2008年11月7日金曜日

 そのうち路がだんだん登りになる。川はいつしか遠くなる。呼息《いき》が切れる。凸凹はますます烈《はげ》しくなる。耳ががあんと鳴って来た。これが駆落《かけおち》でなくって、遠足なら、よほど前から、何とか文句をならべるんだが、根が自殺の仕損《しそこな》いから起った自滅の第一着なんだから、苦しくっても、辛《つら》くっても、誰に難題を持ち掛ける訳にも行かない。相手は誰だと云えば、自分よりほかに誰もいやしない。よしいたって、こだわるだけの勇気はない。その上|先方《さき》は相手になってくれないほど平気である。すたすた歩いて行く。口さえ利《き》かない。まるで取附端《とっつきは》がない。やむを得ず呼吸《いき》を切らして、耳をがあんと鳴らして、黙って後《あと》から神妙《しんびょう》に尾《つ》いて行く。神妙と云う字は子供の時から覚えていたんだが、神妙の意味を悟ったのはこの時が始めてである。もっともこれが悟り始めの悟りじまいだと笑い話にもなるが、一度悟り出したら、その悟りがだいぶ長い事続いて、ついに鉱山の中で絶高頂に達してしまった。神妙の極に達すると、出るべき涙さえ遠慮して出ないようになる。涙がこぼれるほどだと譬《たとえ》に云うが、涙が出るくらいなら安心なものだ。涙が出るうちは笑う事も出来るにきまってる。
 不思議な事にこれほど神妙にあてられたものが、今はけろりとして、一切《いっさい》神妙気を出さないのみか、人からは横着者のように思われている。その時御世話になった長蔵さんから見たら、定めし増長した野郎だと思う事だろう。がまた今の朋友《ほうゆう》から評すると、昔は気の毒だったと云ってくれるかも知れない。増長したにしても気の毒だったにしても構わない。昔は神妙で今は横着なのが天然自然の状態である。人間はこうできてるんだから致し方がない。夏になっても冬の心を忘れずに、ぶるぶる悸《ふる》えていろったって出来ない相談である。病気で熱の出た時、牛肉を食わなかったから、もう生涯《しょうがい》ロースの鍋《なべ》へ箸《はし》を着けちゃならんぞと云う命令はどんな御大名だって無理だ。咽喉元《のどもと》過ぐれば熱さを忘れると云って、よく、忘れては怪《け》しからんように持ち掛けてくるが、あれは忘れる方が当り前で、忘れない方が嘘《うそ》である。こう云うと詭弁《きべん》のように聞えるが、詭弁でもなんでもない。正直正銘《しょうじきしょうめい》のところを云うんである。いったい人間は、自分を四角張った不変体《ふへんたい》のように思い込み過ぎて困るように思う。周囲の状況なんて事を眼中に置かないで、平押《ひらおし》に他人《ひと》を圧《お》しつけたがる事がだいぶんある。他人なら理窟《りくつ》も立つが、自分で自分をきゅきゅ云う目に逢《あ》わせて嬉《うれ》しがってるのは聞えないようだ。そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末が出来てくる。むやみに他人の不信とか不義とか変心とかを咎《とが》めて、万事万端向うがわるいように噪《さわ》ぎ立てるのは、みんな平面国に籍を置いて、活版に印刷した心を睨《にら》んで、旗を揚《あ》げる人達である。御嬢さん、坊っちゃん、学者、世間見ず、御大名、にはこんなのが多くて、話が分り悪《にく》くって、困るもんだ。自分もあの時|駆落《かけおち》をしずに、可愛らしい坊ちゃんとしておとなしく成人したなら、――自分の心の始終《しじゅう》動いているのも知らずに、動かないもんだ、変らないもんだ、変っちゃ大変だ、罪悪だなどとくよくよ思って、年を取ったら――ただ学問をして、月給をもらって、平和な家庭と、尋常な友達に満足して、内省の工夫を必要と感ずるに至らなかったら、また内省ができるほどの心機転換の活作用に見参《げんざん》しなかったならば――あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる流転《るてん》と、あらゆる漂泊《ひょうはく》と、困憊《こんぱい》と、懊悩《おうのう》と、得喪《とくそう》と、利害とより得たこの経験と、最後にこの経験をもっとも公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去る能力がなかったなら――ありがたい事に自分はこの至大なる賚《たまもの》を有《も》っている、――すべてこれらがなかったならば、自分はこんな思い切った事を云やしない。いくら思い切った事を云ったって自慢にゃならない。ただこの通りだからこの通りだと云うまでである。その代り昔し神妙《しんびょう》なものが、今横着になるくらいだから、今の横着がいつ何時《なんどき》また神妙にならんとは限らない。――抜けそうな足を棒のように立てて聞くと、がんと鳴ってる耳の中へ、遠くからさあさあ水音が這入《はい》ってくる。自分はますます神妙になった。
 この状態でだいぶ来た。何里だか見当《けんとう》のつかないほど来た。夜道だから平生《へいぜい》よりは、ただでさえ長く思われる上へ持ってきて、凸凹《でこぼこ》の登りを膨《ふくら》っ脛《ぱぎ》が腫《は》れて、膝頭《ひざがしら》の骨と骨が擦《す》れ合って、股《もも》が地面《じびた》へ落ちそうに歩くんだから、長いの、長くないのって――それでも、生きてる証拠には、どうか、こうか、長蔵さんの尻を五六間と離れずに、やって来た。これはただ神妙に自己を没却した諦《あきらめ》の体《てい》たらくから生じた結果ではない。五六間以上|後《おく》れると、長蔵さんが、振り返って五六歩ずつは待合してくれるから、仕方なしに追いつくと、追いつかない先に向うはまた歩き出すんで、やむを得ずだらだら、ちびちびに自己を奮興《ふんこう》させた成行《なりゆき》に過ぎない。それにしても長蔵さんは、よく後《うしろ》が見えたもんだ。ことに夜中《やちゅう》である。右も左も黒い木が空を見事に突っ切って、頭の上は細く上まで開《あ》いているなと、仰向《あおむ》いた時、始めて勘づくくらいな暗い路である。星明りと云うけれど、あまり便《たより》にゃならない。提灯《ちょうちん》なんか無論持ち合せようはずがない。自分の方から云うと、先へ行く赤毛布《あかげっと》が目標《めあて》である。夜だから赤くは見えないが、何だか赤毛布らしく思われる。明るいうちから、あの毛布《けっと》、あの毛布と御題目《おだいもく》のように見詰めて覘《ねらい》をつけて来たせいで、日が暮れて、突然の眼には毛布だか何だか分らないところを、自分だけにはちゃんと赤毛布に見えるんだろう。信心の功徳《くどく》なんてえのは大方こんなところから出るに違ない。自分はこう云う訳で、どうにか目標《めじるし》だけはつけて置いたようなものの、長蔵さんに至っては、どのくらいあとから自分が跟《つ》いてくるか分りようがない。ところをちゃんと五六間以上になると留《と》まってくれる。留まってくれるんだか、留まる方が向うの勝手なんだか、判然しないが、とにかく留まることはたしかだった。とうてい素人《しろうと》にゃできない芸である。自分は苦しいうちにも、これが長蔵さんの商売に必要な芸で、長蔵さんはこの芸を長い間練習して、これまでに仕上げたんだなと、少からず感心した。赤毛布は長蔵さんと並んでいるんだから、長蔵さんさえ留まればきっととまる。長蔵さんが歩き出せば必ず歩き出す。まるで人形のように活動する男であった。ややともすると後れ勝ちの自分よりはこの赤毛布の方が遥《はるか》に取り扱いやすかったに違ない。小僧は――例の小僧は消えて無くなっちまった。始めのうちこそ小僧だから後《あと》になるんだろうと思って、草臥《くたび》れたら励ましてやろうくらいの了簡《りょうけん》があったんだが、かの冷飯草履《ひやめしぞうり》をぴしゃりぴしゃりと鳴らしながら凸凹《でこぼこ》路を飛び跳《は》ねて進行する有様を目撃してから、こりゃ敵《かな》わないと覚悟をしたのは、よっぽど前の事である。それでもしばらくの間はぴしゃりぴしゃりが自分の袖《そで》と擦《す》れ擦れくらいになって、登って来たが、今じゃもう自分の近所には影さえなくなった。並んで歩くうちは、あまり小僧の癖に活溌《かっぱつ》にあるくんで――活溌だけならいいが、活溌の上に非常に沈黙なんで――、随分物騒な心持ちだった。もし笑うなら、極《きわ》めて小さくって、非常に活溌で、そうして口を利《き》かない動物を想像して見ると分る。滅多《めった》にありゃしない。こんな動物といっしょに夜|山越《やまごえ》をしたとすると、誰だって物騒な気持になる。自分はこの時この小僧の事を今考えても、妙な感じが出て来る。さっき蝙蝠《こうもり》のようだと云ったが、全く蝙蝠だ。長蔵さんと赤毛布《あかげっと》がいたから、好《よ》いようなものの、蝙蝠とたった二人限《ふたりぎり》だったら――正直なところ降参する。
 すると長蔵さんが、暗闇《くらやみ》の中で急に、
「おおい」
と声を揚げた。淋《さむ》しい夜道で、急に人声を聞いた人があるかないか知らないが、聞いて見るとちょっと異《い》な感じのするものだ。それも普通の話し声なら、まだ好いが、おおい[#「おおい」に傍点]と人を呼ぶ奴は気味がよくない。山路で、黒闇《くらやみ》で、人っ子一人通らなくって、御負《おまけ》に蝙蝠なんぞと道伴《みちづれ》になって、いとど物騒な虚に乗じて、長蔵さんが事ありげに声を揚《あ》げたんである。事のあるべきはずでない時で、しかも事がありかねまじき場所でおおい[#「おおい」に傍点]と来たんだから、突然と予期が合体して、自分の頭に妙な響を与えた。この声が自分を呼んだんなら、何か起ったなとびくんとするだけで済むんだが、五六間|後《うしろ》から行く自分の注意を惹《ひ》くためとは受取れないほど大きかった。かつ声の伝わって行く方角が違う。こっちを向いた声じゃない。おおい[#「おおい」に傍点]と右左りに当ったが、立ち木に遮《さえぎ》られて、細い道を向うの方へ遠く逃げのびて、遥《はるか》の先でおおい[#「おおい」に傍点]と云う反響があった。反響はたしかにあったが、返事はないようだ。すると長蔵さんは、前より一層大きな声を出して、
「小僧やあ」
と呼んだ。今考えると、名前も知らないで、小僧やあと呼ぶなんて少しとぼけているがその時はなかなかとぼけちゃいなかった。自分はこの声を聞くと同時に蝙蝠が隠れたんだなと気がついた。先へ行ったと思うのが当り前で、まかり間違っても逃げたと鑑定をつけべきはずだのに、隠れたんだとすぐ胸先へ浮んで来たのは、よっぽど蝙蝠に祟《たた》られていたに違ない。この祟は翌朝《あした》になって太陽が出たらすっかり消えてしまって、自分で自分を何《なん》て馬鹿だろうと思ったくらいだが、実際小僧やあの呼び声を聞いた時は、ちょっと烈《はげ》しく来た。
 ところがまた反響が例のごとく向うへ延びて、突き当りがないもんだから、人魂《ひとだま》の尻尾《しっぽ》のように、幽《かす》かに消えて、その反動か、有らん限りの木も山も谷もしんと静まった時、――何とも返事がない。この反響が心細く継続《つなが》りながら消えて行く間、消えてから、すべての世界がしんと静まり返るまで、長蔵さんと赤毛布と自分と三人が、暗闇《くらやみ》に鼻を突き合せて黙って立っていた。あんまり好い心持じゃなかった。やがて、長蔵さんが、
「少し急いだら、追っつくべえ。御前さん好いかね」
と云った。無論好くはないが、仕方がないから承知をして、急ぎ出した。元来この場に臨んで急ぐなんて生意気な事ができるはずがないんだが、そこが妙なもので、急ぐ気も、急ぐ力もない癖に受合っちまった。定めし変な顔をして受合ったんだろうが、受合ったら急げても、急げないでもむちゃくちゃに急いでしまった。この間はどこをどんな具合に通ったか、まあ断然知らないと云った方が穏当だろう。やがて長蔵さんがぴたりと留ったんで、ふと気がついた。すると一《ひと》つ家《や》の前へ出ている。ランプが点《つ》いている。ランプの灯《ひ》が往来へ映っている。はっと嬉しかった。赤毛布《あかげっと》がありあり見える。そうして小僧もいる。小僧の影が往来を横に切って向うの谷へ折れ込んでいる。小僧にしては長い影だ。
 自分はこんな所に人の住む家があろうとはまるで思いがけなかったし、その上眼がくらんで、耳が鳴って、夢中に急いで、どこまで急ぐんだかあても希望もなくやって来て、ぴたりと留まるや否や、ランプの灯がまぶしいように眼に這入《はい》って来たんだから、驚いた。驚くと共にランプの灯は人間らしいものだとつくづく感心した。ランプがこんなにありがたかった事は今日《こんにち》までまだかつてない。後《あと》から聞いたら小僧はこのランプの灯まで抜《ぬ》け掛《がけ》をして、そこで自分達を待ってたんだそうだ。おおい[#「おおい」に傍点]と云う声も小僧やあ[#「小僧やあ」に傍点]と云う声も聞えたんだが返事をしなかったと云う話しだ。偉い奴だ。
 同勢《どうぜい》はこれでようやく揃《そろ》ったが、この先どうなる事だろうと思いながら、相変らず神妙《しんびょう》にしていると、長蔵さんは自分達を路傍《みちばた》に置きっ放しにして、一人で家《うち》の中へ這入って行った。仕方がないから家と云うが、実のところは、家じゃもったいない。牛さえいれば牛小屋で馬さえ嘶《な》けば馬小屋だ。何でも草鞋《わらじ》を売る所らしい。壁と草鞋とランプのほかに何にもないから、自分はそう鑑定した。間口《まぐち》は一間ばかりで、入口の雨戸が半分ほど閉《た》ててある。残る半分は夜っぴて明けて置くんじゃないかしら。ことによると、敷居の溝《みぞ》に食い込んだなり動かないのかも知れない。屋根は無論|藁葺《わらぶき》で、その藁が古くなって、雨に腐《ふ》やけたせいか、崩《くず》れかかって漠然《ばくぜん》としている。夜と屋根の継目《つぎめ》が分らないほど、ぶくついて見える。その中へ長蔵さんは這入って行った。なんだか穴の中へでも潜《もぐ》り込んで行ったような心持だった。そうして話している。三人は表に待っている。自分の顔は見えないが、赤毛布と小僧の顔は、小屋の中から斜《はす》に差してくるランプの灯でよく見える。赤毛布は依然として、散漫《さんまん》なものである。この男はたとい地震がゆって、梁《はり》が落ちて来ても、親の死目に逢《あ》うか、逢わないかと云う大事な場合でも、いつでも、こんな顔をしているに違ない。小僧は空を見ている。まだ物騒だ。
 ところへ長蔵さんがあらわれた。しかし往来へは出て来ない。敷居の上へ足を乗せて、こっちを向いて立った股倉《またぐら》から、ランプの灯だけが細長く出て来る。ランプの位置がいつの間《ま》にか低くなったと見える。長蔵さんの顔は無論よく分らない。
「御前さん、これから山越をするのは大変だから、今夜はここへ泊《とま》って行こう。みんな這入るがいい」
 自分はこの言葉を聞くと等しく、今までの神妙《しんびょう》が急に破裂して、身体《からだ》がぐたりとなった。この牛小屋で一夜を明《あか》す事が、それほどの慰藉《いしゃ》を自分に与えようとは、牛小屋を見た今が今まで、とんと気がつかなかった。やはり神妙の結果泊る所が見つかっても、泊る気が起らなかったんだろう。こうなると人間ほど御《ぎょ》しやすいものはない。無理でも何でもはいはい畏《かしこ》まって聞いて、そうして少しも不平を起さないのみか大《おおい》に嬉《うれ》しがる。当時を思い出すたびに、自分はもっとも順良なまたもっとも励精な人間であったなと云う自信が伴《ともな》ってくる。兵隊はああでなくっちゃいけないなどと考える事さえある。同時に、もし人間が物の用を無視し得るならば、かねて物の用をも忘れ得るものだと云う事も悟った。――こう書いて見たが、読み直すと何だかむずかしくって解らない。実を云うと、もっとずっとやさしいんだが、短く詰めるものだからこんなにむずかしくなっちまった。例《たと》えば酒を飲む権利はないと自信して、酒の徳を、あれどもなきがごとくに見做《みな》す事さえできれば、徳利が前に並んでも、酒は飲むものだとさえ気がつかずにいるくらいなところである。御互が泥棒にならずに済むのも、つまりを云えば幼少の時から、人工的にこの種の境界《きょうがい》に馴《な》らされているからの事だろう。が一方から云うと、こんな境界は人性の一部分を麻痺《まひ》さした結果としてでき上るもんだから、図に乗ってきゅきゅ押して行くと、人間がみんな馬鹿になっちまう。まあ泥棒さえしなければ好いとして、その他の精神器械は残らず相応に働く事ができるようにしてやるのが何よりの功徳《くどく》だと愚考する。自分が当時の自分のままで、のべつに今日《こんにち》まで生きていたならば、いかに順良だって、いかに励精だって、馬鹿に違ない。だれの眼から見たって馬鹿以上の不具《かたわ》だろう。人間であるからは、たまには怒《おこ》るがいい。反抗するがいい。怒るように、反抗するようにできてるものを、無理に怒らなかったり、反抗しなかったりするのは、自分で自分を馬鹿に教育して嬉しがるんだ。第一|身体《からだ》の毒である。それを迷惑だと云うなら、怒らせないように、反抗させないように、御膳立《おぜんだて》をするが至当じゃないか。
 自分は当時種々の状況で、万事長蔵さんの云う通りはいはい云っていたし、またそのはいはいを自然と思いもするが、その代り、今のような身分にいるからは、たとい百の長蔵さんが、七日七晩《なぬかななばん》引っ張りつづけに引っ張ったってちょっとも動きゃしない。今の自分にはこの方が自然だからである。そうしてこう変るのが人間たるところだと思ってる。分りやすいように長蔵さんを引合《ひきあい》に出したが、よく調べて見ると、人間の性格は一時間ごとに変っている。変るのが当然で、変るうちには矛盾が出て来るはずだから、つまり人間の性格には矛盾が多いと云う意味になる。矛盾だらけのしまいは、性格があってもなくっても同じ事に帰着する。嘘《うそ》だと思うなら、試験して見るがいい。他人《ひと》を試験するなんて罪な事をしないで、まず吾身《わがみ》で吾身を試験して見るがいい。坑夫にまで零落《おちぶ》れないでも分る事だ。神さまなんかに聞いて見たって、以上|分《わかり》ッこない。この理窟《りくつ》がわかる神さまは自分の腹のなかにいるばかりだ。などと、学問もない癖に、学者めいた事を云っては済まない。こんな景気のいいタンカ[#「タンカ」に傍点]を切る所存は毛頭なかったんだが、実を云うとこう云う仔細《しさい》である。自分はよく人から、君は矛盾の多い男で困る困ると苦情を持ち込まれた事がある。苦情を持ち込まれるたんびに苦《にが》い顔をして謝罪《あやま》っていた。自分ながら、どうも困ったもんだ、これじゃ普通の人間として通用しかねる、何とかして改良しなくっちゃ信用を落して路頭に迷うような仕儀になると、ひそかに心配していたが、いろいろの境遇に身を置いて、前に述べた通りの試験をして見ると、改良も何も入ったものじゃない。これが自分の本色なんで、人間らしいところはほかにありゃしない。それから人も試験して見た。ところがやっぱり自分と同じようにできている。苦情を持ち込んでくるものが、みんな苦情を持ち込まれてしかるべき人間なんだからおかしくなる。要するに御腹《おなか》が減って飯が食いたくなって、御腹が張ると眠くなって、窮《きゅう》して濫《らん》して、達して道を行《おこな》って、惚《ほ》れていっしょになって、愛想《あいそ》が尽きて夫婦別れをするまでの事だから、ことごとく臨機応変の沙汰《さた》である。人間の特色はこれよりほかにありゃしない。と、こう感服しているんだから、ちょっと言って見たまでである。しかし世の中には学者だの坊主だの教育家だのと云うむずかしい仲間がだいぶいて、それぞれ専門に研究している事だから、自分だけ、訳の分ったように弁じ立てては善くない。
 そこで元気のいい今の気焔《きえん》をやめて、再びもとの神妙《しんびょう》な態度に復して、山の中の話をする。長蔵さんが敷居の上に立って、往来を向きながら、ここへ泊って行こうと云い出した時、こんな破屋《あばらや》でも泊る事が出来るんだったと、始めて意識したよりも、すべての家と云うものが元来《がんらい》泊るために建ててあるんだなと、ようやく気がついたくらい、泊る事は予期していなかった。それでいて身体《からだ》は蒟蒻《こんにゃく》のように疲れ切ってる。平生《いつも》なら泊りたい、泊りたいですべての内臓が張切《はちき》れそうになるはずだのに、没自我《ぼつじが》の坑夫行《こうふゆき》、すなわち自滅の前座としての堕落と諦《あきら》めをつけた上の疲労だから、いくら身体に泊る必要があっても、身体の方から魂へ宛てて宿泊の件を請求していなかった。ところへ泊ると命令が天から逆に魂が下ったんで、魂はちょっとまごついたかたちで、とりあえず手足に報告すると、手足の方では非常に嬉しがったから、魂もなるほどありがたいと、始めて長蔵さんの好意を感謝した。と云う訳になる。何となく落語じみてふざけているが、実際この時の心の状態は、こう譬《たとえ》を借りて来ないと説明ができない。
 自分は長蔵さんの言葉を聞くや否や、急に神経が弛《ゆる》んで、立ち切れない足を引《ひ》き摺《ず》って、第一番に戸口の方に近寄った。赤毛布《あかげっと》はのそのそ這入《はい》ってくる。小僧は飛んで来た。飛んだんじゃあるまいが、草履《ぞうり》の尻が勢よく踵《かかと》へあたるんで、ぴしゃぴしゃ云う音が飛ぶように思われた。
 這入って見るとぷんと臭《にお》った。何の臭だかさらに分らない。小僧が鼻をぴくつかせたので、小僧もこの臭に感じたなと気がついた。長蔵さんと赤毛布はまるで無頓着《むとんじゃく》であった。土間から上へあがる段になって、雑巾《ぞうきん》でもと思ったが、小僧は委細構わず、草履を脱いで上がっちまった。小僧の草履は尻が無いんだから、半分|裸足《はだし》である。ひどい奴だと眺《なが》めていると、長蔵さんが、
「御前さんも下駄だから、御上り」
と注意した。それで気味がわるいが、ほこりも払わず上がった。畳の上へ一足掛けて見るとぶくっとした。小僧はその上へころりと転がっている。自分は尻だけおろして、障子《しょうじ》――障子は二枚あった――その障子の影へ胡坐《あぐら》をかいた。この障子は入口に立ててあるから、振り向くと、長蔵さんと赤毛布《あかげっと》が草鞋《わらじ》を脱いでいる。二人共腰から手拭《てぬぐい》を出して、ばたばた足をはたいている。そうして、すぐ上がって来た。足を洗うのが面倒だと見える。ところへ主人が次の間《ま》から茶と煙草盆《たばこぼん》を持って来た。
 主人だの、次の間だの、茶だの、煙草盆だの、と云うとすこぶる尋常に聞えるが、その実名ばかりで、一々説明すると、大変な誤解をしていたんだねと呆《あき》れ返《かえ》るものばかりである。がとにかく主人が次の間から、茶と煙草盆を持って来たには違いない。そうして長蔵さんと談話《はなし》をし始めた。談話の筋は忘れたが、その様子から察すると、二人はもとからの知合で、御互の間には貸や借があるらしい。何でも馬の事をしきりに云ってた。自分だの、赤毛布だの、小僧などの事はまるで聞きもしない。まるで眼中にない訳でもあるまいが、さっき長蔵さんが一人で談判に這入《はい》った時に、残らず聞いてしまったんだろう。それとも長蔵さんはたびたびこんな呑気屋《のんきや》を銅山《やま》へ連れて行くんで、自然その往き還りにはこの主人の厄介《やっかい》になりつけてるから、別段気にも留めないのかも知れない。
 自分は、長蔵さんと主人との話を聞きながら、居眠《いねむり》を始めた。いつから始めたか知らない。馬を売損《うりそこな》って、どうとかしたと云うところから、だんだん判然《はっきり》しなくなって、自然《じねん》と長蔵さんが消える。赤毛布が消える。小僧が消える。主人と茶と煙草盆が消えて、破屋《あばらや》までも消えた時、こくりと眠《ねむり》が覚《さ》めた。気がつくと頭が胸の上へ落ちている。はっと思って、擡《もちや》げるとはなはだ重い。主人はやっぱり馬の話をしている。まだ馬かと思ってるうちに、また気が遠くなった。気が遠くなったのを、遠いままにして打遣《うっちゃ》って置くと、忽然《こつぜん》ぱっと眼があいた。薄暗い部屋の中《うち》に、影のような長蔵さんと亭主が膝《ひざ》を突き合せている。ちょうど、借《かり》がどうとかしてハハハハと亭主が笑ったところだった。この亭主は額《ひたい》が長くって、斜《はす》に頭の天辺《てっぺん》まで引込《ひっこ》んでるから、横から見ると切通《きりどお》しの坂くらいな勾配《こうばい》がある。そうして上になればなるほど毛が生《は》えている。その毛は五分《ごぶ》くらいなのと一寸《いっすん》くらいなのとが交《まじ》って、不規則にしかも疎《まばら》にもじゃもじゃしている。自分が居眠《いねぶ》りからはっと驚いて、急に眼を開けると、第一にこの頭が眸《ひとみ》の底に映った。ランプが煤《すす》だらけで暗いものだから、この頭も煤だらけになって映って来た。その癖距離は近い。だから映った影は明瞭《めいりょう》である。自分はこの明瞭でかつ朦朧《もうろう》なる亭主の頭を居眠りの不知覚から我に返る咄嗟《とっさ》にふと見たんである。この時はあまり好い心持ではなかった。それがため、居眠りもしばらく見合せるような気になって、部屋中を見廻すと、向うの隅に小僧が倒れている。こちらの横に茨城県が長く伸びている。毛布《けっと》の下から大きな足が見える。突当りが壁で、壁の隅に穴が開《あ》いて、穴の奥が真黒である。上は一面の屋根裏で、寒いほど黒くなってる所へ、油煙とともにランプの灯《ひ》があたるから、よく見ていると、藁葺《わらぶき》の裏側が震《ふる》えるように思われた。
 それからまた眠くなった。また頭が落ちる。重いから上げるとまた落ちる。始めのうちは、上げた頭が落ちながらだんだんうっとりして、うっとりの極、胸の上へがくりと落ちるや否や、一足飛《いっそくとび》に正気へ立ち戻ったが、三回四回と重なるにつけて、眼だけ開《あ》けても気は判然《はっきり》しない。ぼんやりと世界に帰って、またぞろすぐと不覚に陥《おちい》っちまう。それから例のごとく首が落ちる。微《かすか》に生きてるような気になる。かと思うとまた一切空《いっさいくう》に這入る。しまいには、とうとう、いくら首がのめって来ても、動じなくなった。あるいはのめったなり、頭の重みで横にぶっ倒れちまったのかも知れない。とにかく安々と夜明まで寝て、眼が覚《さ》めた時は、もう居眠《いねぶ》りはしていなかった。通例のごとく身体全体を畳の上につけて長くなっていた。そうして涎《よだれ》を垂れている。――自分は馬の話を聞いて居眠りを始めて、眼をあけて借金の話を聞いて、また居眠りの続を復習しているうちに、とうとう居眠りを本式に崩して長くなったぎり、魂の音沙汰《おとさた》を聞かなかったんだから、眼が覚めて、夜が明けて、世の中が土台から陰と陽に引ッ繰り返ってるのを見るや否《いな》や、眼をあいて涎《よだれ》を垂れて、横になったまま、じっとしていた。自覚があって死んでたらこんなだろう。生きてるけれども動く気にならなかった。昨夜《ゆうべ》の事は一から十までよく覚えている。しかし昨夜の一から十までが自然と延びて今日まで持ち越したとは受け取れない。自分の経験はすべてが新しくって、かつ痛切であるが、その新しい痛切の事々物々が何だか遠方にある。遠方にあると云うよりも、昨夜と今日の間に厚い仕切りが出来て、截然《せつぜん》と区別がついたようだ。太陽が出ると引き込むだけの差で、こう心に連続がなくなっては不思議なくらい自分で自分が当《あて》にならなくなる。要するに人世は夢のようなもんだ。とちょっと考えたもんだから、涎も拭かずに沈んでいると、長蔵さんが、ううんと伸《のび》をして、寝たまま握《にぎ》り拳《こぶし》を耳の上まで持ち上げた。握り拳がぬっと真直に畳の上を擦《こす》って、腕のありたけ出たところで、勢《せい》がゆるんで、ぐにゃりとした。また寝るかと思ったら、今度は右の手を下へさげて、凹《くぼ》んだ頬っぺたをぼりぼり掻《か》き出した。起きてるのかも知れない。そのうち、むにゃむにゃ何か云うんで、やっぱり眼が覚めていないなと気がついた時、小僧がむくりと飛び起きた。これは真正の意味において飛起きたんだから、どしんと音がして、根太《ねだ》が抜けそうに響いた。すると、さすが長蔵さんだけあって、むにゃむにゃをやめて、すぐ畳についた方の肩を、肘《ひじ》の高さまで上げた。眼をぱちつかせている。
 こうなると、自分もいつまで沈んでいたって際限がないから、起き上った。長蔵さんも全く起きた。小僧は立ち上がった。寝ているものは赤毛布《あかげっと》ばかりである。これはまた呑気《のんき》なもんで、依然として毛布《けっと》から大きな足を出してぐうぐう鼾声《いびき》をかいて寝ている。それを長蔵さんが起す。――
「御前《おまえ》さん。おい御前さん。もう起きないと御午《おひる》までに銅山《やま》へ行きつけないよ」
 御前さんが三四返繰返されたが、毛布はよく寝ている。仕方がないから長蔵さんは毛布の肩へ手を懸けて、
「おい、おい」
と揺《ゆす》り始めたんで、やむを得ず、毛布《けっと》の方でも「おい」と同じような返事をして、中途|半端《はんぱ》に立ち上った。これでみんな起きたようなものの、自分は顔も洗わず、飯も食わず、どうして好いか迷ってると、長蔵さんが、
「じゃ、そろそろ出掛けよう」
と云って、真先に土間へ降りかけたには驚いた。小僧がつづいて降りる。毛布も不得要領に土間へ大きな足をぶら下げた。こうなると自分も何とか片をつけなくっちゃならないから、一番あとから下駄を突掛《つッか》けて、長蔵さんと赤毛布《あかげっと》が草鞋《わらじ》の紐《ひも》を結ぶのを、不景気な懐手《ふところで》をして待っていた。
 土間へ下りた以上は、顔を洗わないのかの、朝飯《あさめし》を食わないのかのと、当然の事を聞くのが、さも贅沢《ぜいたく》の沙汰《さた》のように思われて、とんと質問して見る気にならない。習慣の結果、必要とまで見做《みな》されているものが、急に余計な事になっちまうのはおかしいようだが、その後《のち》この顛倒《てんとう》事件を布衍《ふえん》して考えて見たら、こんな、例はたくさんある。つまり世の中では大勢のやってる事が当然になって、一人だけでやる事が余計のように思われるんだから、当然になろうと思ったら味方を大勢|拵《こしら》えて、さも当然であるかの容子《ようす》で不当な事をやるに限る。やっては見ないがきっと成功するだろう。相手が長蔵さんと赤毛布でさえ自分にはこれほどの変化を来たしたんでも分る。
 すると長蔵さんは草鞋の紐を結んで、足元に用がなくなったもんだから、ふいと顔を上げた。そうして自分を見た。そうして、こんな事を云う。
「御前さん、飯は食わなくっても好いだろうね」
 飯を食わなくって好い法はないが、わるいと云ったって、始まりようがないから、自分はただ、
「好いです」
と答えて置いた。すると長蔵さんは、
「食いたいかね」
と云って、にやにやと笑った。これは自分の顔に飯が食いたいような根性《こんじょう》が幾分かあらわれたためか、または十九年来の予期に反した起きたなり飯抜きの出立《しゅったつ》に、自然不平の色が出ていたためだろう。それでなければ草鞋の紐を結んでしまってから、こんな事を聞く訳がない。現に長蔵さんは、赤毛布にも小僧にもこの質問を呈出しなかったんでも分る。今考えると、ちょっと両人《ふたり》にも同じ事を聞いて見れば善かったような気もする。朝飯を食わないで五里十里と歩き出すものは宿無《やどな》しか、または準宿無しでなくっちゃならない。目が醒《さ》めて、夜が明けてるのに、汁の煙《けむ》も、漬物の香《におい》も、いっこう連想に乗って来ないからは、行きなり放題に、今日は今日の命を取り留めて、その日その日の魂の供養《くよう》をする呑気屋《のんきや》で、世の中にあしたと云うものがないのを当り前と考えるほどに不幸なまた幸《さいわい》な人間である。自分は十九年来始めて、こう云う人間と一つ所《とこ》に泊って、これからまたいっしょに歩き出すんだなと思った。赤毛布と小僧の顔色を伺って見ると少しも朝飯を予期している様子がないんで、双方共朝飯を食い慣《つ》けていない一種の人類だと勘づいて見ると、自分の運命は坑夫にならない先から、もう、坑夫以下に摺《ず》り落ちていたと云う事が分った。しかし分ったと云うばかりで別に悲しくもなかった。涙は無論出なかった。ただ長蔵さんが、この朝飯の経験に乏《とぼ》しい人間に向って、「御前さん達も飯が食いたいかね」と尋ねてくれなかったのを、今では残念に思ってる。食った事が少いから、今までの習慣性で、「食わないでも好い」と答えるか、それとも、たまさかに有りつけるかも知れないと云う意外の望に奨励《しょうれい》されて「食いたい」と答えるか。――つまらん事だがどっちか聞いて見たい。
 長蔵さんは土間へ立って、ちょっと後《うし》ろを振り返ったが、
「熊《くま》さん、じゃ行ってくる。いろいろ御世話様」
と軽く力足《ちからあし》を二三度踏んだ。熊さんは無論亭主の名であるが、まだ奥で寝ている。覗《のぞ》いて見ると、昨夕《ゆうべ》うつつに気味をわるくした、もじゃもじゃの頭が布団《ふとん》の下から出ている。この亭主は敷蒲団《しきぶとん》を上へ掛けて寝る流儀と見える。長蔵さんが、このもじゃもじゃの頭に話しかけると、頭は、むくりと畳を離れた。そうして熊さんの顔が出た。この顔は昨夜《ゆうべ》見たほど妙でもなかった。しかし額がさかに瘠《こ》けて、脳天まで長くなってる事は、今朝でも争われない。熊さんは床の中から、
「いや、何にも御構《おかまい》申さなかった」
と云った。なるほど何にも構わない。自分だけ布団をかけている。
「寒かなかったかね」
とも云った。気楽なもんだ。長蔵さんは
「いいえ。なあに」
と受けて、土間から片足踏み出した時、後《うしろ》から、熊さんが欠伸交《あくびまじ》りに、
「じゃ、また帰りに御寄り」
と云った。
 それから長蔵さんが往来へ出る。自分も一足|後《おく》れて、小僧と赤毛布《あかげっと》の尻を追っ懸《か》けて出た。みんな大急ぎに急ぐ。こう云う道中には慣《な》れ切ったものばかりと見える。何でも長蔵さんの云うところによると、これから山越をするんだが、午《ひる》までには銅山《やま》へ着かなくっちゃならないから急ぐんだそうだ。なぜ午までに着かなくっちゃならないんだか、訳が分らないが、聞いて見る勇気がなかったから、黙って食っついて行った。するとなるほど登《のぼり》になって来た。昨夕あれほど登ったつもりだのに、まだ登るんだから嘘《うそ》のようでもあるが実際見渡して見ると四方《しほう》は山ばかりだ。山の中に山があって、その山の中にまた山があるんだから馬鹿馬鹿しいほど奥へ這入《はい》る訳になる。この模様では銅山《どうざん》のある所は、定めし淋しいだろう。呼息《いき》を急《せ》いて登りながらも心細かった。ここまで来る以上は、都へ帰るのは大変だと思うと、何の酔興《すいきょう》で来たんだか浅間《あさま》しくなる。と云って都におりたくないから出奔《しゅっぽん》したんだから、おいそれと帰りにくい所へ這入って、親親類《おやしんるい》の目に懸《か》からないように、朽果《くちは》ててしまうのはむしろ本望である。自分は高い坂へ来ると、呼息を継《つ》ぎながら、ちょっと留っては四方の山を見廻した。するとその山がどれもこれも、黒ずんで、凄《すご》いほど木を被《かぶ》っている上に、雲がかかって見る間《ま》に、遠くなってしまう。遠くなると云うより、薄くなると云う方が適当かも知れない。薄くなった揚句《あげく》は、しだいしだいに、深い奥へ引き込んで、今までは影のように映ってたものが、影さえ見せなくなる。そうかと思うと、雲の方で山の鼻面《はなづら》を通り越して動いて行く。しきりに白いものが、捲《ま》き返しているうちに、薄く山の影が出てくる。その影の端がだんだん濃くなって、木の色が明かになる頃は先刻《さっき》の雲がもう隣りの峰へ流れている。するとまた後《あと》からすぐに別の雲が来て、せっかく見え出した山の色をぼうとさせる。しまいには、どこにどんな山があるかいっこう見当《けんとう》がつかなくなる。立ちながら眺《なが》めると、木も山も谷もめちゃめちゃになって浮き出して来る。頭の上の空さえ、際限もない高い所から手の届く辺《あたり》まで落ちかかった。長蔵さんは、
「こりゃ、雨だね」
と、歩きながら独言《ひとりごと》を云った。誰も答えたものはない。四人《よつたり》とも雲の中を、雲に吹かれるような、取り捲《ま》かれるような、また埋《うず》められるような有様で登って行った。自分にはこの雲が非常に嬉しかった。この雲のお蔭《かげ》で自分は世の中から隠したい身体《からだ》を十分に隠すことが出来た。そうして、さのみ苦しい思いもしずにその中を歩いて行ける。手足は自由に働いて、閉《と》じ籠《こ》められたような窮屈も覚えない上に、人目にかからん徳は十分ある。生きながら葬《ほうぶ》られると云うのは全くこの事である。それが、その時の自分には唯一の理想であった。だからこの雲は全くありがたい。ありがたいという感謝の念よりも、雲に埋められ出してから、まあ安心だと、ほっと一息した。今考えると何が安心だか分りゃしない。全くの気違だと云われても仕方がない。仕方がないが、こう云う自分が、時と場合によれば、翌《あす》が日にも、また雲が恋しくならんとも限らない。それを思うと何だか変だ。吾《わ》が身《み》で吾が身が保証出来ないような、また吾が身が吾が身でないような気持がする。
 しかしこの時の雲は全く嬉しかった。四人が離れたり、かたまったり、隔《へだ》てられたり、包まれたりして雲の中を歩いて行った時の景色はいまだに忘れられない。小僧が雲から出たり這入ったりする。茨城の毛布《けっと》が赤くなったり白くなったりする。長蔵さんの、どてら[#「どてら」に傍点]が、わずか五六間の距離で濃くなったり薄くなったりする。そうして誰も口を利《き》かない。そうして、むやみに急ぐ。世界から切り離された四つの影が、後《あと》になり先になり、殖《ふえ》もせず減《へり》もせず、四つのまま、引かれて合うように、弾《はじ》かれて離れるように、またどうしても四つでなくてはならないように、雲の中をひたすら歩いた時の景色はいまだに忘れられない。
 自分は雲に埋まっている。残る三人も埋まっている。天下が雲になったんだから、世の中は自分共にたった四人である。そうしてその三人が三人ながら、宿無《やどなし》である。顔も洗わず朝飯も食わずに、雲の中を迷って歩く連中である。この連中と道伴《みちづれ》になって登り一里、降《くだ》り二里を足の続く限り雲に吹かれて来たら、雨になった。時計がないんで何時《なんじ》だか分らない。空模様で判断すると、朝とも云われるし、午過《ひるすぎ》とも云われるし、また夕方と云っても差支《さしつかえ》ない。自分の精神と同じように世界もぼんやりしているが、ただちょっと眼についたのは、雨の間から微《かす》かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。いつの間にか木が抜けて、空坊主《からぼうず》になったり、ところ斑《まだら》の禿頭《はげあたま》と化けちまったんで、丹砂《たんしゃ》のように赤く見える。今までの雲で自分と世間を一筆《ひとふで》に抹殺《まっさつ》して、ここまでふらつきながら、手足だけを急がして来たばかりだから、この赤い山がふと眼に入るや否や、自分ははっと雲から醒《さ》めた気分になった。色彩の刺激が、自分にこう強く応《こた》えようとは思いがけなかった。――実を云うと自分は色盲じゃないかと思うくらい、色には無頓着《むとんじゃく》な性質《たち》である。――そこでこの赤い山が、比較的烈しく自分の視神経を冒《おか》すと同時に、自分はいよいよ銅山に近づいたなと思った。虫が知らせたと云えば、虫が知らせたとも云えるが、実はこの山の色を見て、すぐ銅《あかがね》を連想したんだろう。とにかく、自分がいよいよ到着したなと直覚的に――世の中で直覚的と云うのは大概このくらいなものだと思うが――いわゆる直覚的に事実を感得した時に、長蔵さんが、
「やっと、着いた」
と自分が言いたいような事を云った。それから十五分ほどしたら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦《こす》って視覚をたしかめたいくらい驚いた。それも昔の宿《しゅく》とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔《こけ》の生えない、新しずくめの上に、白粉《おしろい》をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇《いとま》もないうちに通り越しちまった。すると橋へ出た。長蔵さんは橋の上へ立って、ちょっと水の色を見たが、
「これが入口だよ。いよいよ着いたんだから、そのつもりでいなくっちゃ、いけない」
と注意を与えた。しかし自分には、どんなつもりでいなくっちゃいけないんだか、ちっとも分らなかったから、黙って橋の上へ立って、入口から奥の方を見ていた。左が山である。右も山である。そうして、所々に家《うち》が見える。やっぱり木造の色が新しい。中には白壁だか、ペンキ塗だか分らないのがある。これも新しい。古ぼけて禿《は》げてるのは山ばかりだった。何だかまた現実世界に引《ひ》き摺《ず》り込まれるような気がして、少しく失望した。長蔵さんは自分が黙って橋の向《むこう》を覗《のぞ》き込んでるのを見て、
「好いかね、御前さん、大丈夫かい」
とまた聞き直したから、自分は、
「好いです」
と明瞭《めいりょう》に答えたが、内心あまり好くはなかった。なぜだかしらないが、長蔵さんはただ自分にだけ懸念《けねん》がある様子であった。赤毛布《あかげっと》と小僧には「好いかね」とも「大丈夫かい」とも聞かなかった。頭からこの両人《ふたり》は過去の因果《いんが》で、坑夫になって、銅山のうちに天命を終るべきものと認定しているような気色《けしき》がありありと見えた。して見ると不信用なのは自分だけで、だいぶ長蔵さんからこいつは危《あぶ》ないなと睨《にら》まれていたのかも知れない。好い面《つら》の皮だ。
 それから四人|揃《そろ》って、橋を渡って行くと、右手に見える家にはなかなか立派なのがある。その中《うち》で一番いかめしい奴《やつ》を指《さ》して、あれが所長の家《うち》だと長蔵さんが教えてくれた。ついでに左の方を見ながら
「こっちがシキ[#「シキ」に傍点]だよ、御前さん、好いかね」
と云う。自分はシキ[#「シキ」に傍点]と云う言葉をこの時始めて聞いた。
 よっぽど聞き返そうかと思ったが、大方これがシキ[#「シキ」に傍点]なんだろうと思って黙っていた。あとから自分もこのシキ[#「シキ」に傍点]と云う言葉を明瞭《めいりょう》に理解しなければならない身分になったが、やっぱり始めにぼんやり考えついた定義とさした違もなかった。そのうち左へ折れていよいよシキ[#「シキ」に傍点]の方へ這入《はい》る事になった。鉄軌《レール》についてだんだん上《のぼ》って行くと、そこここに粗末な小さい家がたくさんある。これは坑夫の住んでる所だと聞いて、自分も今日から、こんな所で暮すのかと思ったが、それは間違であった。この小屋はどれも六畳と三畳|二間《ふたま》で、みんな坑夫の住んでる所には違ないが、家族のあるものに限って貸してくれる規定であるから、自分のような一人ものは這入りたくたって這入れないんだった。こう云う小屋の間を縫って、飽《あ》きずに上《のぼ》って行くと、今度は石崖《いしがけ》の下に細長い横幅ばかりの長屋が見える。そうして、その長屋がたくさんある。始めはわずか二三軒かと思ったら、登るに従って続々あらわれて来た。大きさも長さも似たもんで、みんな崖下《がけした》にあるんだから位地にも変りはないが、向《むき》だけは各々《めいめい》違ってる。山坂を利用して、なけなしの地面へ建てることだから、東だとか西だとか贅沢《ぜいたく》は言っていられない。やっとの思いで、ならした地面へ否応《いやおう》なしに、方角のお構《かまい》なく建ててしまったんだから不規則なものだ。それに、第一、登って行く道がくねってる。あの長屋の右を歩いてるなと思うと、いつの間《ま》にかその長屋の前へ出て来る。あれは、すぐ頭の上だがと心待ちに待っていると、急に路が外《そ》れて遠くへ持ってかれてしまう。まるで見当《けんとう》がつかない。その上この細長い家から顔が出ている。家から顔が出ているのが珍らしい事もないんだが、その顔がただの顔じゃない。どれも、これも、出来ていない上に、色が悪い。その悪さ加減がまた、尋常でない。青くって、黒くって、しかも茶色で、とうてい都会にいては想像のつかない色だから困る。病院の患者などとはまるで比較にならない。自分が山路を登りながら、始めてこの顔を見た時は、シキ[#「シキ」に傍点]と云う意味をよく了解しない癖に、なるほどシキ[#「シキ」に傍点]だなと感じた。しかしいくらシキ[#「シキ」に傍点]でも、こう云う顔はたくさんあるまいと思って、登って行くと、長屋を通るたんびに顔が出ていて、その顔がみんな同じである。しまいにはシキ[#「シキ」に傍点]とは恐ろしい所だと思うまで、いやな顔をたくさん見せられて、また自分の顔をたくさん見られて――長屋から出ている顔はきっと自分らを見ていた。一種|獰悪《どうあく》な眼つきで見ていた。――とうとう午後の一時に飯場《はんば》へ着いた。
 なぜ飯場と云うんだか分らない。焚《た》き出しをするから、そう云う名をつけたものかも知れない。自分はその後《ご》飯場の意味をある坑夫に尋ねて、箆棒《べらぼう》め、飯場たあ飯場でえ、何を云ってるんでえ、とひどく剣突《けんつく》を食《くら》った事がある。すべてこの社会に通用する術語は、シキ[#「シキ」に傍点]でも飯場[#「飯場」に傍点]でもジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]でも、みんな偶然に成立して、偶然に通用しているんだから、滅多《めった》に意味なんか聞くと、すぐ怒られる。意味なんか聞く閑《ひま》もなし、答える閑もなし、調べるのは大馬鹿となってるんだから至極《しごく》簡単でかつ全く実際的なものである。
 そう云う訳で飯場《はんば》の意味は今もって分らないが、とにかく崖《がけ》の下に散在している長屋を指《さ》すものと思えばいい。その長屋へようやく到着した。多くある長屋のうちで、なぜこの飯場を選んだかは、長蔵さんの一人《ひとり》ぎめだから、自分には説明しにくい。が、この飯場は長蔵さんの専門御得意の取引先と云う訳でもなかったらしい。長蔵さんは自分をこの飯場へ押しつけるや否や、いつの間《ま》にか、赤毛布《あかげっと》と小僧を連れてほかの飯場へ出て行ってしまった。それで二人はほかの飯場の飯《めし》を食うようになったんだなと後《あと》から気がついた。二人の消息はその後《のち》いっこう聞かなかった。銅山《やま》のなかでもついぞ顔を合せた事がない。考えると、妙なものだ。一膳めし屋から突然飛び出した赤い毛布《けっと》と、夕方の山から降《くだ》って来た小僧と落ち合って、夏の夜《よ》を後になり先になって、崩《くず》れそうな藁屋根《わらやね》の下でいっしょに寝た明日《あくるひ》は、雲の中を半日かかって、目指す飯場へようやく着いたと思うと、赤毛布も小僧もふいと消えてなくなっちまう。これでは小説にならない。しかし世の中には纏《まと》まりそうで、纏らない、云わばでき損《そこな》いの小説めいた事がだいぶある。長い年月を隔《へだ》てて振り返って見ると、かえってこのだらしなく尾を蒼穹《そうきゅう》の奥に隠してしまった経歴の方が興味の多いように思われる。振り返って思い出すほどの過去は、みんな夢で、その夢らしいところに追懐の趣《おもむき》があるんだから、過去の事実それ自身にどこかぼんやりした、曖昧《あいまい》な点がないとこの夢幻の趣を助ける事が出来ない。したがって十分に発展して来て因果《いんが》の予期を満足させる事柄よりも、この赤毛布流に、頭も尻も秘密の中《うち》に流れ込んでただ途中だけが眼の前に浮んでくる一夜半日《いちやはんにち》の画《え》の方が面白い。小説になりそうで、まるで小説にならないところが、世間臭くなくって好い心持だ。ただに赤毛布ばかりじゃない。小僧もそうである。長蔵さんもそうである。松原の茶店の神《かみ》さんもそうである。もっと大きく云えばこの一篇の「坑夫」そのものがやはりそうである。纏まりのつかない事実を事実のままに記《しる》すだけである。小説のように拵《こしら》えたものじゃないから、小説のように面白くはない。その代り小説よりも神秘的である。すべて運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思っている。
 赤毛布と小僧が連れて行かれたのは後の事だが、自分らが飯場に到着した時は無論二人ともいっしょであった。ここで長蔵さんがいよいよ坑夫志願の談判を始めた。談判と云うと面倒なようだが、その実|極《きわ》めて簡単なものであった。ただ、この男は坑夫になりたいと云うから、どうか使ってくれと云ったばかりである。自分の姓名も出生地《しゅっしょうち》も身元も閲歴も何にも話さなかった。もちろん話したくったって、知らないんだから、話せようもないんだが、こうまで手っ取り早く片づける了簡《りょうけん》とは思わなかった。自分は中学校へ入学した時の経験から、いくら坑夫だって、それ相応の手続がなくっちゃ採用されないもんだとばかり思っていた。大方身元引受人とか保証人とか云うものが証文へ判でも捺《お》すんだろう、その時は長蔵さんにでも頼んで見ようくらいにまで、先廻りをして考えていた。ところが案に相違して、談判を持ち込まれた飯場頭《はんばがしら》は――飯場頭だか何だかその時は無論知らなかった。眉毛《まゆげ》の太くって蒼髯《あおひげ》の痕《あと》の濃い逞《たくま》しい四十|恰好《がっこう》の男だった。――その男が長蔵さんの話を一通り聞くや否や、
「そうかい、それじゃ置いておいで」
とさも無雑作《むぞうさ》に云っちまった。ちょうど炭屋が土釜《どがま》を台所へ担《かつ》ぎ込んだ時のように思われた。人間が遥々《はるばる》山越《やまごえ》をして坑夫になりに来たんだとは認めていない。そこで自分は少々腹の中《うち》でこの飯場頭を恨《うら》んだが、これは自分の間違であった。その訳は今|直《すぐ》に分る。
 飯場頭と云うのは一《ひとつ》の飯場を預かる坑夫の隊長で、この長屋の組合に這入る坑夫は、万事この人の了簡《りょうけん》しだいでどうでもなる。だからはなはだ勢力がある。この飯場頭と一分時間《いっぷんじかん》に談判を結了した長蔵さんは、
「じゃ、よろしくお頼みもうします」
と云ったなり、赤毛布《あかげっと》と小僧を連れて出て行った。また帰ってくる事と思ったが、その後《ご》いっこう影も形も見せないんで、全く、置去《おきざり》にされたと云う事が分った。考えるとひどい男だ。ここまで引っ張って来るときには、何のかのと、世話らしい言葉を掛けたのに、いざとなると通り一片の挨拶《あいさつ》もしない。それにしてもぽん引[#「ぽん引」に傍点]の手数料はいつ何時《なんどき》どこで取ったものか、これは今もって分らない。
 こう云うしだいで飯場頭からは、土釜の炭俵のごとく認定される、長蔵さんからは小包のように抛《な》げ込まれる。少しも人間らしい心持がしないんで、大いに悄然《しょうぜん》としていると、出て行く三人の後姿を見送った飯場頭は突然自分の方を向いた。その顔つきが変っている。人を炭俵のように取扱う男とは、どうしても受取れない。全く東京辺で朝晩|出逢《であ》う、万事を心得た苦労人の顔である。
「あなたは生れ落ちてからの労働者とも見えないようだが……」
 飯場掛《はんばがかり》の言葉をここまで聞いた時、自分は急に泣きたくなった。さんざっぱらお前さん[#「お前さん」に傍点]で、厭《いや》になるほどやられた揚句《あげく》の果《はて》、もうとうてい御前さん以上には浮ばれないものと覚悟をしていた矢先に、突然あなた[#「あなた」に傍点]の昔に帰ったから、思いがけない所で自己を認められた嬉しさと、なつかしさと、それから過去の記憶――自分はつい一昨日《おととい》までは立派にあなた[#「あなた」に傍点]で通って来た――それやこれやが寄って、たかって胸の中へ込み上げて来た上に、相手の調子がいかにも鄭寧《ていねい》で親切だから――つい泣きたくなった。自分はその後《ご》いろいろな目に逢《あ》って、幾度となく泣きたくなった事はあるが、擦《す》れ枯《から》しの今日《こんにち》から見れば、大抵は泣くに当らない事が多い。しかしこの時頭の中にたまった涙は、今が今でも、同じ羽目になれば、出かねまいと思う。苦しい、つらい、口惜《くちお》しい、心細い涙は経験で消す事が出来る。ありがた涙もこぼさずに済む。ただ堕落した自己が、依然として昔の自己であると他《ひと》から認識された時の嬉し涙は死ぬまでついて廻るものに違ない。人間はかように手前勘《てまえかん》の強いものである。この涙を感謝の涙と誤解して、得意がるのは、自分のために書生を置いて、書生のために置いてやったような心持になってると同じ事じゃないかしら。
 こう云う訳で、飯場掛《はんばがか》りの言葉を一行ばかり聞くと、急に泣きたくなったが、実は泣かなかった。悄然《しょうぜん》とはしていたが、気は張っている。どこからか知らないが、抵抗心が出て来た。ただ思うように口が利《き》けないから、黙って向うの云う事を聞いていた。すると飯場掛りは嬉しいほど親切な口調で、こう云った。――
「……まあどうして、こんな所へ御出《おいで》なすったんだか、今の男が連れて来るくらいだから大概|私《わたし》にも様子は知れてはいるが――どうです、もう一遍考えて見ちゃあ。きっと取《と》ッ附《つけ》坑夫になれて、金がうんと儲《もう》かるてえような旨《うま》い話でもしたんでしょう。それがさ、実際やって見るととうてい話の十が一にも行かないんだからつまらないです。第一坑夫と一口に云いますがね。なかなかただの人に出来る仕事じゃない、ことにあなたのように学校へ行って教育なんか受けたものは、どうしたって勤まりっこありませんよ。……」
 飯場頭《はんばがしら》はここまで来て、じっと自分の顔を見た。何とか云わなくっちゃならない。幸《さいわ》いこの時はもう泣きたいところを通り越して、口が利《き》けるようになっていた。そこで自分はこう云った。――
「僕は――僕は――そんなに金なんか欲しかないです。何も儲《もう》けるためにやって来た訳じゃないんですから、――そりゃ知ってるです、僕だって知ってるです……」
と、この時知ってるですを二遍繰り返した事を今だに記憶している。はなはだ穏かならぬ生意気な、ものの云いようだった。若いうちは、たった今まで悄気《しょげ》ていても、相手しだいですぐつけ上っちまう。まことに赤面の至りである。しかもその知ってるですが、何を知ってるのかと思うと、今自分を連れて来た男、すなわち長蔵さんは、一種の周旋屋であって、すべての周旋屋に共通な法螺吹《ほらふ》きであると云う真相をよく自覚していると云う意味なんだから、いくら知ってたって自慢にならないのは無論である。それを念入に、瞞着《だまさ》れて来たんじゃない、万事承知の上の坑夫志願だなどと説明して見たって今更《いまさら》どうなるものじゃない。ところが年が若いと虚栄心の強いもので――今でも弱いとは云わないが――しきりに弁解に取り掛ったのは実に冷汗の出るほどの愚《ぐ》であった。幸い相手が、こう云う家業《かぎょう》に似合わぬ篤実《とくじつ》な男で、かつ自分の不経験を気の毒に思うのあまり、この生意気を生意気と知りながら大目に見てくれたもんだから、どやされずに済んだ。まことにありがたい。この飯場に住み込んだあとで、頭《かしら》の勢力の広大なるに驚くにつれて、僕は知ってるです[#「僕は知ってるです」に傍点]を思い出しては独《ひと》り赧《あか》い顔をしていた。ついでに云うがこの頭の名は原駒吉《はらこまきち》である。今もって自分は好い名だと思ってる。
 原さんは別に厭《いや》な顔つきもせずに、黙って自分の言訳を聞いていたが、やがて頭《あたま》を振り出した。その頭は大きな五分刈《ごぶがり》で額の所が面摺《めんずれ》のように抜き上がっている。
「そりゃ物数奇《ものずき》と云うもんでさあ。せっかく来たから是非やるったって、何も家《うち》を出る時から坑夫になると思いつめた訳でもないんでしょう。云わば一時《いちじ》の出来心なんだからね。やって見りゃ、すぐ厭になっちまうな眼に見えてるんだから、廃《よ》すが好《よ》うがしょう。現に書生さんでここへ来て十日と辛抱したものあ、有りゃしませんぜ。え? そりゃ来る。幾人《いくたり》も来る。来る事は来るが、みんな驚いて逃げ出しちまいまさあ。全く普通《なみ》のものの出来る業《わざ》じゃありませんよ。悪い事は云わないから御帰んなさい。なに坑夫をしなくったって、口過《くちすぎ》だけなら骨は折れませんやあ」
 原さんはここに至って、胡坐《あぐら》を崩《くず》して尻を宙に上げかけた。自分はどうしても落第しそうな按排《あんばい》である。大いに困った。困った結果、坑夫と云う事から気を離して、自分だけを検査して見ると、――何だか急に寒くなった。袷《あわせ》はさっきの雨で濡《ぬ》れている。洋袴下《ズボンした》は穿《は》いていない。東京の五月もこの山の奥へ来るとまるで二月か三月の気候である。坂を登っている間こそ体温でさほどにも思わなかった。原さんに拒絶されるまでは気が張っていたから、好かった。しかし飯場《はんば》へ来て休息した上に、坑夫になる見込がほとんど切れたとなると、情《なさけ》ないのが寒いのと合併して急に顫《ふる》え出した。その時の自分の顔色は定めし見るに堪《た》えんほど醜いもんだったろう。この時自分はまた何となく、今しがた自分を置去《おきざり》にして、挨拶《あいさつ》もしずに出て行った長蔵さんが恋しくなった。長蔵さんがいたら、何とか尽力して坑夫にしてくれるだろう。よし坑夫にしてくれないまでも、どうにか片をつけてくれるだろう。汽車賃を出してくれたくらいだから、方角のわかる所までくらいは送り出してくれそうなものだ。蟇口《がまぐち》を長蔵さんに取られてから、懐中《ふところ》には一文もない。帰るにしても、帰る途中で腹が減って山の中で行倒《ゆきだおれ》になるまでだ。いっその事今から長蔵さんを追掛けて見ようか。飯場飯場を探して歩いたら逢《あ》えない事もないだろう。逢ってこれこれだと泣きついたら、今までの交際《つきあい》もある事だから、好い智慧《ちえ》を貸してくれまいものでもない。しかし別れ際に挨拶さえしない男だから、ひょっとすると……自分は原さんの前で実はこんな閑《ひま》な事を、非常に忙しく、ぐるぐる考えていた。好《すき》な原さんが前にいるのに、あんまり下さらない、しかも消えてなくなった長蔵さんばかりを相談相手のように思い込んだのは、どう云う理由《わけ》だろう。こんな事はよくあるもんだから、いざと云う場合に、敵は敵、味方は味方と板行《はんこう》で押したように考えないで、敵のうちで味方を探したり、味方のうちで敵を見露《みあら》わしたり、片方《かたっぽ》づかないように心を自由に活動させなくってはいけない。
 弱輩《じゃくはい》な自分にはこの機合《きあい》がまだ呑《の》み込めなかったもんだから、原さんの前に立って顫えながら、へどもどしていると、原さんも気の毒になったと見えて、
「あなたさえ帰る気なら、及ばずながら相談になろうじゃありませんか」
と向うから口を掛けてくれた。こう切って出られた時に、自分ははっとありがたく感じた。ばかりなら当り前だがはっと気がついた。――自分の相談相手は自分の志望を拒絶するこの原さんを除いて、ほかにないんだと気がついた。気がつくと同時にまた口が利《き》けなくなった。是非坑夫にしてくれとも、帰るから旅費を貸してくれとも言いかねて、やっぱり立ちすくんでいた。気がついても何にもならない、ただ右の手で拳骨《げんこつ》を拵《こしら》えて寒い鼻の下を擦《こす》ったように記憶している。自分はその前|寄席《よせ》へ行って、よく噺家《はなしか》がこんな手真似《てつき》をするのを見た事があるが、自分でその通りを実行したのは、これが始めてである。この手真似を見ていた原さんが、今度はこう云った。
「失礼ながら旅費のことなら、心配しなくっても好ござんす。どうかして上げますから」
 旅費は無論ない。一厘たりとも金気《かなけ》は肌に着いていない。のたれ死《じに》を覚悟の前でも、金は持ってる方が心丈夫だ。まして慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一箇の草鞋銭《わらじせん》でも大切である。帰ると事がきまりさえすれば、頭を地に摺《す》りつけても、原さんから旅費を恵んで貰ったろう。実際こうなると廉恥《れんち》も品格もあったもんじゃない。どんな不体裁《ふていさい》な貰い方でもする。――大抵の人がそうなるだろう。またそうなってしかるべきである。――しかしけっして褒《ほ》められた始末じゃない。自分がこんな事を露骨にかくのは、ただ人間の正体を、事実なりに書くんで、書いて得意がるのとは訳が違う。人間の生地《きじ》はこれだから、これで差支《さしつかえ》ないなどと主張するのは、練羊羹《ねりようかん》の生地は小豆《あずき》だから、羊羹の代りに生《なま》小豆を噛《か》んでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。自分はこの時の有様を思い出すたびに、なんで、あんな、さもしい料簡《りょうけん》になったものかと、吾《われ》ながら愛想《あいそ》が尽きる。こう云う下卑《げび》た料簡を起さずに、一生を暮す事のできる人は、経験の足りない人かも知れないが、幸な人である。また自分らよりも遥《はるか》に高尚な人である。生小豆のまずさ加減を知らないで、生涯《しょうがい》練羊羹ばかり味わってる結構な人である。
 自分は、も少しの事で、手を合せて、見ず知らずの飯場頭《はんばがしら》からわずかの合力《ごうりき》を仰ぐところであった。それをやっとの事で喰い止めたのは、せっかくの好意で調《ととの》えてくれる金も、二三日《にさんち》木賃宿《きちんやど》で夜露を凌《しの》げば、すぐ無くなって、無くなった暁には、また当途《あてど》もなく流れ出さなければならないと、冥々《めいめい》のうちに自覚したからである。自分は屑《いさぎ》よく涙金《なみだきん》を断った。断った表向は律義《りちぎ》にも見える。自分もそう考えるが、よくよく詮索《せんさく》すると、慾の天秤《てんびん》に懸《か》けた、利害の判断から出ている事はたしかである。その証拠には補助を断《ことわ》ると同時に、自分は、こんな事を言い出した。
「その代り坑夫に使って下さい。せっかく来たんだから、僕はどうしてもやって見る気なんですから」
「随分|酔興《すいきょう》ですね」
と原さんは首を傾《かし》げて、自分を見つめていたが、やがて溜息のような声を出して、
「じゃ、どうしても帰る気はないんですね」
と云った。
「帰るったって、帰る所がないんです」
「だって……」
「家《うち》なんかないんです。坑夫になれなければ乞食《こじき》でもするより仕方がないです」
 こんな押問答を二三度重ねている中に、口を利《き》くのが大変楽になって来た。これは思い切って、無理な言葉を、出《で》にくいと知りながら、我慢して使った結果、おのずと拍子《ひょうし》に乗って来た勢いに違ないんだから、まあ器械的の変化と見傚《みな》しても差支《さしつかえ》なかろうが、妙なもので、その器械的の変化が、逆戻りに自分の精神に影響を及ぼして来た。自分の言いたい事が何の苦もなく口を出るに連れて――ある人はある場合に、自分の言いたくない事までも調子づいてべらべら饒舌《しゃべ》る。舌はかほどに器械的なものである。――この器械が使用の結果加速度の効力を得るに連れて、自分はだんだん大胆になって来た。
 いや、大胆になったから饒舌れたんだろう、君の云う事は顛倒《あべこべ》じゃないかとやり込める気なら、そうして置いてもいい。いいが、それはあまり陳腐《ちんぷ》でかつ時々|嘘《うそ》になる。嘘と陳腐で満足しないものは自分の言分をもっともと首肯《うなず》くだろう。
 自分は大胆になった。大胆になるに連れて、どうしても坑夫に住み込んでやろうと決心した。また饒舌っておれば必ず坑夫になれるに違ないと自覚して来た。一昨日《おととい》家《うち》を飛び出す間際《まぎわ》までは、夢にも坑夫になろうと云う分別は出なかった。ばかりではない、坑夫になるための駆落《かけおち》と事がきまっていたならば、何となく恥ずかしくなって、まあ一週間よく考えた上にと、出奔《しゅっぽん》の時期を曖昧《あいまい》に延ばしたかもしれない。逃亡はする。逃亡はするが、紳士の逃亡で、人だか土塊《つちくれ》だか分らない坑掘《あなほり》になり下《さが》る目的の逃亡とは、何不足なく生育《そだ》った自分の頭には影さえ射さなかったろう。ところが原さんの前で寒い奥歯を噛《か》みしめながら、しょう事なしの押問答をしているうちに、自分はどうあっても坑夫になるべき運命、否《いな》天職を帯びてるような気がし出した。この山とこの雲とこの雨を凌《しの》いで来たからには、是非共坑夫にならなければ済まない。万一採用されない暁には自分に対して面目がない。――読者は笑うだろう。しかし自分は当時の心情を真面目《まじめ》に書いてるんだから、人が見ておかしければおかしいほど、その時の自分に対して気の毒になる。
 妙な意地だか、負惜《まけおし》みだか、それとも行倒れになるのが怖《こわ》くって、帰り切れなかったためだか、――その辺は自分にも曖昧だが、とにかく自分は、もっとも熱心な語調で原さんを口説《くど》いた。
「……そう云わずに使って下さい。実際僕が不適当なら仕方がないが、まだやって見ない事なんだから――せっかく山を越して遠方をわざわざ来た甲斐《かい》に、一日《いちんち》でも二日《ふつか》でも、いいですから、まあ試しだと思って使って下さい。その上で、とうてい役に立たないと事がきまれば帰ります。きっと帰ります。僕だって、それだけの仕事が出来ないのに、押《おし》を強く御厄介《ごやっかい》になってる気はないんですから。僕は十九です。まだ若いです。働き盛りです……」
と昨日《きのう》茶店の神《かみ》さんが云った通りをそのまま図に乗って述べ立てた。後から考えると、これはむしろ人が自分を評する言葉で、自分が自分を吹聴《ふいちょう》する文句ではなかった。そこで原さんは少し笑い出した。
「それほどお望みなら仕方がない。何も御縁だ。まあやって御覧なさるが好い。その代り苦しいですよ」
と原さんは何気なく裏の赤い山を覗《のぞ》くように見上げた。おおかた天気模様でも見たんだろう。自分も原さんといっしょに山の方へ眼を移した。雨は上がったが、暗く曇っている。薄気味の悪いほど怪しい山の中の空合《そらあい》だ。この一瞬時に、自分の願が叶《かな》って、自分はまず山の中の人となった。この時「その代り苦しいですよ」と云った原さんの言葉が、妙に気に掛り出した。人は、ようやくの思いで刻下《こっか》の志を遂《と》げると、すぐ反動が来て、かえって志を遂げた事が急に恨《うら》めしくなる場合がある。自分が望み通りここへ落ちつける口頭の辞令を受け取った時の感じはいささかこれに類している。
「じゃね」――原さんは語調を改めて話し出した。――「じゃね。何しろ明日《あした》の朝シキ[#「シキ」に傍点]へ這入《はい》って御覧なさい。案内を一人つけて上げるから。――それからと――そうだ、その前に話して置かなくっちゃなりませんがね。一口に坑夫と云うと、訳もない仕事のように思われましょうが、なかなか外で聞いてるような生容易《なまやさし》い業《わざ》じゃないんで。まあ取っつけから坑夫になるなあ」と云って自分の顔を眺《なが》めていたが、やがて、
「その体格じゃ、ちっとむずかしいかも知れませんね。坑夫でなくっても、好《よ》うがすかい」
と気の毒そうに聞いた。坑夫になるまでには相当の階級と練習を積まなくっちゃならないと云う事がここで始めて分った。なるほど長蔵さんが坑夫坑夫と、さも名誉らしく坑夫を振り廻したはずだ。
「坑夫のほかに何かあるんですか。ここにいるものは、みんな坑夫じゃないんですか」
と念のために聞いて見た。すると原さんは、自分を馬鹿にした様子もなく、すぐそのわけを説明してくれた。
「銅山《やま》にはね、一万人も這入っててね。それが掘子《ほりこ》に、シチュウ[#「シチュウ」に傍点]に、山市《やまいち》に、坑夫と、こう四つに分れてるんでさあ。掘子《ほりこ》ってえな、一人前の坑夫に使えねえ奴がなるんで、まあ坑夫の下働《したばたらき》ですね。シチュウ[#「シチュウ」に傍点]は早く云うとシキ[#「シキ」に傍点]の内《なか》の大工見たようなものかね。それから山市《やまいち》だが、こいつは、ただ石塊《いしっころ》をこつこつ欠いてるだけで、おもに子供――さっきも一人来たでしょう。ああ云うのが当分坑夫の見習にやる仕事さね。まあざっと、こんなものですよ。それで坑夫となると請負《うけおい》仕事だから、間《ま》が好いと日に一円にも二円にも当る事もあるが、掘子は日当で年《ねん》が年中《ねんじゅう》三十五銭で辛抱しなければならない。しかもそのうち五分《ごぶ》は親方が取っちまって、病気でもしようもんなら手当が半分だから十七銭五厘ですね。それで蒲団《ふとん》の損料が一枚三銭――寒いときは是非二枚|要《い》るから、都合で六銭と、それに飯代が一日十四銭五厘、御菜《おさい》は別ですよ。――どうです。もし坑夫にいけなかったら、掘子にでもなる気はありますかね」
 実のところはなりますと勢いよく出る元気はなかったが、ここまで来れば、今更《いまさら》どうしたって否《いや》だと断られた義理のもんじゃない。そこで、出来るだけ景気よく、
「なります」
と答えてしまった。原さんにはこの答が断然たる決心のように受けとれたか、それとも、瘠我慢《やせがまん》のつけ景気《げいき》のごとく響いたか、その辺《へん》は確《しか》と分らないが、何しろこの一言《いちごん》を聞いた原さんは、機嫌よく、
「じゃまあ、御上《おあ》がんなさい。そうして、あした人をつけて上げるから、まあシキ[#「シキ」に傍点]へ這入って御覧なさるがいい。何しろ一万人もいて、こんなに組々に分れているんだから、飯場《はんば》を一つでも預かってると、毎日毎日何だかだって、うるさい事ばかりでね。せっかく頼むから置いてやる、すぐ逃げる。――一日《いちんち》に二三人はきっと逃げますよ。そうかと云って、おとなしくしているかと思うと、病気になって、死んじまう奴が出て来て――どうも始末に行かねえもんでさあ。葬《ともら》いばかりでも日に五六組無い事あ、滅多《めった》にないからね。まあやる気なら本気にやって御覧なさい。腰を掛けてちゃ、足が草臥《くたび》れるだろう。こっちへ御上り」
 この逐一《ちくいち》を聞いていた自分はたとい、掘子《ほりこ》だろうが、山市《やまいち》だろうが一生懸命に働かなくっちゃあ、原さんに対して済まない仕儀になって来た。そこで心のうちに、原さんの迷惑になるような不都合はけっしてしまいときめた。何しろ年が十九だから正直なものだった。
 そこで原さんの云う通り、足を拭いて尻をおろしているうちに、奥の方から婆さんが出て来て、――この婆さんの出ようがはなはだ突然で、ちょっと驚いたが、
「こっちへ御出《おいで》なさい」
と云うから、好加減《いいかげん》に御辞儀をして、後《あと》から尾《つ》いて行った。小作《こづくり》な婆さんで、後姿の華奢《きゃしゃ》な割合には、ぴんぴん跳《は》ねるように活溌《かっぱつ》な歩き方をする。幅の狭い茶色の帯をちょっきり結《むすび》にむすんで、なけなしの髪を頸窩《ぼんのくぼ》へ片づけてその心棒《しんぼう》に鉛色の簪《かんざし》を刺している。そうして襷掛《たすきがけ》であった。何でも台所か――台所がなければ、――奥の方で、用事の真っ最中に、案内のため呼び出されたから、こう急がしそうに尻を振るんだろう。それとも山育《やまそだち》だからかしら。いや、飯場《はんば》だから優長《ゆうちょう》にしちゃいられないせいだろう。して見ると、今日から飯場の飯を食い出す以上は自分だって安閑としちゃいられない。万事この婆さんの型で行かなくっちゃなるまい。――なるまい。――と力を入れて、うんと思ったら、さすがに草臥れた手足が急になるまい[#「なるまい」に傍点]で充満して、頭と胸の組織がちょっと変ったような気分になった。その勢いで広い階子段《はしごだん》を、案内に応じて、すとんすとんと景気よく登って行った。が自分の頭が階子段から、ぬっと一尺ばかり出るや否や、この決心が、ぐうと退避《たじろ》いだ。
 胸から上を階子段の上へ出して、二階を見渡すと驚いた。畳数《たたみかず》は何十枚だか知らないが遥《はるか》の突き当りまで敷き詰めてあって、その間には一重《ひとえ》の仕切りさえ見えない。ちょうど柔道の道場か、浪花節《なにわぶし》の席亭のような恰好《かっこう》で、しかも広さは倍も三倍もある。だから、ただ駄々《だだ》ッ広《ぴろ》い感じばかりで、畳の上でもまるで野原へ出たとしきゃあ思えない。それだけでも驚く価値《ねうち》は十分あるが、その広い原の中に大きな囲炉裏《いろり》が二つ切ってある、そこへ人間が約十四五人ずつかたまっている。自分の決心が退避いだと云うのは、卑怯《ひきょう》な話だが、全くこの人間にあったらしい。平生から強がっていたにはいたが、若輩《じゃくはい》の事だから、見ず知らずの多勢の席へ滅多《めった》に首を出した事はない。晴の場所となると、ただでさえもじもじする。ところへもって来て、突然坑夫の団体に生擒《いけど》られたんだから、この黒い塊《かたまり》を見るが早いか、いささか辟易《ひるん》じまった。それも、ただの人間ならいい。と云っちゃ意味がよく通じない。――ただの人間が、坑夫になってるなら差支《さしつかえ》ない。ところが自分の胸から上が、階子段を出ると、等しく、この塊の各部分が、申し合せたように、こっちを向いた。その顔が――実はその顔で全く畏縮《いしゅく》してしまった。と云うのはその顔がただの顔じゃない。ただの人間の顔じゃない。純然たる坑夫の顔であった。そう云うより別に形容しようがない。坑夫の顔はどんなだろうと云う好奇心のあるものは、行って見るより外に致し方がない。それでも是非説明して見ろと云うなら、ざっと話すが、――頬骨《ほおぼね》がだんだん高く聳《そび》えてくる。顎《あご》が競《せ》り出す。同時に左右に突っ張る。眼が壺《つぼ》のように引ッ込んで、眼球《めだま》を遠慮なく、奥の方へ吸いつけちまう。小鼻が落ちる。――要するに肉と云う肉がみんな退却して、骨と云う骨がことごとく吶喊《とっかん》展開するとでも評したら好かろう。顔の骨だか、骨の顔だか分らないくらいに、稜々《りょうりょう》たるものである。劇《はげ》しい労役の結果早く年を取るんだとも解釈は出来るが、ただ天然自然に年を取ったって、ああなるもんじゃない。丸味とか、温味《あたたかみ》とか、優味《やさしみ》とか云うものは薬にしたくっても、探し出せない。まあ一口に云うと獰猛《どうもう》だ。不思議にもこの獰猛な相《そう》が一列一体の共有性になっていると見えて、囲炉裏《いろり》の傍《はた》の黒いものが等しく自分の方を向くと、またたく間《ま》に獰猛な顔が十四五|揃《そろ》った。向うの囲炉裏を取捲《とりま》いてる連中も同じ顔に違いない。さっき坂を上がってくるとき、長屋の窓から自分を見下《みおろ》していた顔も全くこれである。して見ると組々の長屋に住んでいる総勢一万人の顔はことごとく獰猛なんだろう。自分は全く退避《ひる》んだ。
 この時婆さんが後《うしろ》を振り返って、
「こっちへおいでなさい」
と、もどかしそうに云うから、度胸を据《す》えて、獰猛の方へ近づいて行った。ようやく囲炉裏の傍《はた》まで来ると、婆さんが、今度は、
「まあここへ御坐《おすわ》んなさい」
と差《さ》しずをしたが、ただ好加減《いいかげん》な所へ坐れと云うだけで、別に設けの席も何もないんだから、自分は黒い塊《かたま》りを避《さ》けて、たった一人畳の上へ坐った。この間獰猛な眼は、始終《しじゅう》自分に喰っついている。遠慮も何もありゃしない。そうして誰も口を利《き》くものがない。取附端《とりつきは》を見出《みいだ》すまでは、団体の中へ交り込む訳にも行かず、ぽつねんと独《ひと》りぼッちで離れているのは、獰猛の目標《めじるし》となるばかりだし、大いに困った。婆さんは、自分を紹介する段じゃない、器械的に「ここへ坐れ」と云ったなり、ちょっ切り結びの尻を振り立てて階子段《はしごだん》を降りて行ってしまった。広い寄席《よせ》の真中にたった一人取り残されて、楽屋の出方《でかた》一同から、冷かされてるようなものだ、手持無沙汰《てもちぶさた》は無論である。ことさら今の自分に取っては心細い。のみならず袷《あわせ》一枚ではなはだ寒い。寒いのは、この五月の空に、かんかん炭を焼《た》いて獰猛共が囲炉裏《いろり》へあたってるんでも分る。自分は仕方がないからてれ[#「てれ」に傍点]隠《かく》しに襯衣《シャツ》の釦《ボタン》をはずして腋《わき》の下へ手を入れたり、膝《ひざ》を立てて、足の親指を抓《つね》って見たり、あるいは腿《もも》の所を両手で揉《も》んで見たり、いろいろやっていた。こう云う時に、落ついた顔をして――顔ばかりじゃいけない、心《しん》から落ちついて、平気で坐ってる修業をして置かないと、大きな損だ。しかし、十九や、そこいらではとうてい覚束《おぼつか》ない芸だから、自分はやむを得ず。前記の通りいろいろ馬鹿な真似《まね》をしていると、突然、
「おい」
と呼んだものがある。自分はこの時ちょうど下を向いて鳴海絞《なるみしぼり》の兵児帯《へこおび》を締め直していたが、この声を聞くや否や、電気仕掛の顔のように、首筋が急に釣った。見るとさっきの顔揃《かおぞろい》で、眼がみんなこっちを向いて、光ってる。「おい」と云う声は、どの顔から出たものか分らないが、どの顔から出たにしても大した変りはない。どの顔も獰猛《どうもう》で、よく見るとその獰猛のうちに、軽侮《あなどり》と、嘲弄《あざけり》と、好奇の念が判然と彫りつけてあったのは、首を上げる途端《とたん》に発明した事実で、発明するや否や、非常に不愉快に感じた事実である。自分は仕方がないから、首を上げたまま、「おい」の声がもう一遍出るのを待っていた。この間が約何秒かかったか知らないが、とにかく予期の状態で一定の姿勢におったものらしい。すると、いきなり、
「やに澄《す》ますねえ」
と云ったものがある。この声はさっきの「おい」よりも少し皺枯《しゃが》れていたから、大方別人だろうと鑑定した。しかし返答をするべき性質《たち》の言葉でないから――字で書くと普通のねえ[#「ねえ」に傍点]のように見えるが、実はなよ[#「なよ」に傍点]の命令を倶利加羅流《くりからりゅう》に崩《くず》したんだから、はなはだ下等である。――それでやっぱり黙ってた。ただ内心では大いに驚いた。自分がここへ来て言葉を交したものは原さんと婆さんだけであるが、婆さんは女だから別として、原さんは思ったよりも叮嚀《ていねい》であった。ところが原さんは飯場頭《はんばがしら》である。頭《かしら》ですらこれだから、平《ひら》の坑夫は無論そう野卑《ぞんざい》じゃあるまいと思い込んでいた。だから、この悪口《あくたい》が藪《やぶ》から棒《ぼう》に飛んで来た時には、こいつはと退避《ひる》む前に、まずおやっと毒気を抜かれた。ここでいっその事|毒突返《どくづきかえ》したなら、袋叩《ふくろだた》きに逢《あ》うか、または平等の交際が出来るか、どっちか早く片がついたかも知れないが、自分は何にも口答えをしなかった。もともと東京生れだから、この際何とか受けるくらいは心得ていたんだろう。それにもかかわらず、兄《あにい》に類似した言語は無論、尋常の竹箆返《しっぺいがえ》しさえ控えたのは、――相手にならないと先方《さき》を軽蔑《けいべつ》したためだろうか――あるいは怖《こわ》くって何とも云う度胸がなかったんだろうか。自分は前の方だと云いたい。しかし事実はどうも後《あと》の方らしい。とにかくも両方|交《まじ》ってたと云うのが一番|穏《おだやか》のように思われる。世の中には軽蔑しながらも怖《こわ》いものが沢山《いくら》もある。矛盾にゃならない。
 それはどっちにしたって構わないが、自分がこの悪口《あくたい》を聞いたなり、おとなしく聞き流す料簡《りょうけん》と見て取った坑夫共は、面白そうにどっと笑った。こっちがおとなしければおとなしいほど、この笑は高く響いたに違ない。銅山《やま》を出れば、世間が相手にしてくれない返報に、たまたま普通の人間が銅山の中へ迷い込んで来たのを、これ幸《さいわ》いと嘲弄《ちょうろう》するのである。自分から云えば、この坑夫共が社会に対する恨《うら》みを、吾身《わがみ》一人で引き受けた訳になる。銅山へ這入《はい》るまでは、自分こそ社会に立てない身体《からだ》だと思い詰めていた。そこで飯場《はんば》へ上《あが》って見ると、自分のような人間は仲間にしてやらないと云わんばかりの取扱いである。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立って、立派に板挟《いたばさ》みとなった。だからこの十四五人の笑い声が、ほてるほど自分の顔の正面に起った時は、悲しいと云うよりは、恥ずかしいと云うよりは、手持無沙汰《てもちぶさた》と云うよりは、情《なさけ》ないほど不人情な奴が揃《そろ》ってると思った。無教育は始めから知れている。教育がなければ予期出来ないほどの無理な注文はしないつもりだが、なんぼ坑夫だって、親の胎内から持って生れたままの、人間らしいところはあるだろうくらいに心得ていたんだから、この寸法に合わない笑声を聞くや否や、畜生奴《ちくしょうめ》と思った。俗語に云う怒《おこ》った時の畜生奴じゃない。人間と受取れない意味の畜生奴である。今では経験の結果、人間と畜生の距離がだいぶん詰ってるから、このくらいの事をと、鈍い神経の方で相手にしないかも知れないが、何しろ十九年しか、使っていない新しい柔かい頭へこのわる笑がじんと来たんだから、切《せつ》なかった。自分ながら思い出すたびに、まことに痛わしいような、いじらしいような、その時の神経系統をそのまま真綿に包《くる》んで大事にしまって置いてやりたいような気がする。
 この悪意に充《み》ちた笑がようやく下火になると、
「御前《おめえ》はどこだ」
と云う質問が出た。この質問を掛けたものは、自分から一番近い所に坐っていたから、声の出所《でどころ》は判然《はっきり》分った。浅黄色《あさぎいろ》の手拭染《てぬぐいじ》みた三尺帯を腰骨の上へ引き廻して、後向《うしろむ》きの胡坐《あぐら》のまま、斜《はす》に顔だけこっちへ見せている。その片眼は生れつきの赤んべんで、おまけに結膜《けつまく》が一面に充血している。
「僕は東京です」
と答えたら、赤んべんが、肉のない頬を凹《へこ》まして、愚弄《ぐろう》の笑いを洩《も》らしながら、三軒置いて隣りの坑夫をちょいと顎《あご》でしゃくった。するとこの相図を受けた、願人坊主《がんにんぼうず》が、入れ替ってこんな事を云った、
「僕だなんて――書生《しょせ》ッ坊《ぼ》だな。大方《おおかた》女郎買でもしてしくじったんだろう。太え奴だ。全体《ぜんてえ》この頃の書生ッ坊の風儀が悪くっていけねえ。そんな奴に辛抱が出来るもんか、早く帰《けえ》れ。そんな瘠《やせ》っこけた腕でできる稼業《かぎょう》じゃねえ」
 自分はだまっていた。あんまり黙っていたので張合《はりあい》が抜けたせいか、わいわい冷かすのが少し静まった。その時一人の坑夫――これは尋常な顔である。世間へ出しても普通に通用するくらいに眼鼻立が調《ととの》っていた。自分は、冷かされながら、眼を上げて、黒い塊《かたまり》を見るたびに、人数《にんず》やら、着物やら、獰猛《どうもう》の度合やらをだんだん腹に畳み込んでいたが、最初は総体の顔が総体に骨と眼でできた上に獣慾の脂《あぶら》が浮いているところばかり眼に着いて、どれも、これも差別がないように思われた。それが三度四度と重なるにつけて、四人五人と人相の区別ができるに連れて、この坑夫だけが一際《ひときわ》目立って見えるようになった。年はまだ三十にはなるまい。体格は倔強《くっきょう》である。眉毛《まみえ》と鼻の根と落ち合う所が、一段奥へ引っ込んで、始終《しじゅう》鼻眼鏡で圧《お》しつけてるように見える。そこに疳癪《かんしゃく》が拘泥《こうでい》していそうだが、これがために獰猛の度はかえって減ずると云っても好いような特徴であった。――この坑夫が始めてこの時口を利《き》いた。――
「なぜこんな所へ来た。来たって仕方がないぜ。儲《もう》かる所じゃない。ここにいる奴あ、みんな食詰《くいつめ》ものばかりだ。早く帰るが好かろう。帰って新聞配達でもするがいい。おれも元はこれで学校へも通《かよ》ったもんだが、放蕩《ほうとう》の結果とうとう、シキ[#「シキ」に傍点]の飯を食うようになっちまった。おれのようになったが最後もう駄目だ。帰ろうたって、帰れなくなる。だから今のうちに東京へ帰って新聞配達をしろ。書生はとても一月《ひとつき》と辛抱は出来ないよ。悪い事は云わねえから帰れ。分ったろう」
 これは比較的|真面目《まじめ》な忠告であった。この忠告の最中は、さすがの獰悪派《どうあくは》もおとなしく交《まぜ》っ返しもせずに聞いていた。その惰性で忠告が済んだあとも、一時は静であった。もっともこれはこの坑夫に多少の勢力があるんで、その勢力に対しての遠慮かも知れないと勘づいた。その時自分は何となく心の底で愉快だった。この坑夫だって、ほかの坑夫だって、人相にこそ少しの変化はあれ、やっぱり一つ穴でこつこつ鉱塊《あらがね》を欠いている分の事だろう。そう芸に巧拙《こうせつ》のあるはずはない。して見ると、この男の勢力は全く字が読めて、物が解って、分別があって――一口に云うと教育を受けたせいに違ない。自分は今こんなに馬鹿にされている。ほとんど最下等の労働者にさえ歯《よわい》されない人非人《にんぴにん》として、多勢《たぜい》の侮辱を受けている。しかし一度この社会に首を突込《つっこ》んで、獰猛組《どうもうぐみ》の一人となりすましたら、一月二月と暮して行くうちには、この男くらいの勢力を得る事はできるかも知れない。できるだろう。できるにきまってるとまで感じた。だから、いくら誰が何と云っても帰るまい、きっとこの社会で一人前以上になって成功して見せる。――随分思い切ってつまらない考えを起したもんだが、今から見ても、多少論理には叶《かな》っているようだ。そこでこの坑夫の忠告には謹《つつし》んで耳を傾《かたぶ》けていたが、別段先方の注文通りに、では帰りましょうと云う返事もしなかった。そのうちいったん静まりかけた愚弄《ぐろう》の舌《した》がまた動き出した。
「いる気なら置いてやるが、ここにゃ、それぞれ掟《おきて》があるから呑《の》み込んで置かなくっちゃ迷惑だぜ」
と一人が云うから、
「どんな掟ですか」
と聞くと、
「馬鹿だなあ。親分もあり兄弟分《きょうでえぶん》もあるじゃねえか」
と、大変な大きな声を出した。
「親分たどんなもんですか」
と質問して見た。実はあまりがみがみ云うから、黙っていようかしらんとも思ったけれども、万一掟を破って、あとで苛《ひど》い目に逢《あ》うのが怖《こわ》いから、まあ聞いて見た。すると他《ほか》の坑夫が、すぐ、返事をした。
「しようのねえ奴だな。親分を知らねえのか。親分も兄弟分も知らねえで、坑夫になろうなんて料簡違《りょうけんちげ》えだ。早く帰《けえ》れ」
「親分も兄弟分もいるから、だから、儲《もう》けようたって、そう旨《うま》かあ行かねえ。帰れ」
「儲かるもんか帰《けえ》るが好い」
「帰れ」
「帰れ」
 しきりに帰れと云う。しかも実際自分のためを思って帰れと云うんじゃない。仲間入をさせてやらないから出て行けと云うんである。さぞ儲《もう》けたいだろうが、そうは問屋で卸《おろ》さない、こちとらだけで儲ける仕事なんだから、諦《あきら》めて早く帰れと云うんである。したがってどこへ帰れとも云わない。川の底でも、穴の中でも構わない勝手な所へ帰れと云うんである。自分は黙っていた。
 この形勢がこのままで続いたら、どんな事にたち至ったか思いやられる。敵はこの囲炉裏《いろり》の周囲《まわり》ばかりにゃいない。さっきちょっと話した通り、向うの方にも大きな輪になって、黒く塊《かたま》っている。こっちの団体だけですら持ち扱っているところへ、あっちの群勢《ぐんぜい》が加勢したら大事《だいじ》である。自分は愚弄《ぐろう》されながらも、時々横目を使って、未来の敵――こうなると、どれもこれも人間でさえあれば、敵と認定してしまう。――遠方にはおるが、そろそろ押し寄せて来そうな未来の敵を、見ていた。かように自分の心が、左右前後と離《はな》れ離れになって、しかも独立ができないものだから、物の後《あと》を追掛《おっか》け、追ん廻わしているほど辛《つら》い事はない。なんでも敵に逢《あ》ったら敵を呑《の》むに限る。呑む事ができなければ呑まれてしまうが好い。もし両方共困難ならぷつりと縁を截《き》って、独立自尊の態度で敵を見ているがいい。敵と融合する事もできず、敵の勢力範囲外に心を持ってく事も出来ず、しかも敵の尻を嗅《か》がなければならないとなると、はなはだしき損となる。したがってもっとも下等である。自分はこう云う場合にたびたび遭遇して、いろいろな活路を研究して見たが、研究したほどに、心が云う事を聞かない。だからここに申す三策は、みんな釈迦《しゃか》の空説法《からぜっぽう》である。もし講釈をしないでも知れ切ってる陳説《ちんせつ》なら、なおさら言うだけが野暮《やぼ》になる。どうも正式の学問をしないと、こう云う所へ来て、取捨の区別がつかなくって困る。
 自分が四方八方に気を配って、自分の存在を最高度に縮小して恐れ入っていると、
「御膳《ごぜん》を御上がんなさい」
と云う婆さんの声が聞えた。いつの間《ま》に婆さんが上がって来たんだか、自分の魂が鳩の卵のように小さくなって、萎縮《いしゅく》した真最中だったから、御膳の声が耳に入るまではまるで気がつかなかった。見ると剥《は》げた御膳《おぜん》の上に縁《ふち》の欠けた茶碗が伏せてある。小《ち》さい飯櫃《めしびつ》も乗っている。箸《はし》は赤と黄に塗り分けてあるが、黄色い方の漆《うるし》が半分ほど落ちて木地《きじ》が全く出ている。御菜には糸蒟蒻《いとごんにゃく》が一皿ついていた。自分は伏目になってこの御膳の光景を見渡した時、大いに食いたくなった。実は今朝《けさ》から水一滴も口へ入れていない。胃は全く空《から》である。もし空でなければ、昨日《きのう》食った揚饅頭《あげまんじゅう》と薩摩芋《さつまいも》があるばかりである。飯の気《け》を離れる事約二昼夜になるんだから、いかに魂が萎縮しているこの際でも、御櫃《おはち》の影を見るや否や食慾は猛然として咽喉元《のどもと》まで詰め寄せて来た。そこで、冷かしも、交《ま》ぜっ返しも気に掛ける暇《いとま》なく、見栄《みえ》も糸瓜《へちま》も棒に振って、いきなり、お櫃《はち》からしゃくって茶碗へ一杯盛り上げた。その手数《てかず》さえ面倒なくらい待ち遠しいほどであったが、例の剥箸《はげばし》を取り上げて、茶碗から飯をすくい出そうとする段になって――おやと驚いた。ちっともすくえない。指の股《また》に力を入れて箸をうんと底まで突っ込んで、今度こそはと、持上げて見たが、やっぱり駄目だ。飯はつるつると箸の先から落ちて、けっして茶碗の縁《ふち》を離れようとしない。十九年来いまだかつてない経験だから、あまりの不思議に、この仕損《しくじり》を二三度繰り返して見た上で、はてなと箸《はし》を休めて考えた。おそらく狐に撮《つま》まれたような風であったんだろう。見ていた坑夫共はまたぞろ、どっと笑い出した。自分はこの声を聞くや否や、いきなり茶碗を口へつけた。そうして光沢《つや》のない飯を一口|掻《か》き込んだ。すると笑い声よりも、坑夫よりも、空腹よりも、舌三寸の上だけへ魂が宿ったと思うくらいに変な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。この壁土が唾液《つばき》に和《と》けて、口いっぱいに広がった時の心持は云うに云われなかった。
「面《つら》あ見ろ。いい様《ざま》だ」
と一人が云うと、
「御祭日《おさいじつ》でもねえのに、銀米《ぎんまい》の気でいやがらあ。だから帰《けえ》れって教《おせ》えてやるのに」
と他《ほか》のものが云う。
「南京米《ナンキンめえ》の味も知らねえで、坑夫になろうなんて、頭っから料簡違《りょうけんちげえ》だ」
とまた一人が云った。
 自分は嘲弄《ちょうろう》のうちに、術《じゅつ》なくこの南京米《ナンキンまい》を呑み下した。一口でやめようと思ったが、せっかく盛り込んだものを、食ってしまわないと、また冷かされるから、熊の胆《い》を呑む気になって、茶碗に盛っただけは奇麗《きれい》に腹の中へ入れた。全く食慾のためではない。昨日《きのう》食った揚饅頭《あげまんじゅう》や、ふかし芋《いも》の方が、どのくらい御馳走《ごちそう》であったか知れない。自分が南京米の味を知ったのは、生れてこれが始てである。
 茶碗に盛っただけは、こう云う訳で、どうにか、こうにか片づけたが、二杯目は我慢にも盛《よそ》う気にならなかったから、糸蒟蒻《いとごんにゃく》だけを食って箸を置く事にした。このくらい辛抱して無理に厭《いや》なものを口に入れてさえ、箸を置くや否や散々に嘲弄された。その時は随分つらい事と思ったが、その後《ご》日に三度ずつは、必ずこの南京米に対《むか》わなくっちゃならない身分となったんで、さすがの壁土も慣《な》れるに連《つ》れて、いわゆる銀米と同じく、人類の食い得べきもの、否食ってしかるべき滋味と心得るようになってからは、剥膳《はげぜん》に向って逡巡《しりごみ》した当時がかえって恥ずかしい気持になった。坑夫共の冷かしたのも万更《まんざら》無理ではない。今となると、こんな無経験な貴族的の坑夫が一杯の南京米を苦に病《や》むところに廻《めぐ》り合わせて、現状を目撃したら、ことに因《よ》ると、自分でさえ、笑うかも知れない。冷かさないまでも、善意に笑うだけの価値《ねうち》は十分あると思う。人はいろいろに変化するもんだ。
 南京米の事ばかり書いて済まないから、もうやめにするが、この時自分の失敗《しくじり》に対する冷評は、自然のままにして抛《ほう》って置いたなら、どこまで続いたか分らない。ところへ急に金盥《かなだらい》を叩《たた》き合せるような音がした。一度ではない。二度三度と聞いているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時を句切《くぎ》って、拍子《ひょうし》を取りながら叩き立てて来る。すると今度は木唄《きやり》の声が聞え出した。純粋の木唄では無論ないが、自分の知ってる限りでは、まあ木唄と云うのが一番近いように思われる。この時冷評は一時にやんだ。ひっそりと静まり返る山の空気に、じゃじゃん、じゃららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄《うた》い囃《はや》して何物か近づいて来た。
「ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ」
と一人が膝頭《ひざがしら》を打たないばかりに、大きな声を出すと、
「ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ」
と大勢口々に云いながら、黒い塊《かたまり》がばらばらになって、窓の方へ立って行った。自分は何がジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]なんだか分らないが、みんなの注意が、自分を離れると同時に、気分が急に暢達《のんびり》したせいか、自分もジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]を見たいと云う余裕ができて、余裕につれて元気も出来た。つくづく考えるに、人間の心は水のようなもので、押されると引き、引くと押して行く。始終手を出さない相撲《すもう》をとって暮らしていると云っても差支《さしつかえ》なかろう。それで、みんなが立ち尽したあとから、自分も立った。そうしてやっぱり窓の方へ歩いて行った。黒い頭で下は塞《ふさ》がっている上から背伸《せえのび》をして見下《みおろ》すと、斜《はす》に曲ってる向《むこう》の石垣の角から、紺《こん》の筒袖《つつそで》を着た男が二人《ふたあり》出た。あとからまた二人出た。これはいずれも金盥を圧《お》しつぶして薄《うす》っ片《ぺら》にしたようなものを両手に一枚ずつ持っている。ははあ、あれを叩くんだと思う拍子に、二人は両手をじゃじゃんと打ち合わした。その不調和な音が切っ立った石垣に突き当って、後《うしろ》の禿山《はげやま》に響いて、まだやまないうちに、じゃららんとまた一組が後《あと》から鳴らし立てて現れた。たと思うとまた現れる。今度は金盥を持っていない。その代り木唄――さっきは木唄と云った。しかしこの時、彼らの揚げた声は、木唄と云わんよりはむしろ浪花節《なにわぶし》で咄喊《とっかん》するような稀代《きたい》な調子であった。
「おい金公《きんこう》はいねえか」
と、黒い頭の一つが怒鳴《どな》った。後向《うしろむき》だから顔は見えない。すると、
「うん金公に見せてやれ」
とすぐ応じた者がある。この言葉が終るか、終らない間《ま》に、五つ六つの黒い頭がずらりとこっちを向いた。自分はまた何か云われる事と覚悟して仕方なしに、今までの態度で立っていると、不思議にも振り返った眼は自分の方に着いていない。広い部屋の片隅に遠く走った様子だから、何物がいる事かと、自分も後を追っ懸《か》けて、首を捻《ね》じ向けると、――寝ている。薄い布団《ふとん》をかけて一人寝ている。
「おい金州《きんしゅう》」
と一人が大きな声を出したが、寝ているものは返事をしない。
「おい金しゅう起きろやい」
と怒鳴《どなり》つけるように呼んだが、まだ何とも返事がないので、三人ばかり窓を離れてとうとう迎《むかえ》に出掛けた。被《かぶ》ってる布団《ふとん》を手荒にめくると、細帯をした人間が見えた。同時に、
「起きろってば、起きろやい。好いものを見せてやるから」
と云う声も聞えた。やがて横になってた男が、二人の肩に支えられて立ち上った。そうしてこっちを向いた。その時、その刹那《せつな》、その顔を一目見たばかりで自分は思わず慄《ぞっ》とした。これはただ保養に寝ていた人ではない。全くの病人である。しかも自分だけで起居《たちい》のできないような重体の病人である。年は五十に近い。髯《ひげ》は幾日も剃《そ》らないと見えてぼうぼうと延びたままである。いかな獰猛《どうもう》も、こう憔悴《やつれ》ると憐《あわ》れになる。憐れになり過ぎて、逆にまた怖《こわ》くなる。自分がこの顔を一目見た時の感じは憐れの極《きょく》全く怖《こわ》かった。
 病人は二人に支えられながら、釣られるように、利《き》かない足を運ばして、窓の方へ近寄ってくる。この有様を見ていた、窓際の多人数《たにんず》は、さも面白そうに囃《はや》し立てる。
「よう、金《きん》しゅう早く来いよ。今ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]が通るところだ。早く来て見ろよ」
「己《おら》あジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]なんか見たかねえよ」
と病人は、無体《むたい》に引き摺《ず》られながら、気のない声で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありゃしない。たちまち窓の障子《しょうじ》の角《かど》まで圧《お》しつけられてしまった。
 じゃじゃん、じゃららんとジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]は知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ尽きないのかと、また背延《せいの》びをして見下《みおろ》した時、自分は再び慄とした。金盥《かなだらい》と金盥の間に、四角な早桶《はやおけ》が挟《はさ》まって、山道を宙に釣られて行く。上は白金巾《しろかなきん》で包んで、細い杉丸太を通した両端《りょうたん》を、水でも一荷《いっか》頼まれたように、容赦なく担《かつ》いでいる。その担いでいるものまでも、こっちから見ると、例の唄《うた》を陽気にうたってるように思われる。――自分はこの時始めてジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]の意味を理解した。生涯《しょうがい》いかなる事があっても、けっして忘れられないほど痛切に理解した。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]は葬式である。坑夫、シチュウ[#「シチュウ」に傍点]、掘子《ほりこ》、山市《やまいち》に限って執行される、また執行されなければならない一種の葬式である。御経の文句を浪花節《なにわぶし》に唄《うた》って、金盥の潰《つぶ》れるほどに音楽を入れて、一荷《いっか》の水と同じように棺桶《かんおけ》をぶらつかせて――最後に、半死半生の病人を、無理矢理に引き摺り起して、否《いや》と云うのを抑えつけるばかりにしてまで見せてやる葬式である。まことに無邪気の極《きょく》で、また冷刻の極である。
「金しゅう、どうだ、見えたか、面白いだろう」
と云ってる。病人は、
「うん、見えたから、床《とこ》ん所まで連れてって、寝かしてくれよ。後生《ごしょう》だから」
と頼んでいる。さっきの二人は再び病人を中へ挟んで、
「よっしょいよっしょい」
と云いながら、刻《きざ》み足に、布団《ふとん》の敷いてある所まで連れて行った。
 この時曇った空が、粉になって落ちて来たかと思われるような雨が降り出した。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]はこの雨の中を敲《たた》き立てて町の方へ下《くだ》って行く。大勢は
「また雨だ」
と云いながら、窓を立て切って、各々《めいめい》囲炉裏《いろり》の傍《はた》へ帰る。この混雑紛《どさくさまぎれ》に自分もいつの間《ま》にか獰猛《どうもう》の仲間入りをして、火の近所まで寄る事が出来た。これは偶然の結果でもあり、また故意の所作《しょさ》でもあった。と云うものは火の気がなくってははなはだ寒い。袷《あわせ》一枚ではとても凌《しの》ぎ兼ねるほどの山の中だ。それに雨さえ降り出した。雨と云えば雨、霧と云えば霧と云われるくらいな微《かす》かな粒であるが、四方の禿山《はげやま》を罩《こ》め尽した上に、筒抜《つつぬ》けの空を塗り潰《つぶ》して、しとどと落ちて来るんだから、家《うち》の中に坐っていてさえ、糠《ぬか》よりも小さい湿《しめ》り気《け》が、毛穴から腹の底へ沁《し》み込むような心持である。火の気がなくってはとうていやり切れるものじゃない。
 自分が好い加減な所へ席を占めて、いささかながら囲炉裏のほとぼりを顔に受けていると、今度は存外にも度外視されて、思ったよりも調戯《からか》われずに済んだ。これはこっちから進んで獰猛の仲間入りをしたため、向うでも普通の獰猛として取扱うべき奴だと勘弁してくれたのか、それとも先刻《さっき》のジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]で不意に気が変った成行《なりゆき》として、自分の事をしばらく忘れてくれたのか、または冷笑《ひやかし》の種が尽きたか、あるいは毒突《どくづ》くのに飽きたんだか、――何しろ自分が席を改めてから、自分の気は比較的楽になった。そうして囲炉裏の傍の話はやっぱりジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]で持ち切っていた。いろいろな声がこんな事を云う。――
「あのジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]はどこから出たんだろう」
「どこから出たって御《お》ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ」
「ことによると黒市組《くろいちぐみ》かも知れねえ。見当《けんとう》がそうだ」
「全体《ぜんてえ》ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]になったらどこへ行くもんだろう」
「御寺よ。きまってらあ」
「馬鹿にするねえ。御寺の先を聞いてるんだあな」
「そうよ、そりゃ寺限《てらぎり》で留《とま》りっこねえ訳だ。どっかへ行くに違《ちげ》えねえ」
「だからよ。その行く先はどんな所《とこ》だろうてえんだ。やっぱしこんな所《ところ》かしら」
「そりゃ、人間の魂の行く所だもの、大抵は似た所に違えねえ」
「己《おれ》もそう思ってる。行くとなりゃ、どうもほかへ行く訳がねえからな」
「いくら地獄だって極楽《ごくらく》だって、やっぱり飯は食うんだろう」
「女もいるだろうか」
「女のいねえ国が世界にあるもんか」
 ざっと、こんな談話だから、聞いているとめちゃめちゃである。それで始めのうちは冗談《じょうだん》だと思った。笑っても差支《さしつかえ》ないものと心得て、口の端《はた》をむずつかせながら、ちょっと様子を見渡したくらいであった。ところが笑いたいのは自分だけで、囲炉裏を取り捲《ま》いている顔はいずれも、彫りつけたように堅くなっている。彼らは真剣の真面目で未来と云う大問題を論じていたんである。実に嘘《うそ》としか受け取れないほどの熱心が、各々の眉《まゆ》の間に見えた。自分はこの時、この有様を一瞥《いちべつ》して、さっきの笑いたかった念慮をたちまちのうちに一変した。こんな向う見ずの無鉄砲な人間が――カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げて、シキ[#「シキ」に傍点]の中へ下りれば、もう二度と日の目を見ない料簡《りょうけん》でいる人間が――人間の器械で、器械の獣《けだもの》とも云うべきこの獰猛組《どうもうぐみ》が、かほどに未来の事を気にしていようとは、まことに予想外であった。して見ると、世間には、未来の保証をしてくれる宗教というものが入用《いりよう》のはずだ。実際自分が眼を上げて、囲炉裏《いろり》のぐるりに胡坐《あぐら》をかいて並んだ連中を見渡した時には、遠慮に畏縮《いしゅく》が手伝って、七分方《しちぶがた》でき上った笑いを急に崩《くず》したと云う自覚は無論なかった。ただ寄席《よせ》を聞いてるつもりで眼を開けて見たら鼻の先に毘沙門様《びしゃもんさま》が大勢いて、これはと威儀を正さなければならない気持であった。一口に云うと、自分はこの時始めて、真面目な宗教心の種を見て、半獣半人の前にも厳格の念を起したんだろう。その癖自分はいまだに宗教心と云うものを持っていない。
 この時さっきの病人が、向うの隅でううんと唸《うな》り出した。その唸り声には無論特別の意味はない。単に普通の病人の唸り声に過ぎんのだが、ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]の未来に屈託している連中には、一種のあやしい響のように思われたんだろう。みんな眼と眼を見合した。
「金公《きんこう》苦しいのか」
と一人が大きな声で聞いた。病人は、ただ、
「ううん」
と云う。唸ってるのか、返事をしているのか判然しない。するとまた一人の坑夫が、
「そんなに嚊《かかあ》の事ばかり気にするなよ。どうせ取られちまったんだ。今更《いまさら》唸ったってどうなるもんか。質に入れた嚊だ。受出さなけりゃ流れるなあ当り前だ」
と、やっぱり囲炉裏の傍《そば》へ坐ったまま、大きな声で慰《なぐさ》めている。慰めてるんだか、悪口《あくたい》を吐《つ》いているんだか疑わしいくらいである。坑夫から云うと、どっちも同じ事なんだろう。病人はただううんと挨拶《あいさつ》――挨拶にもならない声を微《かす》かに出すばかりであった。そこで大勢は懸合《かけあい》にならない慰藉《いしゃ》をやめて、囲炉裏の周囲《まわり》だけで舌《した》の用を弁じていた。しかし話題はまだ金さんを離れない。
「なあに、病気せえしなけりゃ、金公だって嚊を取られずに済むんだあな。元を云やあ、やっぱり自分が悪いからよ」
と一人が、金さんの病気をさも罪悪のように評するや否や、
「全くだ。自分が病気をして金を借りて、その金が返せねえから、嚊を抵当に取られちまったんだから、正直のところ文句《もんく》の附けようがねえ」
と賛成したものがある。
「若干《いくら》で抵当に入れたんだ」
と聞くと、向側《むこうがわ》から、
「五両だ」
と誰だか、簡潔に教えた。
「それで市《いち》の野郎が長屋へ下がって、金しゅうと入れ代った訳か。ハハハハ」
 自分は囲炉裏の側《そば》に坐ってるのが苦痛であった。背中の方がぞくぞくするほど寒いのに、腋《わき》の下から汗が出る。
「金しゅうも早く癒《なお》って、嚊《かかあ》を受け出したら好かろう」
「また、市《いち》と入れ代りか。世話あねえ」
「それよりか、うんと稼《かせ》いで、もっと価《ね》に踏める抵当でも取った方が、気が利《き》いてらあ」
「違《ちげえ》ねえ」
と一人が云い出すのを相図に、みんなどっと笑った。自分はこの笑の中に包まれながら、どうしても笑い切れずに下を向いてしまった。見ると膝《ひざ》を並べて畏《かしこ》まっていた。馬鹿らしいと気がついて、胡坐《あぐら》に組み直して見た。しかし腹の中はけっして胡坐をかくほど悠長《ゆうちょう》ではなかった。
 その内だんだん日暮に近くなって来る。時間が移るばかりじゃない、天気の具合と、山が囲んでるせいで早く暗くなる。黙って聞いていると、雨垂《あまだれ》の音もしないようだから、ことによると、雨はもう歇《や》んだのかも知れない。しかしこの暗さでは、やっぱり降ってると云う方が当るだろう。窓は固《もとよ》り締め切ってある。戸外《そと》の模様は分りようがない。しかし暗くって湿《しめ》ッぽい空気が障子《しょうじ》の紙を透《こ》して、一面に囲炉裏《いろり》の周囲《まわり》を襲《おそ》って来た。並んでいる十四五人の顔がしだいしだいに漠然《ぼんやり》する。同時に囲炉裏の真中《まんなか》に山のようにくべた炭の色が、ほてり返って、少しずつ赤く浮き出すように思われた。まるで、自分は坑《あな》の底へ滅入込《めいりこ》んで行く、火はこれに反して坑からだんだん競《せ》り上がって来る、――ざっと、そんな気分がした。時にぱっと部屋中が明るくなった。見ると電気灯が点《つ》いた。
「飯でも食うべえ」
と一人が云うと、みんな忘れものを思い出したように、
「飯を食って、また交替か」
「今日は少し寒いぞ」
「雨はまだ降ってるのか」
「どうだか、表へ出て仰向《あおむ》いて見な」
などと、口々に罵《ののし》りながら、立って、階下段《はしごだん》を下りて行った。自分は広い部屋にたった一人残された。自分のほかにいるものは病人の金《きん》さんばかりである。この金さんがやっぱり微《かすか》な声を出して唸《うな》ってるようだ。自分は囲炉裏の前に手を翳《かざ》して胡坐を組みながら、横を向いて、金さんの方を見た。頭は出ていない。足も引っ込ましている。金さんの身体《からだ》は一枚の布団《ふとん》の中で、小さく平ったくなっている。気の毒なほど小さく平ったく見えた。その内《うち》唸《うな》り声《ごえ》も、どうにか、こうにかやんだようだから、また顔の向《むき》を易《か》えて、囲炉裏の中を見詰めた。ところがなんだか金さんが気に掛かってたまらないから、また横を向いた。すると金さんはやっぱり一枚の布団の中で、小さく平ったくなっている。そうして、森《しん》としている。生きてるのか、死んでるのか、ただ森としている。唸られるのも、あんまり気味の好いもんじゃないが、こう静かにしていられるとなお心配になる。心配の極《きょく》は怖《こわ》くなって、ちょっと立ち懸けたが、まあ大丈夫だろう、人間はそう急に死ぬもんじゃないと、度胸を据《す》えてまた尻を落ちつけた。
 ところへ二三人、下からどやどやと階下段《はしごだん》を上がって来た。もう飯を済ましたんだろうか、それにしては非常に早いがと、心持上がり段の方を眺《なが》めていると、思も寄らないものが、現れた。――黒か紺《こん》か色の判然《はっきり》しない筒服《つつっぽう》を着ている。足は職人の穿《は》くような細い股引《ももひき》で、色はやはり同じ紺である。それでカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げている。のみならず二人《ふたあり》が二人とも泥だらけになって、濡《ぬ》れてる。そうして、口を利《き》かない。突っ立ったまま自分の方をぎろりと見た。まるで強盗としきゃあ思えない。やがて、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を抛《ほう》り出すと、釦《ボタン》を外《はず》して、筒袖《つつっぽう》を脱いだ。股引も脱いだ。壁に掛けてある広袖《ひろそで》を、めりやすの上から着て、尻の先に三尺帯をぐるりと回しながら、やっぱり無言のまま、二人してずしりずしりと降りて行った。するとまた上がって来た。今度《こんだ》のも濡れている。泥だらけである。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を抛り出す。着物を着換える。ずしんずしんと降りて行く。とまた上がって来る。こう云う風に入代り、入代りして、何でもよほど来た。いずれも底の方から眼球《めだま》を光らして、一遍だけはきっと自分を見た。中には、
「手前《てめえ》は新前《しんめえ》だな」
と云ったものもある。自分はただ、
「ええ」
と答えて置いた。幸《さいわ》い今度はさっきのようにむやみには冷やかされずに、まあ無難《ぶなん》に済んだ。上がって来るものも、来るものも、みんな急いで降りて行くんで、調戯《からか》う暇がなかったんだろう。その代り一人に一度ずつは必ず睨《にら》まれた。そうこうしている内に、上がって来るものがようやく絶えたから、自分はようやく寛容《くつろ》いだ思いをして、囲炉裏《いろり》の炭の赤くなったのを見詰めて、いろいろ考え出した。もちろん纏《まと》まりようのない、かつ考えれば考えるほど馬鹿になる考えだが、火を見詰ていると、炭の中にそう云う妄想《もうぞう》がちらちらちらちら燃えてくるんだから仕方がない。とうとう自分の魂が赤い炭の中へ抜出して、火気《かっき》に煽《あお》られながら、むやみに踊をおどってるような変な心持になった時に、突然、
「草臥《くたび》れたろうから、もう御休みなさい」
と云われた。
 見ると、さっきの婆さんが、立っている。やっぱり襷掛《たすきがけ》のままである。いつの間《ま》に上がって来たものか、ちっとも気がつかなかった。自分の魂が遠慮なく火の中を馳《か》け廻って、艶子《つやこ》さんになったり、澄江《すみえ》さんになったり、親爺《おやじ》になったり、金さんになったり、――被布《ひふ》やら、廂髪《ひさしがみ》やら、赤毛布《あかげっと》やら、唸《うな》り声《ごえ》やら、揚饅頭《あげまんじゅう》やら、華厳《けごん》の滝やら――幾多無数の幻影《まぼろし》が、囲炉裏の中に躍《おど》り狂って、立ち騰《のぼ》る火の気の裏《うち》に追いつ追われつ、日向《ひなた》に浮かぶ塵《ちり》と思われるまで夥《おびただ》しく出て来た最中に、はっと気がついたんだから、眼の前にいる婆さんが、不思議なくらい変であった。しかし寝ろと云う注意だけは明かに耳に聞えたに違ないから、自分はただ、
「ええ」
と答えた。すると婆さんは後《うし》ろの戸棚を指《さ》して、
「布団《ふとん》は、あすこに這入《はい》ってるから、独《ひとり》で出して御掛けなさい。一枚三銭ずつだ。寒いから二枚はいるでしょう」
と聞くから、また
「ええ」
と答えたら、婆さんは、それ限《ぎり》何にも云わずに、降りて行った。これで、自分は寝てもいいと云う許可を得たから、正式に横になっても剣突《けんつく》を食う恐れはあるまいと思って、婆さんの指図通《さしずどお》り戸棚を明けて見ると、あった。布団がたくさんあった。しかしいずれも薄汚いものばかりである。自宅《うち》で敷いていたのとはまるで比較にならない。自分は一番上に乗ってるのを二枚、そっとおろした。そうして、電気灯の光で見た。地《じ》は浅黄《あさぎ》である。模様は白である。その上に垢《あか》が一面に塗りつけてあるから、六分方《ろくぶがた》色変りがして、白い所などは、通例なら我慢のできにくいほどどろんと、化けている。その上すこぶる堅い。搗《つ》き立ての伸《の》し餅《もち》を、金巾《かなきん》に包んだように、綿は綿でかたまって、表布《かわ》とはまるで縁故がないほどの、こちこちしたものである。
 自分はこの布団を畳の上へ平《ひらた》く敷いた。それから残る一枚を平く掛けた。そうして、襯衣《シャツ》だけになって、その間に潜《もぐ》り込んだ。湿《しめ》っぽい中を割り込んで、両足をうんと伸ばしたら踵《かかと》が畳の上へ出たから、また心持引っ込ました。延ばす時も曲げる時も、不断のように軽くしなやかには行かない。みしりと音がするほど、関節が窮屈に硬張《こわば》って、動きたがらない。じっとして、布団の中に膝頭《ひざがしら》を横たえていると、倦怠《だるい》のを通り越して重い。腿《もも》から下を切り取って、その代りに筋金入《すじがねい》りの義足をつけられたように重い。まるで感覚のある二本の棒である。自分は冷たくって重たい足を苦《く》に病《や》んで、頭を布団の中に突っ込んだ。せめて頭だけでも暖《あったか》にしたら、足の方でも折れ合ってくれるだろうとの、はかない望みから出た窮策であった。
 しかしさすがに疲れている。寒さよりも、足よりも、布団の臭《にお》いよりも、煩悶《はんもん》よりも、厭世《えんせ》よりも――疲れている。実に死ぬ方が楽《らく》なほど疲れ切っていた。それで、横になるとすぐ――畳から足を引っ込まして、頭を布団に入れるだけの所作《しょさ》を仕遂《しと》げたと思うが早いか、眠《ね》てしまった。ぐうぐう正体なく眠てしまった。これから先きは自分の事ながらとうてい書けない。……
 すると、突然針で背中を刺された。夢に刺されたのか、起きていて、刺されたのか、感じはすこぶる曖昧《あいまい》であった。だからそれだけの事ならば、針だろうが刺《とげ》だろうが、頓着《とんじゃく》はなかったろう。正気の針を夢の中に引摺《ひきず》り込んで、夢の中の刺を前後不覚の床《とこ》の下に埋《うず》めてしまう分の事である。ところがそうは行かなかった。と云うものは、刺されたなと思いながらも、針の事を忘れるほどにうっとりとなると、また一つ、ちくりとやられた。
 今度は大きな眼を開《あ》いた。ところへまたちくりと来た。おやと驚く途端《とたん》にまたちくりと刺した。これは大変だとようやく気がつきがけに、飛び上るほど劇《はげ》しく股《もも》の辺《あたり》をやられた。自分はこの時始めて、普通の人間に帰った。そうして身体中《からだじゅう》至る所がちくちくしているのを発見した。そこでそっと襯衣《シャツ》の間から手を入れて、背中を撫《な》でて見ると、一面にざらざらする。最初指先が肌に触れた時は、てっきり劇烈な皮膚病に罹《かか》ったんだと思った。ところが指を肌に着けたまま、二三寸引いて見ると、何だか、ばらばらと落ちた。これはただ事でないとたちまち跳《は》ね起きて、襯衣一枚の見苦しい姿ながら囲炉裏《いろり》の傍《そば》へ行って、親指と人差指の間に押えた、米粒ほどのものを、検査して見ると、異様の虫であった。実はこの時分には、まだ南京虫《ナンキンむし》を見た事がないんだから、はたしてこれがそうだとは断言出来なかったが――何だか直覚的に南京虫らしいと思った。こう云う下卑《げび》た所に直覚の二字を濫用《らんよう》しては済まんが、ほかに言葉がないから、やむを得ず高尚な術語を使った。さてその虫を検査しているうちに、非常に悪《にく》らしくなって来た。囲炉裏の縁《ふち》へ乗せて、ぴちりと親指の爪で圧《お》し潰《つぶ》したら、云うに云われぬ青臭い虫であった。この青臭い臭気《におい》を嗅《か》ぐと、何となく好い心持になる。――自分はこんな醜い事を真面目《まじめ》にかかねばならぬほど狂違染《きちがいじ》みていた。実を云うと、この青臭い臭気を嗅ぐまでは、恨《うらみ》を霽《は》らしたような気がしなかったのである。それだから捕《と》っては潰し、捕っては潰し、潰すたんびに親指の爪を鼻へあてがって嗅いでいた。すると鼻の奥へ詰って来た。今にも涙が出そうになる。非常に情《なさけ》ない。それだのに、爪を嗅ぐと愉快である。この時二階下で大勢が一度にどっと笑う声がした。自分は急に虫を潰すのをやめた。広間を見渡すと誰もいない。金さんだけが、平たくなって静かに寝ている。頭も足も見えない。そのほかにたった一人いた。もっとも始めて気がついた時は人間とは思わなかった。向うの柱の中途から、窓の敷居へかけて、帆木綿《ほもめん》のようなものを白く渡して、その幅のなかに包まっていたから、何だか気味が悪かった。しかしよく見ると、白い中から黒いものが斜《はす》に出ている。そうしてそれが人間の毬栗頭《いがぐりあたま》であった。――広い部屋には、自分とこの二人を除《のぞ》いて、誰もいない。ただ電気灯がかんかん点《つ》いている。大変静かだ、と思うとまた下座敷でわっと笑った。さっきの連中か、または作業を済まして帰って来たものが、大勢寄ってふざけ散らしているに違ない。自分はぼんやりして布団のある所まで帰って来た。そうして裸体《はだか》になって、襯衣を振るって、枕元にある着物を着て、帯を締めて、一番しまいに敷いてある布団を叮嚀《ていねい》に畳んで戸棚へ入れた。それから後《あと》はどうして好いか分らない。時間は何時《なんじ》だか、夜《よ》はとうていまだ明けそうにしない。腕組をして立って考えていると、足の甲がまたむずむずする。自分は堪《こら》え切れずに、
「えっ畜生」
と云いながら二三度小踊をした。それから、右の足の甲で、左の上を擦《こす》って、左の足の甲で右の上を擦って、これでもかと歯軋《はぎしり》をした。しかし表へ飛び出す訳にも行かず、寝る勇気はなし、と云って、下へ降りて、車座の中へ割り込んで見る元気は固《もとよ》りない。さっき毒突《どくづ》かれた事を思い出すと、南京虫よりよっぽど厭《いや》だ。夜が明ければいい、夜が明ければいいと思いながら、自分は表へ向いた窓の方へ歩いて行った。するとそこに柱があった。自分は立ちながら、この柱に倚《よ》っ掛った。背中をつけて腰を浮かして、足の裏で身体を持たしていると、両足がずるずる畳の目を滑《すべ》ってだんだん遠くへ行っちまう。それからまた真直《まっすぐ》に立つ。またずるずる滑《すべ》る。また立つ。まずこんな事をしていた。幸い南京虫《ナンキンむし》は出て来なかった。下では時々どっと笑う。
 いても立ってもと云うのは喩《たとえ》だが、そのいても立ってもを、実際に経験したのはこの時である。だから坐るとも立つとも方《かた》のつかない運動をして、中途半端に紛《まぎ》らかしていた。ところがその運動をいつまで根気《こんき》にやったものか覚えていない。いとど疲れている上に、なお手足を疲らして、いかな南京虫でも応《こた》えないほど疲れ切ったんで、始めて寝たもんだろう。夜が明けたら、自分が摺《ず》り落ちた柱の下に、足だけ延ばして、背を丸く蹲踞《うずくま》っていた。
 これほど苦しめられた南京虫も、二日三日と過《た》つにつれて、だんだん痛くなくなったのは妙である。その実、一箇月ばかりしたら、いくら南京虫がいようと、まるで米粒でも、ぞろぞろ転がってるくらいに思って、夜はいつでも、ぐっすり安眠した。もっとも南京虫の方でも日数《ひかず》を積むに従って遠慮してくるそうである。その証拠には新来《きたて》のお客には、べた一面にたかって、夜通し苛《いじ》めるが、少し辛抱していると、向うから、愛想《あいそ》をつかして、あまり寄りつかなくなるもんだと云う。毎日食ってる人間の肉は自然鼻につくからだとも教えたものがあるし、いや肉の方にそれだけの品格が出来て、シキ[#「シキ」に傍点]臭くなるから、虫も恐れ入るんだとも説明したものがある。そうして見るとこの南京虫と坑夫とは、性質《たち》がよく似ている。おそらく坑夫ばかりじゃあるまい、一般の人類の傾向と、この南京虫とはやはり同様の心理に支配されてるんだろう。だからこの解釈は人間と虫けらを概括《がいかつ》するところに面白味があって、哲学者の喜びそうな、美しいものであるが、自分の考えを云うと全くそうじゃないらしい。虫の方で気兼《きがね》をしたり、贅沢《ぜいたく》を云ったりするんじゃなくって、食われる人間の方で習慣の結果、無神経になるんだろうと思う。虫は依然として食ってるが、食われても平気でいるに違ない、もっとも食われて感じないのも、食われなくって感じないのも、趣《おもむき》こそ違え、結果は同じ事であるから、これは実際上議論をしても、あまり役に立たない話である。
 そんな無用の弁は、どうでもいいとして、自分が眼を開けて見たら、夜は全く明け放れていた。下ではもうがやがや云っている。嬉しかった。窓から首を出して見ると、また雨だ。もっとも判然《はっきり》とは降っていない。雲の濃いのが糸になり損《そく》なって、なっただけが、細く地へ落ちる気色《けしき》だ。だからむやみに濛々《もうもう》とはしていない。しだいしだいに雨の方に片づいて、片づくに従って糸の間が透《す》いて見える。と云っても見えるものは山ばかりである。しかも草も木も至って乏《とぼ》しい、潤《うるおい》のない山である。これが夏の日に照りつけられたら、山の奥でもさぞ暑かろうと思われるほど赤く禿《は》げてぐるりと自分を取り捲《ま》いている。そうして残らず雨に濡《ぬ》れている。潤い気《け》のないものが、濡れているんだから、土器《かわらけ》に霧を吹いたように、いくら濡れても濡れ足りない。その癖寒い気持がする。それで自分は首を引っ込めようとしたら、ちょっと眼についた。――手拭《てぬぐい》を被《かぶ》って、藁《わら》を腰に当てて、筒服《つつっぽう》を着た男が二三人、向うの石垣の下にあらわれた。ちょうど昨日《きのう》ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]の通った路を逆に歩いて来る。遠くから見ると、いかにもしょぼしょぼして気の毒なほど憐れである。自分も今朝からああなるんだなと、ふと気がついて見ると、人事《ひとごと》とは思われないほど、向《むこう》へ行く手拭《てぬぐい》の影――雨に濡《ぬ》れた手拭の影が情《なさけ》なかった。すると雨の間からまた古帽子が出て来た。その後《あと》からまた筒袖姿《つつそですがた》があらわれた。何でも朝の番に当った坑夫がシキ[#「シキ」に傍点]へ這入《はい》る時間に相違ない。自分はようやく窓から首を引き込めた。すると、下から五六人一度にどやどやと階下段《はしごだん》を上《あが》って来る。来たなと思ったが仕方がないから懐手《ふところで》をして、柱にもたれていた。五六人は見る間に、同じ出立《いでたち》に着更えて下りて行った。後《あと》からまた上がってくる。また筒袖になって下りて行く。とうとう飯場《はんば》にいる当番はことごとく出払ったようだ
 こう飯場中活動して来ると、自分も安閑としちゃいられない。と云って誰も顔を御洗いなさいとも、御飯を御上がんなさいとも云いに来てくれない。いかな坊っちゃんも、あまり手持無沙汰《てもちぶさた》過ぎて困っちまったから、思い切って、のこのこ下りて行った。心は無論落ついちゃいないが、態度だけはまるで宿屋へ泊って、茶代を置いた御客のようであった。いくら恐縮しても自分には、これより以外の態度が出来ないんだから全くの生息子《きむすこ》である。下りて見ると例の婆さんが、襷《たすき》がけをして、草鞋《わらじ》を一足ぶら下げて奥から駆けて来たところへ、ばったり出逢《であ》った。
「顔はどこで洗うんですか」
と聞くと、婆さんは、ちょっと自分を見たなりで、
「あっち」
と云い捨てて門口《かどぐち》の方へ行った。まるで相手にしちゃいない。自分にはあっち[#「あっち」に傍点]の見当《けんとう》がわからなかったが、とにかく婆さんの出て来た方角だろうと思って、奥の方へ歩いて行ったら、大きな台所へ出た。真中に四斗樽《しとだる》を輪切にしたようなお櫃《はち》が据《す》えてある。あの中に南京米《ナンキンまい》の炊《た》いたのがいっぱい詰ってるのかと思ったら、――何しろ自分が三度三度一箇月食っても食い切れないほどの南京米なんだから、食わない前からうんざりしちまった。――顔を洗う所も見つけた。台所を下りて長い流の前へ立って、冷たい水で、申し訳のために頬辺《ほっぺた》を撫《な》でて置いた。こうなると叮嚀《ていねい》に顔なんか洗うのは馬鹿馬鹿しくなる。これが一歩進むと、顔は洗わなくっても宜《い》いものと度胸が坐ってくるんだろう。昨日《きのう》の赤毛布《あかげっと》や小僧は全くこう云う順序を踏んで進化したものに違ない。
 顔はようやく自力で洗った。飯はどうなる事かと、またのそのそ台所へ上《あが》った。ところへ幸《さいわ》い婆さんが表から帰って来て膳立《ぜんだ》てをしてくれた。ありがたい事に味噌汁《みそしる》がついていたんで、こいつを南京米の上から、ざっと掛けて、ざくざくと掻《か》き込んだんで、今度《こんだ》は壁土の味を噛《か》み分《わけ》ないで済んだ。すると婆さんが、
「御飯《おまんま》が済んだら、初《はつ》さんがシキ[#「シキ」に傍点]へ連れて行くって待ってるから、早くおいでなさい」
と、箸《はし》も置かない先から急《せ》き立てる。実はもう一杯くらい食わないと身体《からだ》が持つまいと思ってたところだが、こう催促されて見ると、無論御代りなんか盛《よそ》う必要はない。自分は、
「はあ、そうですか」
と立ち上がった。表へ出て見ると、なるほど上《あが》り口《くち》に一人掛けている。自分の顔を見て、
「御前《おめえ》か、シキ[#「シキ」に傍点]へ行くなあ」
と、石でもぶっ欠くような勢いで聞いた。
「ええ」
と素直に答えたら、
「じゃ、いっしょに来ねえ」
と云う。
「この服装《なり》でも好いんですか」
と叮嚀《ていねい》に聞き返すと、
「いけねえ、いけねえ。そんな服装で這入《へえ》れるもんか。ここへ親分とこから一枚《いちめえ》借りて来てやったから、此服《こいつ》を着るがいい」
と云いながら、例の筒袖《つつそで》を抛《ほう》り出した。
「そいつが上だ。こいつが股引《ももひき》だ。そら」
とまた股引を抛《な》げつけた。取りあげて見ると、じめじめする。所々に泥が着いている。地《じ》は小倉《こくら》らしい。自分もとうとうこの御仕着《おしきせ》を着る始末になったんだなと思いながら、絣《かすり》を脱いで上下《うえした》とも紺揃《こんぞろい》になった。ちょっと見ると内閣の小使のようだが、心持から云うと、小使を拝命した時よりも遥《はるか》に不景気であった。これで支度《したく》は出来たものと思込んで土間へ下りると、
「おっと待った」
と、初さんがまた勇み肌の声を掛けた。
「これを尻《けつ》の所へ当てるんだ」
 初さんが出してくれたものを見ると、三斗俵坊《さんだらぼ》っちのような藁布団《わらぶとん》に紐《ひも》をつけた変挺《へんてこ》なものだ。自分は初さんの云う通り、これを臀部《でんぶ》へ縛《しば》りつけた。
「それが、アテシコ[#「アテシコ」に傍点]だ。好《よ》しか。それから鑿《のみ》だ。こいつを腰ん所へ差してと……」
 初さんの出した鑿を受け取って見ると、長さ一尺四五寸もあろうと云う鉄の棒で、先が少し尖《とが》っている。これを腰へ差す。
「ついでにこれも差すんだ。少し重いぜ。大丈夫か。しっかり受け取らねえと怪我をする」
 なるほど重い。こんな槌《つち》を差してよく坑《あな》の中が歩けるもんだと思う。
「どうだ重いか」
「ええ」
「それでも軽いうちだ。重いのになると五斤ある。――いいか、差せたか、そこでちょっと腰を振って見な。大丈夫か。大丈夫ならこれを提《さ》げるんだ」
とカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を出しかけたが、
「待ったり。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の前に一つ草鞋《わらじ》を穿《は》いちまいねえ」
 草鞋《わらじ》の新しいのが、上り口にある。さっき婆さんが振《ぶ》ら下げてたのは、大方これだろう。自分は素足《すあし》の上へ草鞋を穿《は》いた。緒《お》を踵《かかと》へ通してぐっと引くと、
「駑癡《どじ》だなあ。そんなに締める奴があるかい。もっと指《いび》の股を寛《ゆる》めろい」
と叱られた。叱られながら、どうにか、こうにか穿いてしまう。
「さあ、これでいよいよおしまいだ」
と初さんは饅頭笠《まんじゅうがさ》とカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を渡した。饅頭笠と云うのか筍笠《たけのこがさ》というのか知らないが、何でも懲役人の被《かぶ》るような笠であった。その笠を神妙《しんびょう》に被る。それからカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げる。このカンテラ[#「カンテラ」に傍点]は提げるようにできている。恰好《かっこう》は二合入りの石油缶《せきゆかん》とも云うべきもので、そこへ油を注《さ》す口と、心《しん》を出す孔《あな》が開《あ》いてる上に、細長い管《くだ》が食っついて、その管の先がちょっと横へ曲がると、すぐ膨《ふく》らんだカップ[#「カップ」に傍点]になる。このカップ[#「カップ」に傍点]へ親指を突っ込んで、その親指の力で提げるんだから、指五本の代りに一本で事を済ますはなはだ実用的のものである。
「こう、穿《は》めるんだ」
と初さんが、勝栗《かちぐり》のような親指を、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の孔の中へ突込《つっこ》んだ。旨《うま》い具合にはまる。
「そうら」
 初さんは指一本で、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を柱時計の振子のように、二三度振って見せた。なかなか落ちない。そこで自分も、同じように、調子をとって揺《うごか》して見たがやっぱり落ちなかった。
「そうだ。なかなか器用だ。じゃ行くぜ、いいか」
「ええ、好《よ》ござんす」
 自分は初さんに連れられて表へ出た。所が降っている。一番先へ笠《かさ》へあたった。仰向《あおむ》いて、空模様を見ようとしたら、顎《あご》と、口と、鼻へぽつぽつとあたった。それからあとは、肩へもあたる。足へもあたる。少し歩くうちには、身体中じめじめして、肌へ抜けた湿気が、皮膚の活気で蒸《む》し返される。しかし雨の方が寒いんで、身体のほとぼりがだんだん冷《さ》めて行くような心持であったが、坂へかかると初さんがむやみに急ぎ出したんで、濡《ぬ》れながらも、毛穴から、雨を弾《はじ》き出す勢いで、とうとうシキ[#「シキ」に傍点]の入口まで来た。
 入口はまず汽車の隧道《トンネル》の大きいものと云って宜《よろ》しい。蒲鉾形《かまぼこなり》の天辺《てっぺん》は二間くらいの高さはあるだろう。中から軌道が出て来るところも汽車の隧道《トンネル》に似ている。これは電車が通う路なんだそうだ。自分は入口の前に立って、奥の方を透《す》かして見た。奥は暗かった。
「どうだここが地獄の入口だ。這入《はい》れるか」
と初さんが聞いた。何だか嘲弄《ちょうろう》の語気を帯びている。さっき飯場《はんば》を出て、ここまで来る途中でも、方々の長屋の窓から首を出して、
「昨日《きのう》のだ」
「新来《しんき》だ」
と口々に罵《ののし》っていたが、その様子を見ると単に山の中に閉じ込められて物珍らしさの好奇心とは思えなかった。その言葉の奥底にはきっと愚弄《ぐろう》の意味がある。これを布衍《ふえん》して云うと、一つには貴様もとうとうこんな所へ転げ込んで来た、いい気味だ、ざまあ見ろと云う事になる。もう一つは御気の毒だが来たって駄目だよ。そんな脂《やに》っこい身体《からだ》で何が勤まるものかと云う事にもなる。だから「昨日《きのう》のだ」「新来《しんき》だ」と騒ぐうちには、自分が彼らと同様の苦痛を甞《な》めなければならないほど堕落したのを快く感ずると共に、とうていこの苦痛には堪《た》えがたい奴だとの軽蔑《けいべつ》さえ加わっている。彼らは他人《ひと》を彼らと同程度に引き摺《ず》り落して喝采《かっさい》するのみか、ひとたび引き摺り落したものを、もう一返《いっぺん》足の下まで蹴落《けおと》して、堕落は同程度だが、堕落に堪《た》える力は彼らの方がかえって上だとの自信をほのめかして満足するらしい。自分は途上《みちみち》「昨日のだ」と聞くたんびに、懲役笠《ちょうえきがさ》で顔を半分隠しながら通り抜けて、シキ[#「シキ」に傍点]の入口まで来た。そこで初さんがまた愚弄《ぐろう》したんだから、自分は少しむっとして、
「這入《はい》れますとも。電車さえ通《かよ》ってるじゃありませんか」
と答えた。すると初さんが、
「なに這入れる? 豪義《ごうぎ》な事を云うない」
と云った。ここで「這入れません」と恐れ入ったら、「それ見ろ」と直《すぐ》こなされるにきまってる。どっちへ転んでも駄目なんだから別に後悔もしなかった。初さんは、いきなり、シキ[#「シキ」に傍点]の中へ飛び込んだ。自分も続いて這入った。這入って見ると、思ったよりも急に暗くなる。何だか足元がおっかなくなり出したには降参した。雨が降っていても外は明かるいものだ。その上|軌道《レール》の上はとにかく、両側はすこぶる泥《ぬか》っている。それだのに初さんは中《ちゅう》っ腹《ぱら》でずんずん行く。自分も負けない気でずんずん行く。
「シキ[#「シキ」に傍点]の中でおとなしくしねえと、すのこ[#「すのこ」に傍点]の中へ抛《ほう》り込まれるから、用心しなくっちゃあいけねえ」
と云いながら初さんは突然暗い中で立ち留《どま》った。初さんの腰には鑿《のみ》がある。五斤の槌《つち》がある。自分は暗い中で小さくなって、
「はい」
と返事をした。
「よしか、分ったか。生きて出る料簡《りょうけん》なら生意気にシキ[#「シキ」に傍点]なんかへ這入らねえ方が増しだ」
 これは向うむきになって、初さんが歩き出した時に、半分は独《ひと》り言《ごと》のように話した言葉である。自分は少からず驚いた。坑《あな》の中は反響が強いので、初さんの言葉がわんわんわんと自分の耳へ跳《は》ねっ返って来る。はたして初さんの言う通りなら、飛んだ所へ這入ったもんだ。実は死ぬのも同然な職業であればこそ坑夫になろうと云う気も起して見たんだが、本当に死ぬなら――こんな怖《こわ》い商売なら――殺されるんなら――すのこ[#「すのこ」に傍点]の中へ抛《な》げ込まれるなら――すのこ[#「すのこ」に傍点]とは全体どんなもんだろうと思い出した。
「すのこ[#「すのこ」に傍点]とはどんなもんですか」
「なに?」
と初さんが後《うしろ》を振り向いた。
「すのこ[#「すのこ」に傍点]とはどんなもんですか」
「穴だ」
「え?」
「穴だよ。――鉱《あらがね》を抛《ほう》り込んで、纏《まと》めて下へ降《さ》げる穴だ。鉱といっしょに抛り込まれて見ねえ……」
で言葉を切ってまたずんずん行く。
 自分はちょっと立ち留った。振り返ると、入口が小さい月のように見える。這入《はい》るときは、これがシキ[#「シキ」に傍点]ならと思った。聞いたほどでもないと思った。ところが初さんに威嚇《おど》かされてから、いかな平凡な隧道《トンネル》も、大いに容子《ようす》が変って来た。懲役笠《ちょうえきがさ》をたたく冷たい雨が恋しくなった。そこで振り返ると、入口が小さい月のように見える。小さい月のように見えるほど奥へ這入ったなと、振り返って始めて気がついた。いくら曇っていてもやっぱり外が懐《なつ》かしい。真黒な天井《てんじょう》が上から抑《おさ》えつけてるのは心持のわるいものだ。しかもこの天井がだんだん低くなって来るように感ぜられる。と思うと、軌道《レール》を横へ切れて、右へ曲った。だらだら坂の下りになる。もう入口は見えない。振返っても真暗だ。小さい月のような浮世の窓は遠慮なくぴしゃりと閉って、初さんと自分はだんだん下の方へ降りて行く。降りながら手を延ばして壁へ触《さわ》って見ると、雨が降ったように濡《ぬ》れている。
「どうだ、尾《つ》いて来るか」
と、初さんが聞いた。
「ええ」
とおとなしく答えたら、
「もう少しで地獄の三丁目へ来る」
と云ったなり、また二人とも無言になった。この時行く手の方《かた》に一点の灯《あかり》が見えた。暗闇《くらやみ》の中の黒猫の片眼のように光ってる。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》なら散らつくはずだが、ちっとも動かない。距離もよく分らない。方角も真直《まっすぐ》じゃないが、とにかく見える。もし坑《あな》の中が一本道だとすれば、この灯を目懸《めが》けて、初さんも自分も進んで行くに違ない。自分は何にも聞かなかったが、大方これが地獄の三丁目なんだろうと思って、這入って行った。すると、だらだら坂がようやく尽きた。路は平らに向うへ廻り込む。その突き当りに例の灯《ひ》が点《つ》いている。さっきは鼻の下に見えたが、今では眼と擦々《すれすれ》の所まで来た。距離も間近くなった。
「いよいよ三丁目へ着いた」
と、初さんが云う。着いて見ると、坑《あな》が四五畳ほどの大《おおき》さに広がって、そこに交番くらいな小屋がある。そうしてその中に電気灯が点いている。洋服を着た役人が二人ほど、椅子の対《むか》い合せに洋卓《テーブル》を隔てて腰を掛けていた。表《おもて》には第一見張所とあった。これは坑夫の出入《でいり》だの労働の時間だのを検査する所だと後から聞いて、始めて分ったんだが、その当時には何のための設備だか知らなかったもんだから、六七人の坑夫が、どす黒い顔を揃《そろ》えて無言のまま、見張所の前に立っていたのを不審に思った。これは時間を待ち合わして交替するためである。自分は腰に鑿《のみ》と槌《つち》を差してカンテラ[#「カンテラ」に傍点]さえ提《さ》げてはいるが、坑夫志願というんで、シキ[#「シキ」に傍点]の様子を見に這入っただけだから、まだ見習にさえ採用されていないと云う訳で、待ち合わす必要もないものと見えて、すぐこの溜《たまり》を通り越した。その時初さんが見張所の硝子窓《ガラスまど》へ首を突っ込んで、ちょいと役人に断《ことわ》ったが、役人は別に自分の方を見向もしなかった。その代り立っていた坑夫はみんな見た。しかし役人の前を憚《はばか》ってだろう、全く一言《ひとこと》も口を利《き》いたものはなかった。
 溜を出るや否や坑《あな》の様子が突然変った。今までは立ってあるいても、背延《せいの》びをしても届きそうにもしなかった天井が急に落ちて来て、真直《まっすぐ》に歩くと時々頭へ触《さわ》るような気持がする。これがものの二寸も低かろうものなら、岩へぶつかって眉間《みけん》から血が出るに違ないと思うと、松原をあるくように、ありったけの背で、野風雑《のふうぞう》にゃやって行けない。おっかないから、なるべく首を肩の中へ縮め込んで、初さんに食っついて行った。もっともカンテラ[#「カンテラ」に傍点]はさっき点《つ》けた。
 すると三尺ばかり前にいる初さんが急に四《よつ》ん這《ば》いになった。おや、滑《すべ》って転んだ。と思って、後《うしろ》から突っ掛かりそうなところを、ぐっと足を踏ん張った。このくらいにして喰い留めないと、坂だから、前へのめる恐《おそれ》がある。心持腰から上を反《そ》らすようにして、初さんの起きるのを待ち合わしていると、初さんはなかなか起きない。やっぱり這《は》っている。
「どうか、しましたか」
と後から聞いた。初さんは返事もしない。――はてな――怪我でもしやしないかしら――もう一遍聞いて見ようか――すると初さんはのこのこ歩き出した。
「何ともなかったですか」
「這うんだ」
「え?」
「這うのだてえ事よ」
と初さんの声はだんだん遠くなってしまう。その声で自分は不審を打った。いくら向うむきでも、普通なら明かに聞きとられべき距離から出るのに、急に潜《もぐ》ってしまう。声が細いんじゃない。当り前の初さんの声が袋のなかに閉じ込められたように曖昧《あいまい》になる。こりゃただ事じゃないと気がついたから、透《すか》して見るとようやく分った。今までは尋常に歩けた坑が、ここでたちまち狭《せま》くなって、這わなくっちゃ抜けられなくなっている。その狭い入口から、初さんの足が二本出ている。初さんは今胴を入れたばかりである。やがて出ていた足が一本這入った。見ているうちにまた一本這入った。これで自分も四つん這いにならなくっちゃ仕方がないと諦《あきら》めをつけた。「這うんだ」と初さんの教えたのもけっして無理じゃないんだから、教えられた通り這った。ところが右にはカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げている。左の手の平《ひら》だけを惜気《おしげ》もなく氷のような泥だか岩だかへな土だか分らない上へぐしゃりと突いた時は、寒さが二の腕を伝わって肩口から心臓へ飛び込んだような気持がした。それでカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を下へ着けまいとすると、右の手が顔とすれすれになって、はなはだ不便である。どうしたもんだろうと、この姿勢のままじっとしていた。そうして、右の手で宙に釣っているカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を見た。ところへぽたりと天井《てんじょう》からしずくが垂れた。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の灯《ひ》がじいと鳴った。油煙が顎《あご》から頬へかかる。眼へも這入《はい》った。それでもこの灯を見詰めていた。すると遠くの方でかあん、かあん、と云う音がする。坑夫が作業をしているに違ないが、どのくらい距離があるんだか、どの見当《けんとう》にあたるんだか、いっこう分らない。東西南北のある浮世の音じゃない。自分はこの姿勢でともかくも二三歩歩き出した。不便は無論不便だが、歩けない事はない。ただ時々しずくが落ちてカンテラ[#「カンテラ」に傍点]のじいと鳴るのが気にかかる。初さんは先へ行ってしまった。頼《たより》はカンテラ[#「カンテラ」に傍点]一つである。そのカンテラ[#「カンテラ」に傍点]がじいと鳴って水のために消えそうになる。かと思うとまた明かるくなる。まあよかったと安心する時分に、またぽたりと落ちて来る。じいと鳴る。消えそうになる。非常に心細い。実は今までも、しずくは始終《しじゅう》垂れていたんだが、灯《ひ》が腰から下にあるんで、いっこう気がつかなかったんだろう。灯が耳の近くへ来て、じいと云う音が聞えるようになってから急に神経が起って来た。だから這う方はなお遅くなる。しかもまだ三足しか歩いちゃいない。ところへ突然初さんの声がした。
「やい、好い加減に出て来ねえか。何をぐずぐずしているんだ。――早くしないと日が暮れちまうよ」
 暗いなかで初さんはたしかに日が暮れちまうと云った。
 自分は這《は》いながら、咽喉仏《のどぼとけ》の角《かど》を尖《とが》らすほどに顎《あご》を突き出して、初さんの方を見た。すると一間《いっけん》ばかり向うに熊の穴見たようなものがあって、その穴から、初さんの顔が――顔らしいものが出ている。自分があまり手間取るんで、初さんが屈《こご》んでこっちを覗《のぞ》き込んでるところであった。この一間をどうして抜け出したか、今じゃ善く覚えていない。何しろできるだけ早く穴まで来て、首だけ出すと、もう初さんは顔を引っ込まして穴の外に立っている。その足が二本自分の鼻の先に見えた。自分はやれ嬉《うれ》しやと狭い所を潜《くぐ》り抜けた。
「何をしていたんだ」
「あんまり狭いもんだから」
「狭いんで驚いちゃ、シキ[#「シキ」に傍点]へは一足《ひとあし》だって踏《ふ》ん込《ご》めっこはねえ。陸《おか》のように地面はねえ所《とこ》だくらいは、どんな頓珍漢《とんちんかん》だって知ってるはずだ」
 初さんはたしかに坑《あな》の中は陸のように地面のない所だと云った。この人は時々思い掛けない事を云うから、今度もたしかにとただし書《がき》をつけて、その確実な事を保証して置くんである。自分は何か云い訳をするたんびに、初さんから容赦なくやっつけられるんで、大抵は黙っていたが、この時はつい、
「でもカンテラ[#「カンテラ」に傍点]が消えそうで、心配したもんですから」
と云っちまった。すると初さんは、自分の鼻の先へカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を差しつけて、徐《おもむろ》に自分の顔を検査し始めた。そうして、命令を下した。
「消して見ねえ」
「どうしてですか」
「どうしてでも好いから、消して見ねえ」
「吹くんですか」
 初さんはこの時大きな声を出して笑った。
 自分は喫驚《びっくり》して稀有《けう》な顔をしていた。
「冗談《じょうだん》じゃねえ。何が這入《へっ》てると思う。種油《たねあぶら》だよ、しずくぐらいで消《けえ》てたまるもんか」
 自分はこれでやっと安心した。
「安心したか。ハハハハ」
と初さんがまた笑った。初さんが笑うたんびに、坑《あな》の中がみんな響き出す。その響が収まると前よりも倍静かになる。ところへかあん、かあんとどこかで鑿《のみ》と槌《つち》を使ってる音が伝わって来る。
「聞えるか」
と、初さんが顋《あご》で相図をした。
「聞えます」
と耳を峙《そばだ》てていると、たちまち催促を受けた。
「さあ行こう。今度《こんだ》あ後《おく》れないように跟《つ》いて来な」
 初さんはなかなか機嫌がいい。これは自分が一も二もなく初さんにやられているせいだろうと思った。いくら手苛《てひど》くきめつけられても、初さんの機嫌がいいうちは結構であった。こうなると得になる事がすなわち結構という意味になる。自分はこれほど堕落して、おめおめ初さんの尻を嗅《か》いで行ったら、路が左の方に曲り込んでまた峻《けわ》しい坂になった。
「おい下りるよ」
と初さんが、後《うしろ》も向かず声を掛けた。その時自分は何となく東京の車夫を思い出して苦しいうちにもおかしかった。が初さんはそれとも気がつかず下《お》り出した。自分も負けずに降りる。路は地面を刻んで段々になっている。四五間ずつに折れてはいるが、勘定したら愛宕様《あたごさま》の高さぐらいはあるだろう。これは一生懸命になって、いっしょに降りた。降りた時にほっと息を吐《つ》くと、その息が何となく苦しかった。しかしこれは深い坑《あな》のなかで、空気の流通が悪いからとばかり考えた。実はこの時すでに身体《からだ》も冒《おか》されていたんである。この苦しい息で二三十間来るとまた模様が変った。
 今度は初さんが仰向《あおむ》けに手を突いて、腰から先を入れる。腰から入れるような芸をしなければ通れないほど、坑《あな》の幅も高さも逼《せま》って来たのである。
「こうして抜けるんだ。好く見て置きねえ」
と初さんが云ったと思ったら、胴も頭もずる、ずると抜けて見えなくなった。さすが熟練の功はえらいもんだと思いながら、自分もまず足だけ前へ出して、草鞋《わらじ》で探《さぐり》を入れた。ところが全く宙に浮いてるようで足掛りがちっともない。何でも穴の向うは、がっくり落《おち》か、それでなくても、よほど勾配《こうばい》の急な坂に違ないと見当《けんとう》をつけた。だから頭から先へ突っ込めばのめって怪我をするばかり、また足をむやみに出せば引っ繰り返るだけと覚ったから、足を棒のように前へ寝かして、そうして後《うしろ》へ手を突いた。ところがこの所作《しょさ》がはなはだ不味《まず》かったので、手を突くと同時に、尻もべったり突いてしまった。ぴちゃりと云った。アテシコ[#「アテシコ」に傍点]を伝わって臀部《でんぶ》へ少々感じがあった。それほど強く尻餅《しりもち》を搗《つ》いたと見える。自分はしまったと思いながらも直《すぐ》両足を前の方へ出した。ずるりと一尺ばかり振《ぶ》ら下げたが、まだどこへも届かない。仕方がないから、今度は手の方を前へ運ばせて、腰を押し出すように足を伸ばした。すると腿《もも》の所まで摺《ず》り落ちて、草鞋《わらじ》の裏がようやく堅いものに乗った。自分は念のためこの堅いものをぴちゃぴちゃ足の裏で敲《たた》いて見た。大丈夫なら手を離してこの堅いものの上へ立とうと云う料簡《りょうけん》であった。
「何で足ばかり、ばたばたやってるんだ。大丈夫だから、うんと踏ん張って立ちねえな。意久地《いくじ》のねえ」
と、下から初さんの声がする。自分の胴から上は叱られると同時に、穴を抜けて真直に立った。
「まるで傘《からかさ》の化物《ばけもの》のようだよ」
と初さんが、自分の顔を見て云った。自分は傘の化物とは何の意味だか分らなかったから、別に笑う気にもならなかった。ただ
「そうですか」
と真面目に答えた。妙な事にこの返事が面白かったと見えて、初さんは、また大きな声を出して笑った。そうして、この時から態度が変って、前よりは幾分《いくぶん》か親切になった。偶然の事がどんな拍子《ひょうし》で他《ひと》の気に入らないとも限らない。かえって、気に入ってやろうと思って仕出《しで》かす芸術は大抵駄目なようだ。天巧《てんこう》を奪うような御世辞使はいまだかつて見た事がない。自分も我が身が可愛さに、その後《ご》いろいろ人の御機嫌を取って見たが、どうも旨《うま》い結果が出て来ない。相手がいくら馬鹿でも、いつか露見するから怖《こわ》いもんだ。用意をして置いた挨拶《あいさつ》で、この傘の化物に対する返事くらいに成功した場合はほとんどない。骨を折って失敗するのは愚《ぐ》だと悟ったから、近頃では宿命論者の立脚地から人と交際をしている。ただ困るのは演舌《えんぜつ》と文章である。あいつは骨を折って準備をしないと失敗する。その代りいくら骨を折ってもやっぱり失敗する。つまりは同じ事なんだが、骨を折った失敗は、人の気に入らないでも、自分の弱点《ぼろ》が出ないから、まあ準備をしてからやる事にしている。いつかは初さんの気に入ったような演説をしたり、文章を書いて見たいが、――どうも馬鹿にされそうでいけないから、いまだにやらずにいる。――それはここには余計な事だから、このくらいでやめてまた初さんの話を続けて行く。
 その時初さんは、笑いながら、下から、自分に向って、
「おい、そう真面目くさらねえで、早く下りて来ねえな。日は短《みじけ》えやな」
と云った。坑《あな》の中でカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を点《つ》けた、初さんはたしかに日は短えやなと云った。
 自分が土の段を一二間下りて、初さんの立ってる所まで行くと、初さんは、右へ曲った。また段々が四五間続いている。それを降り切ると、今度は初さんが左へ折れる。そうしてまた段々がある。右へ折れたり左へ折れたり稲妻《いなずま》のように歩いて、段々を――さあ何町《なんちょう》降りたか分らない。始めての道ではあるし、ことに暗い坑《あな》の中の事であるから自分には非常に長く思われた。ようやく段々を降り切って、だいぶ浮世とは縁が遠くなったと思ったら急に五六畳の部屋に出た。部屋と云っても坑を切り広げたもので、上と下がすぼまって、腹の所が膨《ふく》らんでいるから、まるで酒甕《さかがめ》の中へでも落込んだ有様である。あとから分った話だが、これは作事場《さくじば》と云うんで、技師の鑑定で、ここには鉱脈があるとなると、そこを掘り拡《ひろ》げて作事場にするんである。だから通り路よりは自然広い訳で、この作事場を坑夫が三人一組で、請負《うけおい》仕事に引受ける。二週間と見積ったのが、四日で済む事もあり、高が五日くらいと踏んだ作事に半月以上|食《くら》い込む事もある。こう云う訳で、シキ[#「シキ」に傍点]のなかに路ができて、路のはたに銅脈さえ見つかれば、御構《おかまい》なくそこだけを掘り抜いて行くんだから、電車の通るシキ[#「シキ」に傍点]の入口こそ、平らでもあり、また一条《ひとすじ》でもあるが、下へ折れて第一見張所のあたりからは、右へも左へも条路《えだみち》ができて、方々に作事場が建つ。その作事をしまうと、また銅脈を見つけては掘り抜いて行くんだから、シキ[#「シキ」に傍点]の中は細い路だらけで、また暗い坑だらけである。ちょうど蟻《あり》が地面を縦横に抜いて歩くようなものだろう。または書蠹《のむし》が本を食《くら》うと見立てても差《さ》し支《つかえ》ない。つまり人間が土の中で、銅《あかがね》を食って、食い尽すと、また銅を探し出して食いにゆくんでむやみに路がたくさんできてしまったんである。だから、いくらシキ[#「シキ」に傍点]の中を通っても、ただ通るだけで作事場へ出なければ坑夫には逢《あ》わない。かあんかあんという音はするが、音だけでは極《きわ》めて淋《さみ》しいものである。自分は初さんに連れられて、シキ[#「シキ」に傍点]へ這入《はい》ったが、ただシキ[#「シキ」に傍点]の様子を見るのが第一の目的であったためか、廻り道をして作事場へは寄らなかったと見えて、坑夫の仕事をしているところは、この段々の下へ来て、初めて見た。――稲妻形《いなずまがた》に段々を下りるときは、むやみに下りるばかりで、いくら下りても尽きないのみか、人っ子一人に逢《あ》わないものだから、はなはだ心細かったが、はじめて作事場へ出て、人間に逢ったら、大いに嬉しかった。

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