝の意を表《ひょう》した上で、自分の考えも少し聞いてもらいたいのは山々であったが、何分にも鼻の奥が詰って不自由である。しかも強《し》いて言葉を出そうとすると、口へ出ないで鼻へ抜けそうになる。それを我慢すると、唇の両端《りょうはじ》がむずむずして、小鼻がぴくついて来る。やがて鼻と口を塞《せ》かれた感動が、出端《では》を失って、眼の中にたまって来た。睫《まつげ》が重くなる。瞼《まぶた》が熱くなる。大《おおい》に困った。安さんも妙な顔をしている。二人ともばつ[#「ばつ」に傍点]が悪くなって、差し向いで胡坐《あぐら》をかいたまま、黙っていた。その時次の作事場《さくじば》で鉱《あらがね》を敲《たた》く音がかあんかあん鳴った。今考えると、自分と安さんが黙然《もくねん》と顔を見合せていた場所は、地面の下何百尺くらいな深さだか、それを正確に知って置きたかった。都会でも、こんな奇遇は少い。銅山《やま》の中では有ろうはずがない。日の照らない坑《あな》の底で、世から、人から、歴史から、太陽からも、忘れられた二人が、ありがたい誨《おしえ》を垂れて、尊《たっ》とい涙を流した舞台があろうとは、胡坐をかいて、黙然と互に顔を見守っていた本人よりほかに知るものはあるまい。
 安さんはまた煙草《たばこ》を呑《の》み出した。ぷかりぷかりと煙《けむ》が出た。その煙が濃く出ては暗がりに消え、濃く出ては暗がりに消える間に、自分はようやく声が自由になった。
「ありがたいです。なるほどあなたのおっしゃる通り人間のいる所じゃないでしょう。僕もあなたに逢《あ》うまでは、今日《きょう》限り銅山《やま》を出ようかと思ってたんです。……」
 さすが山を出て死ぬつもりだったとは云いかねたから、ここでちょっと句を切ったら、
「そりゃなおさらだ。さっそく帰るがいい」
と、安さんが勢いをつけてくれた。自分はやっぱり黙っていた。すると、
「だから旅費はおれが拵《こしら》えてやるから」
と云う。自分はさっきから旅費旅費と聞かされるのを、ただ善意に解釈していたが、さればと云って毫《ごう》も貰う気は起らなかった。昨日《きのう》飯場頭《はんばがしら》の合力《ごうりょく》を断った時の料簡《りょうけん》と同じかと云うと、それとも違う。昨日は是非貰いたかった、地平《じびた》へ手を突いてまで貰いたかった。しかし草鞋銭《わらじせん》を貰うよりも、坑夫になる方が得だと勘定したから、手を出して頂きたいところを、無理に断ったんである。安さんの旅費は始めから貰いたくない。好意を空《むな》しくすると云う点から見れば、貰わなければ済まないし、坑夫をやめるとすれば貰う方が便利だが、それにもかかわらず貰いたくなかった。これは今から考えると、全く向うの人格に対して、貰っては恥ずべき事だ、こちらの人格が下がるという念から萌《きざ》したものらしい。先方がいかにも立派だから、こっちも出来るだけ立派にしたい、立派にしなければ、自分の体面を損《そこな》う虞《おそれ》がある。向うの好意を享《う》けて、相当の満足を先方に与えるのは、こちらも悦《よろこ》ばしいが、受けるべき理由がないのに、濫《みだ》りに自己の利得のみを標準《めやす》に置くのは、乞食と同程度の人間である。自分はこの尊敬すべき安さんの前で、自分は乞食である、乞食以上の人物でないと云う事実上の証明を与えるに忍びなかった。年が若いと馬鹿な代りに存外|奇麗《きれい》なものである。自分は
「旅費は頂きません」
と断った。
 この時安さんは、煙草を二三ぶく吸《ふか》して、煙管《きせる》を筒《つつ》へ入れかけていたが、自分の顔をひょいと見て
「こりゃ失敬した」
と云ったんで、自分は非常に気の毒になった。もしやるから貰って置けとでも強いられたならきっと受けたに違ない。その後《ご》気をつけて、人が金を貰うところを見ていると、始めは一応辞退して、後では大抵|懐《ふところ》へ入れるようだが、これは全くこの心理状態の発達した形式に過ぎないんだろうと思う。幸い安さんがえらい男で、「こりゃ失敬した」と云ってくれたんで、自分はこの形式に陥《おちい》らずに済んだのはありがたかった。
 安さんはすぐさま旅費の件を撤回して
「だが東京へは帰るだろうね」
と聞き直した。自分は、死ぬ決心が少々|鈍《にぶ》った際だから、ことによれば、旅費だけでも溜めた上、帰る事にしようと云う腹もあったんで、
「よく考えて見ましょう。いずれその中《うち》また御相談に参りますから」
と答えた。
「そうか。それじゃ、とにかく路の分る所まで送ってやろう」
と煙草入《たばこいれ》を股引《ももひき》へ差し込んで、上から筒服《つつっぽう》の胴を被《かぶ》せた。自分はカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げて腰を上げた。安さんが先へ立つ。坑《あな》は存外登り安かった。例の段々を四五遍通り抜けて、二度ほど四つん這《ば》いになったら、かなり天井《てんじょう》の高い、真直《まっすぐ》に立って歩けるような路へ出た。それをだらだらと廻り込んで、右の方へ登り詰めると、突然第一見張所の手前へ出た。安さんは電気灯の見える所で留った。
「じゃ、これで別れよう。あれが見張所だ。あすこの前を右へついて上がると、軌道《レール》の敷いてある所へ出る。それから先は一本道だ。おれはまだ時間が早いから、もう少し働いてからでなくっちゃあ出られない。晩には帰る。五時過ならいるから、暇があったら来るがいい。気をつけて行きたまえ。さようなら」
 安さんの影はたちまち暗い中へ這入《はい》った。振り向いて、一口《ひとくち》礼を云った時は、もうカンテラ[#「カンテラ」に傍点]が角を曲っていた。自分は一人でシキ[#「シキ」に傍点]の入口を出た。ふらふら長屋まで帰って来る。途中でいろいろ考えた。あの安さんと云う男が、順当に社会の中で伸びて行ったら、今頃は何に成っているか知らないが、どうしたって坑夫より出世しているに違ない。社会が安さんを殺したのか、安さんが社会に対して済まない事をしたのか――あんな男らしい、すっきりした人が、そうむやみに乱暴を働く訳がないから、ことによると、安さんが悪いんでなくって、社会が悪いのかも知れない。自分は若年《じゃくねん》であったから、社会とはどんなものか、その当時|明瞭《めいりょう》に分らなかったが、何しろ、安さんを追い出すような社会だから碌《ろく》なもんじゃなかろうと考えた。安さんを贔屓《ひいき》にするせいか、どうも安さんが逃げなければならない罪を犯したとは思われない。社会の方で安さんを殺したとしてしまわなければ気が済まない。その癖今云う通り社会とは何者だか要領を得ない。ただ人間だと思っていた。その人間がなぜ安さんのような好い人を殺したのかなおさら分らなかった。だから社会が悪いんだと断定はして見たが、いっこう社会が憎らしくならなかった。ただ安さんが可哀想《かわいそう》であった。できるなら自分と代ってやりたかった。自分は自分の勝手で、自分を殺しにここまで来たんである。厭《いや》になれば帰っても差支《さしつかえ》ない。安さんは人間から殺されて、仕方なしにここに生きているんである。帰ろうたって、帰る所はない。どうしても安さんの方が気の毒だ。
 安さんは堕落したと云った。高等教育を受けたものが坑夫になったんだから、なるほど堕落に違ない。けれどもその堕落がただ身分の堕落ばかりでなくって、品性の堕落も意味しているようだから痛ましい。安さんも達磨《だるま》に金を注《つ》ぎ込むのかしら、坑《あな》の中で一六勝負《いちろくしょうぶ》をやるのかしら、ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]を病人に見せて調戯《からか》うのかしら、女房を抵当に――まさか、そんな事もあるまい。昨日《きのう》着き立ての自分を見て愚弄《ぐろう》しないもののないうちで、安さんだけは暗い穴の底ながら、十分自分の人格を認めてくれた。安さんは坑夫の仕事はしているが、心《しん》までの坑夫じゃない。それでも堕落したと云った。しかもこの堕落から生涯《しょうがい》出る事ができないと云った。堕落の底に死んで活《い》きてるんだと云った。それほど堕落したと自覚していながら、生きて働いている。生きてかんかん敲《たた》いている。生きて――自分を救おうとしている。安さんが生きてる以上は自分も死んではならない。死ぬのは弱い。……
 こう決心をして、何でも構わないから、ひとまず坑夫になった上として、できるだけ急ぎ足で帰って来ると、長屋の半丁ばかり手前に初さんが石へ腰を掛けて待っている。雨は歇《や》んだ。空はまだ曇っているが、濡《ぬ》れる気遣《きづかい》はない。山から風が吹いて来る。寒くても、世界の明かるいのが、非常に嬉《うれ》しい。自分が嬉しさの余り、疲れた足を擦《ず》りながら、いそいそ近づいてくると、初さんは奇怪《けげん》な顔をして、
「やあ出て来たな。よく路《みち》が分ったな」
と云った。自分が案内につけられながら、他《ひと》を置き去りにして、何とかして何とか、てててててと云う唄《うた》をうたって、大いに焦《じら》して置いて、他が大迷《おおまご》つきに、迷《まご》ついて、穴の角《かど》へ頭をぶっつけて割って見ようとまで思ったあげく、やっとの事で安さんの御情《おなさけ》で出て来れば、「よく路が分ったな」と空とぼけている。その癖親方が怖《こわ》いものだから、途中で待ち合せて、いっしょに連れて帰ろうと云う目算《もくろみ》である。自分は石へ腰を掛けて薄笑いをしているこの案内の頭の上へ唾液《つばき》を吐きかけてやろうかと思った。しかし自分は死ぬのを断念したばかりである。当分はここに留《とど》まらなくっちゃならない身体《からだ》である。唾液を吐きかければ、喧嘩《けんか》になるだけである。喧嘩をすれば負けるだけである。負けた上にスノコ[#「スノコ」に傍点]の中へぶちこまれてはせっかく死ぬのを断念した甲斐《かい》がない。そこで、こう云う答をした。
「どうか、こうか出て来ました」
 すると初さんはなおさら不思議な顔をして、
「へえ。感心だね。一人で出て来たのか」
と聞いた。その時自分は年の割にはうまくやった。旨《うま》くやったと云うくらいだから、ただ自分の損にならないようにと云うだけで、それより以外に賞《ほ》める価値《ねうち》のある所作《しょさ》じゃないが、とにかく十九にしては、なかなか複雑な曲者《くせもの》だと思う。と云うのは、こう聞かれた時に、安さんの名前がつい咽喉《のど》の先まで出たんである。ところをとうとう云わずにしまったのが自慢なのだ。随分くだらない自慢だが訳を話せば、こんな料簡《りょうけん》であった。山中組の安さんは勢力のある坑夫に違ない。この安さんがわざわざ第一見張所の傍《そば》まで見ず知らずの自分を親切に連れて来てくれたと云う事が知れ渡れば、この案内者は面目を失うにきまっている。責任のある自分が、責任を抛《ほう》り出して、先へ坑《あな》を飛び出してしまったと分る以上は――しかもそれが悪意から出たと明瞭《めいりょう》に証拠《しょうこ》だてられる以上は、こいつは親方に対して済ましちゃいられない。となると後できっと敵《かたき》を打つだろう。無責任が露見《ばれ》るのは痛快だが――自分はけっして寛大の念に制せられたなんて耶蘇教流《ヤソきょうりゅう》の嘘《うそ》はつかない。――そこまでは痛快だが、敵打《かたきうち》は大《おおい》に迷惑する。実のところ自分はこの迷惑の念に制せられた。それで、
「ええ、いろいろ路を聞いて出て来ました」
とおとなしい返事をして置いた。
 初さんは半分失望したような、半分安心したような顔つきをしたが、やがて石から腰を上げて、
「親方の所へ行こう」
とまた歩き出した。自分は黙って尾《つ》いて行った。昨日《きのう》親方に逢《あ》ったのは飯場《はんば》だが、親方の住んでる所は別にある。長屋の横を半丁ほど上《のぼ》ると、石垣で二方の角《かど》を取って平《なら》した地面の上に二階建がある。家はさほど見苦しくもないが、家のほかには木も庭もない。相変らず二階の窓から悪魔が首を出している。入口まで来て、初さんが外から声を掛けると、窓をがらりと開けて、飯場頭《はんばがしら》が顔を出した。米利安《めりやす》の襯衣《シャツ》の上へどてら[#「どてら」に傍点]を着たままである。
「帰《けえ》ったか。御苦労だった。まああっちへ行って休みねえ」
と云うが早いか初さんは消えてなくなった。後《あと》は二人になる。親方は窓の中から、自分は表に立ったまま、談話《はなし》をした。
「どうです」
「大概見て来ました」
「どこまで降りました」
「八番坑まで降りました」
「八番坑まで。そりゃ大変だ。随分ひどかったでしょう。それで……」
と心持首を前の方へ出した。
「それで――やっぱりいるつもりです」
「やっぱり」
と繰り返したなり、飯場頭はじっと自分の顔を見ていた。自分も黙って立っていた。二階からは依然として首が出ている。おまけに二つばかり殖《ふ》えた。この顔を見ると、厭《いや》で厭でたまらない。飯場へ帰ってから、この顔に取り巻かれる事を思い出すと、ぞっとする。それでもいる気である。どんな辛抱をしてもいる気である。しかし「やっぱりいるつもりです」と断然答えて置いて、二階の顔を不意に見上げた時には、さすがに情なかった。こんな奴といっしょに置いてくれと、手を合せて拝まなければ始末がつかないようになり下がったのかと思うと、身体《からだ》も魂も塩を懸《か》けた海鼠《なまこ》のようにたわいなくなった。その時飯場頭はようやく口を利《き》いた。奇麗《きれい》さっぱりと利いた。
「じゃ置く事にしよう。だが規則だから、医者に一遍見て貰ってね。健康の証明書を持って来なくっちゃいけない。――今日と――今日は、もう遅いから、明日《あした》の朝、行って見て貰ったらよかろう。――診察場かい。診察場はこれから南の方だ。上がって来る時、見えたろう。あの青いペンキ塗りの家《うち》だ。じゃ今日は疲れたろうから、飯場へ帰って緩《ゆっ》くり御休み」
と云って窓を閉《た》てた。窓を閉てる前に自分はちょっと頭を下げて、飯場へ引返した。緩《ゆっ》くり御休と云ってくれた飯場頭《はんばがしら》の親切はありがたいが、緩くり寝られるくらいなら、こんなに苦しみはしない。起きていれば獰猛組《どうもうぐみ》、寝れば南京虫《ナンキンむし》に責められるばかりだ。たまたま飯の蓋《ふた》を取れば咽喉《のど》へ通らない壁土が出て来る。――しかしいる。いるときめた以上は、どうしてもいて見せる。少くとも安さんが生きてるうちはいる。シキ[#「シキ」に傍点]の人間がみんな南京虫になっても、安さんさえ生きて働いてるうちは、自分も生きて働く考えである。こう考えながら半丁ほどの路を降りて飯場《はんば》へ帰って、二階へ上がった。上がると案のじょう大勢|囲炉裏《いろり》の傍《そば》に待ち構えている。自分はくさくさしたが、できるだけ何喰わぬ顔をして、邪魔にならないような所へ坐った。すると始まった。皮肉だか、冷評だか、罵詈《ばり》だか、滑稽《こっけい》だか、のべつに始まった。
 一々覚えている。生涯《しょうがい》忘れられないほどに、自分の柔らかい頭を刺激したから、よく覚えている。しかし一々繰返す必要はない。まず大体|昨日《きのう》と同じ事と思えば好い。自分は急に安さんに逢《あ》いたくなった。例の夕食《ゆうめし》を我慢して二杯食って、みんなの眼につかないようにそっと飯場を抜け出した。
 山中組はジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]の通った石垣の間を抜けて、だらだら坂の降り際《ぎわ》を、右へ上《のぼ》ると斜《はす》に頭の上に被《かぶ》さっている大きな槐《えんじゅ》の奥にある。夕暮の門口《かどぐち》を覗《のぞ》いたら、一人の掘子《ほりこ》がカンテラの灯《ひ》で筒服《つつっぽう》の掃除をしていた。中は存外静かである。
「安さんは、もうお帰りになりましたか」
と叮嚀《ていねい》に聞くと、掘子は顔を上げてちょいと自分を見たまま、奥を向いて、
「おい、安さん、誰か尋ねて来たよ」
と呼び出しにかかるや否や、安さんは待ってたと云わんばかりに足音をさせて出て来た。
「やあ来たな。さあ上《あが》れ」
 見ると安さんは唐桟《とうざん》の着物に豆絞《まめしぼり》か何《な》にかの三尺を締めて立っている。まるで東京の馬丁《べっとう》のような服装《なり》である。これには少し驚いた。安さんも自分の様子を眺《なが》めて首を傾《かし》げて、
「なるほど東京を走ったまんまの服装《なり》だね。おれも昔はそう云う着物を着たこともあったっけ。今じゃこれだ」
と両袖《りょうそで》の裄《ゆき》を引っ張って見せる。
「何と見える。車引かな」
と云うから、自分は遠慮してにやにや笑っていた。安さんは、
「ハハハハ根性《こんじょう》はこれよりまだ堕落しているんだ。驚いちゃいけない」
 自分は何と答えていいか分らないから、やはりにやにや笑って立っていた。この時分は手持無沙汰《てもちぶさた》でさえあればにやにやして済ましたもんだ。そこへ行くと安さんは自分より遥《はる》か世馴《よな》れている。この体《てい》を見て、
「さっきから来るだろうと思って待っていた。さあ上《あが》れ」
と向うから始末をつけてくれた。この人は世馴れた知識を応用して、世馴れない人を救《たす》ける方の側《がわ》だと感心した。こいつを逆にして馬鹿にされつけていたから特別に感心したんだろう。そこで安さんの云う通り長屋へ上って見た。部屋はやっぱり広いが、自分の泊った所ほどでもない。電気灯は点《つ》いている。囲炉裏《いろり》もある。ただ人数《にんず》が少い、しめて五六人しかいない。しかも、それが向うに塊《かたま》ってるから、こっちはたった二人である。そこでまた話を始めた。
「いつ帰る」
「帰らない事にしました」
 安さんは馬鹿だなあと云わないばかりの顔をして呆《あき》れている。
「あなたのおっしゃった事は、よく分っています。しかし僕だって、酔興《すいきょう》にここまで来た訳じゃないんですから、帰るったって帰る所はありません」
「じゃやっぱり世の中へ顔が出せないような事でもしたのか」
と安さんは鋭い口調で聞いた。何だか向うの方がぎょっとしたらしい。
「そうでもないんですが――世の中へ顔が出したくないんです」
と答えると、自分の態度と、自分の顔つきと、自分の語勢を注意していた安さんが急に噴《ふ》き出した。
「冗談云っちゃいけねえ。そんな酔狂があるもんか。世の中へ顔が出したくないた何の事だ。贅沢《ぜいたく》じゃねえか。そんな身分に一日でも好いからなって見てえくらいだ」
「代れれば代って上げたいと思います」
と至極《しごく》真面目に云うと、安さんは、また噴き出した。
「どうも手のつけようがないね。考えて御覧な。世の中へ顔が出したくないものがさ、このシキ[#「シキ」に傍点]へ顔が出したくなれるかい」
「ちっとも出したくはありません。仕方がないから――仕方がないんです。昨夕《ゆうべ》も今日も散々|苛責《いじめ》られました」
 安さんはまた笑い出した。
「太《ふて》え野郎だ。誰が苛責た。年の若いものつらまえて。よしよしおれが今に敵《かたき》を打ってやるから。その代り帰るんだぜ」
 自分はこの時大変心丈夫になった。なおなお留《とど》まる気になった。あんな獰猛《どうもう》もこっちさえ強くなりゃちっとも恐ろしかないんだ、十把一束《じっぱひとからげ》に罵倒するくらいの勇気がだんだん出てくるんだと思った。そこで安さんに敵は取ってくれないでも好いから、どうか帰さずに当分置いて貰えまいかと頼んだ。安さんは、あまりの馬鹿らしさに、気の毒そうな顔をして、呆《あき》れ返っていたが、
「それじゃ、いるさ。――何も頼むの頼まないのって、そりゃ君の勝手だあね。相談するがものはないや」
「でも、あなたが承知して下さらないと、いにくいですから」
「せっかくそう云うんなら、当分にするがいい。長くいちゃいけない」
 自分は謹《つつし》んで安さんの旨《むね》を領《りょう》した。実際自分もその考えでいたんだから、これはけっして御交際《おつきあい》の挨拶《あいさつ》ではなかった。それからいろいろな話をしたがシキ[#「シキ」に傍点]の中の述懐と大した変りはなかった。ただ安さんの兄《あに》さんが高等官になって長崎にいると云う事を聞いて、大いに感動した。安さんの身になっても、兄さんの身になっても、定めし苦しいだろうと思うにつけ、自分と自分の親と結びつけて考え出したら何となく悲しくなった。帰る時に安さんが出口まで送って来て、相談でもあるならいつでも来るが好いと云ってくれた。
 表へ出ると、いつの間《ま》にか曇った空が晴れて、細い月が出ている。路は存外明るい、その代り大変寒い。袷《あわせ》を通して、襯衣《シャツ》を通して、蒲鉾形《かまぼこなり》の月の光が肌まで浸《し》み込んで来るようだ。両袖を胸の前へ合せて、その中へ鼻から下を突込んで肩をできるだけ聳《そび》やかして歩行《ある》き出した。身体《からだ》はいじけているが腹の中はさっきよりだいぶん豊かになった。何の当分のうちだ。馴《な》れればそう苦にする事はない。何しろ一万余人もかたまって、毎日毎日いっしょに働いて、いっしょに飯を食って、いっしょに寝ているんだから、自分だって七日も練習すれば、一人前《いちにんまえ》に堕落する事はできるに違ない。――この時自分の頭の中には、堕落の二字がこの通りに出て来た。しかしただこの場合に都合のいい文字として湧《わ》いて出たまでで、堕落の内容を明かに代表していなかったから、別に恐ろしいとも思わなかった。それで、比較的元気づいて飯場《はんば》へ帰って来た。五六間手前まで来ると、何だかわいわい云っている。外は淋《さび》しい月である。自分は家《うち》の騒ぎを聞いて、淋しい月を見上げて、しばらく立っていた。そうしたら、どうも這入《はい》るのが厭《いや》になった。月を浴びて外に立っているのも、つらくなった。安さんの所へ行って泊めてもらいたくなった。一歩引き返して見たが、あんまりだと気を取り直して、のそのそ長屋へ這入った。横手に広い間《ま》があって、上り口からは障子《しょうじ》で立て切ってある。電気灯が頭の上にあるから影は一つも差さないが、騒ぎはまさにこの中《うち》から出る。自分は下駄《げた》を脱いで、足音のしないように、障子の傍《そば》を通って、二階へ上がった。段々を登り切って、大きな部屋を見渡した時、ほっと一息ついた。部屋には誰もいない。
 ただ金《きん》さんが平たく煎餅《せんべい》のようになって寝ている。それから例の帆木綿《ほもめん》にくるまって、ぶら下がってる男もいる。しかし両方とも極《きわ》めて静かだ。いてもいないと同じく、部屋は漠然《ばくぜん》としてただ広いものだ。自分は部屋の真中まで来て立ちながら考えた。床を敷いて寝たものだろうか、ただしは着のみ着のままで、ごろりと横になるか、または昨夕《ゆうべ》の通り柱へ倚《もた》れて夜を明そうか。ごろ寝は寒い、柱へ倚《よ》り懸《かか》るのは苦しい。どうかして布団《ふとん》を敷きたい。ことによれば今日は疲れ果てているから、南京虫《ナンキンむし》がいても寝られるかも知れない。それに蒲団《ふとん》の奇麗《きれい》なのを選《よ》ったらよかろう。ことさら日によって、南京虫の数が違わないとも限るまい。といろいろな理窟《りくつ》をつけて布団を出して、そうっと潜《もぐ》り込んだ。
 この晩の、経験を記憶のまま、ここに書きつけては、自分がお話しにならない馬鹿だと吹聴《ふいちょう》する事になるばかりで、ほかに何の利益も興味もないからやめる。一口《ひとくち》に云うと、昨夜《ゆうべ》と同じような苦しみを、昨夜以上に受けて、寝るが早いか、すぐ飛び起きちまった。起きた後で、あれほど南京虫に螫《さ》されながら、なぜ性懲《しょうこり》もなくまた布団《ふとん》を引っ張り出して寝たもんだろうと後悔した。考えると、全くの自業自得《じごうじとく》で、しかも常識のあるものなら誰でも避《よ》けられる、また避けなければならない自業自得だから、我れながら浅ましい馬鹿だと、つくづく自分が厭《いや》になって、布団の上へ胡坐《あぐら》をかいたまま、考え込んでいると、また猛烈にちくりと螫された。臀《しり》と股《もも》と膝頭《ひざがしら》が一時に飛び上がった。自分は五位鷺《ごいさぎ》のように布団の上に立った。そうして、四囲《あたり》を見廻した。そうして泣き出した。仕方がないから、紺《こん》の兵児帯《へこおび》を解いて、四つに折って、裸の身体中所嫌わず、ぴしゃぴしゃ敲《たた》き始めた。それから着物を着た。そうして昨夜の柱の所へ行った。柱に倚《よ》りかかった。家《うち》が恋しくなった。父よりも母よりも、艶子さんよりも澄江さんよりも、家の六畳の間が恋しくなった。戸棚に這入《はい》ってる更紗《さらさ》の布団と、黒天鵞絨《くろびろうど》の半襟《はんえり》の掛かった中形の掻捲《かいまき》が恋しくなった。三十分でも好いから、あの布団を敷いて、あの掻捲を懸《か》けて、暖《あっ》たかにして楽々寝て見たい、今頃は誰があの部屋へ寝ているだろうか。それとも自分がいなくなってから後《のち》は、机を据《す》えたまんま、空《がら》ん胴《どう》にしてあるかしらん。そうすると、あの布団も掻捲も、畳んだなり戸棚にしまってあるに違ない。もったいないもんだ。父も母も澄江さんも艶子さんも南京虫に食われないで仕合せだ。今頃は熟睡しているだろう。羨《うらや》ましい。――それとも寝られないで、のつそつしているかしらん。父は寝られないと疳癪《かんしゃく》を起して、夜中に灰吹をぽんぽん敲《たた》くのが癖だ。煙草《たばこ》を呑《の》むんだと云うが、煙草は仮託《かこつけ》で、実は、腹立紛れに敲きつけるんじゃないかと思う。今頃はしきりに敲いてるかも知れない。苦々《にがにが》しい倅《せがれ》だと思って敲いてるか、どうなったろうと心配の余り眼を覚まして敲いてるか。どっちにしても気の毒だ。しかしこっちじゃそれほどにも思っていないから、先方《さき》でもそう苦にしちゃいまい。母は寝られないと手水《ちょうず》に起きる。中庭の小窓を明けて、手を洗って、桟《さん》をおろすのを忘れて、翌朝《あくるあさ》よく父に叱られている。昨夜も今夜もきっと叱られるに違ない。澄江さんはぐうぐう寝ている――どうしても寝ている。自分のいる前では、丸くなったり、四角になったりいろいろな芸をして、人を釣ってるが、いなくなれば、すぐに忘れて、平生《へいぜい》の通り御膳《ごぜん》をたべて、よく寝る女だから、是非に及ばない。あんな女は、今まで見た新聞小説にはけっして出て来ないから、始めは不思議に思ったが、ちゃんと証拠があるんだから確かである。こう云う女に恋着しなければならないのは、よッぽどの因果《いんが》だ。随分憎らしいと思うが、憎らしいと思いながらもやッぱり惚《ほ》れ込んでいるらしい。不都合な事だ。今でも、あの色の白い顔が眼前《めさき》にちらちらする。怪《け》しからない顔だ。艶子さんは起きてる。そうして泣いてるだろう。はなはだ気の毒だ。しかしこっちで惚れた覚《おぼえ》もなければ、また惚れられるような悪戯《いたずら》をした事がないんだから、いくら起きていても、泣いてくれても仕方がない。気の毒がる事は、いくらでも気の毒がるが仕方がない。構わない事にする。――そこで最後には、ほかの事はどうともするから、ただ安々と楽寝がさせて貰いたい。不断の白い飯も虫唾《むしず》が走るように食いたいが、それよりか南京虫《ナンキンむし》のいない床《とこ》へ這入《はい》りたい。三十分でも好いからぐっすり寝て見たい。その後《あと》でなら腹でも切る。……
 こう考えているとまた夜が明けた。考えている途中でいつか寝たものと見えて、眼が覚《さ》めた時は、何にも考えていなかった。それからあとは、のそのそ下へ降りて行って、顔を洗って、南京米《ナンキンまい》を食う。万事|昨日《きのう》の通りだから、省《はぶ》いてしまう。九時の例刻を待ちかねて病院へ出掛ける。病院は一昨日《おととい》山を登って来る時に見た、青いペンキ塗の建物と聞いているから道も家《うち》も間違えようがない。飯場《はんば》を出て二丁ばかり行くと、すぐ道端《みちばた》にある。木造ではあるがなかなか立派な建築で、広さもかなりだけに、獰猛組《どうもうぐみ》とはまるで不釣合である。野蛮人が病気をするんでさえすでに不思議なくらいだのに、病気に罹《かか》ったものを治療してやるための器械と薬品と医者と建物を具《そな》えつけたんだから、世の中は妙だと云う感じがすぐに起る。まるで泥棒が金を出し合って、小学校を建てて子弟を通学させてるようなもんだ。文明と蒙昧《もうまい》の両極端がこのペンキ塗の青い家の中で出逢《であ》って、一方が一方へ影響を及ぼすと、蒙昧がますますぴんぴん蒙昧になってくる。下手《へた》に食い違った結果が起るもんだ。と考えながら歩いて来ると、また鬼共が窓から首を出して眺《なが》めている。せっかくの考えもこの気味のわるい顔を見上げるとたちまち崩《くず》れてしまう。あの顔のなかに安さんのようなのが、たった一つでもあれば、生き返るほど嬉しいだろうに、どれもこれも申し合せたように獰猛の極致を尽している。あれじゃ、どうしたって病院の必要があるはずがないとまで思った。
 天気だけは好都合にすっかり晴れた。赤土を劈《さ》いたような山の壁へ日が当る。昨日、一昨日の雨を吸込んだ土は、東から差す日を受けて、まだ乾かない。その上照る日をいくらでも吸い込んで行く。景色《けしき》は晴れがましいうちに湿《しっ》とりと調子づいて、長屋と長屋の間から、下の方の山を見ると、真蒼《まっさお》な色が笑《え》み割れそうに濃く重なっている。風は全く落ちた。昨夕《ゆうべ》と今朝とではほとんど十五度以上も違うようである。道傍《みちばた》に、たった一つ蒲公英《たんぽぽ》が咲いている。もったいないほど奇麗な色だ。これも獰猛とはまるで釣り合ない。
 病院へ着いた。和土《たたき》の廊下が地面と擦《す》れ擦れに五六間続いている突き当りに、診察室と云う札が懸《かか》って、手前の右手に控所と書いてある。今云った一間幅の廊下を横切って、控所へ這入《はい》ると、下はやはり和土で、ベンチが二脚ほど並べてある。小さい硝子窓《ガラスまど》には受附と楷書で貼《は》りつけてある。自分はこの窓口へ行って、自分の姓名を書いた紙片《かみきれ》を出すと、窓の中に腰を掛けていた二十二三の若い男が、その紙片を受取って、ありもしない眉《まみえ》へ八の字を寄せて、むずかしそうにとくと眺《なが》めた上、
「こりゃ御前か」
と、さも横風《おうふう》に云った。あまり好い心持ではなかった。何の必要があって、こう自分を軽蔑《けいべつ》するんだか不平に堪《た》えない。それで単に、
「ええ」
と出来るだけ愛嬌《あいきょう》のない返事をした。受附は、それじゃ、まだ挨拶《あいさつ》が足りないと云わんばかりに、しばらくは自分を睨《にら》めていたが、こっちもそれっ切り口を結んで立っていたもんだから、
「少し待っていろ」
と、ぴしゃりと硝子戸《ガラスど》を締めて出て行った。草履《ぞうり》の音がする。あんなにばたばた云わせなくっても好さそうなもんだと思った。
 自分はベンチへ腰を掛けた。受附はなかなか帰って来ない。ぼんやりしていると、眼の前にジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]が出て来た。金《きん》さんがよっしょいよっしょいと担《かつ》がれて来るところが見える。あれでも病院が必要なのかと思った。何のために薬を盛って、患者を施療《せりょう》するのか、ほとんど意義をなさない。こんな体裁《ていさい》のいい偽善はない。病人はいじめるだけいじめる。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]は囃《はや》したいだけ囃す。その代り医者にかけてやると云うのか。鄭重《ていちょう》の至りである。
「おいあっちへ廻れ」
と突然受附の声がした。見ると受附は硝子窓の中に威丈高《いたけだか》に突立って、自分を眼下に睥睨《へいげい》している。自分は控所を出た。右へ折れて、廊下伝いに診察場へ上がったら、薬の臭《におい》がぷんとした。この臭を嗅《か》ぐと等《ひと》しく、自分も、もうやがて死ぬんだなと思い出した。死んでここの土になったら不思議なものだ。こう云うのを運命というんだろう。運命の二字は昔から知ってたが、ただ字を知ってるだけで意味は分らなかった。意味は分っても、納得《なっとく》がむずかしかった。西洋人が筍《たけのこ》を想像するように定義だけを心得て満足していた。けれども人間の一大事たる死と云う実際と、人間の獣類たる坑夫の住んでいるシキ[#「シキ」に傍点]とを結びつけて、二三日前まで不足なく生い立った坊っちゃんを突然宙に釣るして、この二つの間に置いたとすると、坊っちゃんは始めてなるほどと首肯する。運命は不可思議な魔力で可憐な青年を弄《もてあそ》ぶもんだと云う事が分る。すると今までただの山であったものが、ただの山でなくなる。ただの土であったものがただの土でなくなる。青いばかりと思った空が、青いだけでは済まなくなる。この病院の、この診察場の、この薬品の、この臭いまでが夢のような不思議になる。元来この椅子《いす》に腰を掛けている本人からしてが、何物だかほとんど要領を得ない。本人以外の世界は明瞭《めいりょう》に見えるだけで、どんな意味のある世界かさっぱり見当《けんとう》がつかない。自分は、診察場と薬局とをかねたこの一室の椅子に倚《よ》って、敷物と、洋卓《テエーブル》と、薬瓶《くすりびん》と、窓と、窓の外の山とを見廻した。もっとも明瞭な視覚で見廻したが、すべてがただ一幅の画《え》と見えるだけで、その他《ほか》には何物をも認める事ができなかった。
 そこへ戸を開けて、医者があらわれた。その顔を見ると、やっぱり坑夫の類型《タイプ》である。黒のモーニングに縞《しま》の洋袴《ズボン》を着て、襟《えり》の外へ顎《あご》を突き出して、
「御前か、健康診断をして貰うのは」
と云った。この語勢には、馬に対しても、犬に対しても、是非腹の内《なか》で云うべきほどの敬意が籠《こも》っていた。
「ええ」
と自分は椅子を離れた。
「職業は何だ」
「職業って別に何にもないんです」
「職業がない。じゃ、今まで何をして生きていたのか」
「ただ親の厄介《やっかい》になっていました」
「親の厄介になっていた。親の厄介になって、ごろごろしていたのか」
「まあ、そうです」
「じゃ、ごろつきだな」
 自分は答をしなかった。

「裸になれ」
 自分は裸になった。医者は聴診器で胸と背中をちょっと視《み》た上、いきなり自分の鼻を撮《つま》んだ。
「息をして見ろ」
 息が口から出る。医者は口の所へ手をあてがった。
「今度《こんだ》口を塞《ふさ》ぐんだ」
 医者は鼻の下へ手をあてた。
「どうでしょう。坑夫になれますか」
「駄目だ」
「どこか悪いですか」
「今書いてやる」
 医者は四角な紙片《かみきれ》へ、何か書いて抛《ほう》り出すように自分に渡した。見ると気管支炎とある。
 気管支炎と云えば肺病の下地《したじ》である。肺病になれば助かりようがない。なるほどさっき薬の臭《におい》を嗅《か》いで死ぬんだなと虫が知らせたのも無理はない。今度はいよいよ死ぬ事になりそうだ。これから先二三週間もしたら、金《きん》さんのようによっしょいよっしょいでジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]を見せられて、そのあげくには自分がとうとうジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]になって、それから思う存分|囃《はや》し立てられて、敲《たた》き立てられて、――もっとも新参だから囃してくれるものも、敲いてくれるものも、ないかも知れないが――とどの詰りは、――どうなる事か自分にも分らない。それは分らなくってもよろしい。生きて動いている今ですら分らない。ただ世界がのべつ、のっぺらぽうに続いているうちに、あざやかな色が幾通りも並んでるばかりである。坑夫は世の中で、もっとも穢《きた》ないものと感じていたが、かように万物を色の変化と見ると、穢ないも穢なくないもある段じゃない。どうでも構わないから、どうとも勝手にするがいい、自分が懐手《ふところで》をしていたら運命が何とか始末をつけてくれるだろう。死んでもいい、生きてもいい。華厳《けごん》の瀑《たき》などへ行くのは面倒になった。東京へ帰る? 何の必要があって帰る。どうせ二三度|咳《せき》をせくうちの命だ。ここまで運命が吹きつけてくれたもんだから、運命に吹き払われるまでは、ここにいるのが、一番骨が折れなくって、一番便利で、一番順当な訳だ。ここにいて、ただ堕落の修業さえすれば、死ぬまでは持てるだろう。肺病患者にほかの修業はむずかしいかも知れないが、堕落の修業なら――ふと往きに眼についた蒲公英《たんぽぽ》に出逢《であ》った。さっきはもったいないほど美しい色だと思ったが、今見ると何ともない。なぜこれが美しかったんだろうと、しばらく立ち留まって、見ていたが、やっぱり美しくない。それからまたあるき出した。だらだら坂を登ると、自然と顔が仰向《あおむき》になる。すると例の通り長屋から、坑夫が頬杖《ほおづえ》を突いて、自分を見下《みおろ》している。さっきまではあれほど厭《いや》に見えた顔がまるで土細工《つちざいく》の人形の首のように思われる。醜《みにく》くも、怖《こわ》くも、憎らしくもない。ただの顔である。日本一の美人の顔がただの顔であるごとく、坑夫の顔もただの顔である。そう云う自分も骨と肉で出来たただの人間である。意味も何もない。
 自分はこう云う状態で、無人《むにん》の境《さかい》を行くような心持で、親方の家《うち》までやって来た。案内を頼むと、うちから十五六の娘が、がらりと障子《しょうじ》をあけて出た。こう云う娘がこんな所にいようはずがないんだから、平生《へいぜい》ならはっと驚く訳だが、この時はまるで何の感じもなかった。ただ器械のように挨拶《あいさつ》をすると、娘は片手を障子へ掛けたまま、奥を振り向いて、
「御父《おとっ》さん。御客」
と云った。自分はこの時、これが飯場頭《はんばがしら》の娘だなと合点《がてん》したが、ただ合点したまでで、娘がまだそこに立っているのに、娘の事は忘れてしまった。ところへ親方が出て来た。
「どうしたい」
「行って来ました」
「健康診断を貰って来たかい。どれ」
 自分は右の手に握っていた診断書を、つい忘れて、おやどこへやったろうかと、始めて気がついた。
「持ってるじゃないか」
と親方が云う。なるほど持っていたから、皺《しわ》を伸《の》して親方に渡した。
「気管支炎。病気じゃないか」
「ええ駄目です」
「そりゃ困ったな。どうするい」
「やっぱり置いて下さい」
「そいつあ、無理じゃないか」
「ですが、もう帰れないんだから、どうか置いて下さい。小使でも、掃除番でもいいですから。何でもしますから」
「何でもするったって、病気じゃ仕方がないじゃないか。困ったな。しかしせっかくだから、まあ考えてみよう。明日までには大概様子が分るだろうからまた来て見るがいい」
 自分は石のようになって、飯場《はんば》へ帰って来た。
 その晩は平気で囲炉裏《いろり》の側《そば》に胡坐《あぐら》をかいていた。坑夫共が何と云っても相手にしなかった。相手にする料簡《りょうけん》も出なかった。いくら騒いでも、愚弄《からか》っても、よしんば踏んだり蹴《け》たりしても、彼らは自分と共に一枚の板に彫りつけられた一団の像のように思われた。寝るときは布団《ふとん》は敷かなかった。やはり囲炉裏の傍《そば》に胡坐をかいていた。みんな寝着いてから、自分もその場へ仮寝《うたたね》をした。囲炉裏へ炭を継《つ》ぐものがないので、火の気《け》がだんだん弱くなって、寒さがしだいに増して来たら、眼が覚めた。襟《えり》の所がぞくぞくする。それから起きて表へ出て空を見たら、星がいっぱいあった。あの星は何しに、あんなに光ってるのだろうと思って、また内へ這入《はい》った。金《きん》さんは相変らず平たくなって寝ている。金さんはいつジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]になるんだろう。自分と金さんとどっちが早く死ぬだろう。安さんは六年このシキ[#「シキ」に傍点]に這入ってると聞いたが、この先何年|鉱《あらがね》を敲《たた》くだろう。やっぱりしまいには金さんのように平たくなって、飯場の片隅《かたすみ》に寝るんだろう。そうして死ぬだろう。――自分は火のない囲炉裏の傍《はた》に坐って、夜明まで考えつづけていた。その考えはあとから、あとから、仕切《しき》りなしに出て来たが、いずれも干枯《ひから》びていた。涙も、情《なさけ》も、色も香《か》もなかった。怖《こわ》い事も、恐ろしい事も、未練も、心残りもなかった。
 夜が明けてから例のごとく飯を済まして、親方の所へ行った。親方は元気のいい声をして、
「来たか、ちょうど好い口が出来た。実はあれからいろいろ探したがどうも思わしいところがないんでね、――少し困ったんだが。とうとう旨《うま》い口を見附《めっ》けた。飯場の帳附《ちょうつけ》だがね。こりゃ無ければ、なくっても済む。現に今までは婆さんがやってたくらいだが、せっかくの御頼みだから。どうだねそれならどうか、おれの方で周旋ができようと思うが」
「はあありがたいです。何でもやります。帳附と云うと、どんな事をするんですか」
「なあに訳はない。ただ帳面をつけるだけさ。飯場にああ多勢いる奴が、やや草鞋《わらじ》だ、やや豆だ、ヒジキだって、毎日いろいろなものを買うからね。そいつを一々帳面へ書き込んどいて貰やあ好いんだ。なに品物は婆さんが渡すから、ただ誰が何をいくら取ったと云う事が分るようにして置いてくれればそれで結構だ。そうするとこっちでその帳面を見て勘定日に差し引いて給金を渡すようにする。――なに力業《ちからわざ》じゃないから、誰でもできる仕事だが、知っての通りみんな無筆の寄合《よりあい》だからね。君がやってくれるとこっちも大変便利だが、どうだい帳附は」
「結構です、やりましょう」
「給金は少くって、まことに御気の毒だ。月に四円だが。――食料を別にして」
「それでたくさんです」
と答えた。しかし別段に嬉しいとも思わなかった。ようやく安心したとまでは固《もとよ》り行かなかった。自分の鉱山における地位はこれでやっときまった。
 翌日《あくるひ》から自分は台所の片隅に陣取って、かたのごとく帳附《ちょうつけ》を始めた。すると今まであのくらい人を軽蔑《けいべつ》していた坑夫の態度ががらりと変って、かえって向うから御世辞を取るようになった。自分もさっそく堕落の稽古《けいこ》を始めた。南京米《ナンキンまい》も食った。南京虫《ナンキンむし》にも食われた。町からは毎日毎日ポン引《びき》が椋鳥《むくどり》を引張って来る。子供も毎日連れられてくる。自分は四円の月給のうちで、菓子を買っては子供にやった。しかしその後《のち》東京へ帰ろうと思ってからは断然やめにした。自分はこの帳附を五箇月間無事に勤めた。そうして東京へ帰った。――自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。

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